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たけしと映画論

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北野武の映画論

お笑い芸人としてはとうの昔に「終わった」感のあるビートたけしだが、映画監督としての ”北野武” はまだまだ現役。『首』(2023年公開)の次回作にも意欲を燃やしているようだ。

そんな彼が他人の映画について語ったのが、『仁義なき映画論』という本。時期としては平成2年から3年あたりの映画が取り上げられていて、北野映画でいえば『あの夏、いちばん静かな海。』の公開前後の頃。

痛快な毒舌あり、鋭い批評眼あり、意外な嗜好ありといろいろ興味深い内容も多く、その一部紹介してみたい。

伊丹十三監督の『あげまん』

当時は放送禁止用語に近かった“あげまん”という言葉を探し出し、題名にした伊丹監督の、興行師・コピーライター的センスを褒める たけし。また、前売り券押し売り方式で観客動員数を稼いで批判されていた角川映画を皮肉っているくだりは、思わずニヤリとしてしまう。

映画の内容自体にはほどほどにしか触れていないが、最後の方で「この映画とは肌が合わない、伊丹さんとは育ちが違う」と語っている。「映画は作りものだけど、それがリアルに向かうのか夢に向かうのかって差は大きい。伊丹さんは後者であって、しかも客が喜びそうな夢を調合する。やっぱりエリートなんじゃないの。」てのがその理由だ。

この部分は、たけしが伊丹十三監督に対しどう思っていたか窺えて面白い。

角川春樹の『天と地と』

最初から毒舌全開。『あげまん』の悪口を言ったものの、それと比べてもビスコンティ映画と高校生の自主映画くらいの差があるとか、この映画をまともに批評するのはムダだとか、日本中の映画関係者にオレの方が才能があると勘違いさせてしまう作品だとか、言いたい放題だ。

返す刀で批判の多かった角川商法や、角川春樹監督の演出力の低さについても切れ味良く切りまくっているところは愉快すぎる。批評の後半にこの映画の駄目な所をいくつか挙げて、自己の演出論について具体的に述べている。このあたりは普通に映画鑑賞するにあたって、参考になる部分だろう。

桑田佳祐による監督作品『稲村ジェーン』

たけしはこの映画を見て自分ならどう作るかと考え、翌年『あの夏、いちばん静かな海。』を撮ったといわれている。

事実この本の中でも『稲村ジェーン』を「音楽だけの映画」と評し、「それにもかかわらず、無駄で邪魔なセリフがありすぎて音楽を殺している」と述べている。そしてセリフを一切消して、音楽と絵だけでやった方がはるかにインパクトの強いものになると語っているところは、まさに『あの夏、いちばん静かな海。』に繋がっているようだ。

フェデリコ・フェリーニ監督の『8  1/2』

たけしは最初、この高名な映画に対し難解な作品というイメージを持っていたらしいが、見てみたら存外愉しめたのが意外だったと語っている。この映画はフェリーニが自己言及の面白さを追求しているもので、監督なら誰しもこういう自己語りを愉しむゲームのような映画を作りたくなるだろうと言っている。

後年、その考えを実現させ作られたのが『TAKESHIS’』『監督・ばんざい!』『アキレスと亀』の自分語りアート三部作だろう。そういえば、フェリーニ映画に漂うサーカスやフェスの装いは、北野映画においてはバイオレンスということになるのだろうか。

デヴィッド・リンチ監督の『ワイルド・アット・ハート』

D・リンチ作品を見るのはこれが初めてだったらしいのだが、ともかく面白かったと言っている。良い意味で、劇画的センスの映像が刺激的だったようだ。

この本の中では、切れ味のいい感性やテンポの良さとか、滅茶苦茶な会話やストーリーを面白く見せる手腕を褒め称え、自分に似ているとまで語っている。確かにD・リンチ映画と北野映画はストーリーに縛られないシンプルで刺激的な映像語りという点で共通しているのだ。北野武監督を語る時に欠かせない要素だろう。

黒澤明監督の『夢』

老境に入った巨匠による若年回顧の作品に、さすがのたけしも後半眠気に襲われたと告白している。ただ、全否定しているわけではなくオムニバス全8話のうち、最初の2話は素晴らしかったとフォローはしているが。たけしはこの映画を画家ピカソの作風変遷になぞらえ、結局ピカソのように老境まで貫く程のパワーが無かったんだろうと結論づけている。

確かにこの頃の黒澤は人生の収束に向かっていて、かつてのようなエネルギー溢れる作品を期待するのは遠い“夢”となってしまっていた時期だ。それにしてもあの力強かった黒澤がこんなに枯れるなんて、と驚く人もいるが、それが老いというものなのだろう。

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