「ASAYAN」と小室プロデュース

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1990年代半ば頃、音楽界に一大ブームを巻き起こしていたのが小室哲哉だ。その小室プロデュースによるダンスボーカルユニットがデビューする過程を、ドキュメント風に撮ってVTRで流したのが、テレビ東京制作ナインティナイン司会による番組『ASAYAN』の中の“コムロギャルソン”というコーナーである。

『ASAYAN』といえばオーディション番組の印象が強いが、当初は番組の前半にバラエティー企画が放送され、後半“コムロギャルソン”のVTRコーナーになるという構成だった。その小室のコーナーで男性ダンスユニットをデビューさせるにあたり、中心となる女性ボーカルの募集をすることになった。この企画がのちに『ASAYAN』をオーディション番組として転換させるきっかけとなる。


女性ボーカルは簡単に決まらなかった。高い歌唱力を持つ何人かの若い娘がオーディションを受けたが、小室のお眼鏡には叶わなかったようだ。そのうちデビューを待ちきれない男性ダンサーたちが自ら探し出し、この娘ならと推薦したボーカル候補もいたのだが小室は首を縦に振らなかった。テストの結果、ボーカルとダンサーのグルーブ感が伝わってこないという理由だった。

これを見ていたときの印象は小室のこだわりが強いというより、なんだか優柔不断な奴だなという印象だった。

なかなかボーカルが決まらずしびれを切らした男性ダンサーたちは、小室のプロデュースを辞退し結局この企画は流れた。企画自体は失敗だったが、VTRのナレーションを担当した川平慈英による大げさなフレーズと、必要以上に煽るような演出が視聴者に好評だったのか、小室のコーナーは拡大して扱われるようになる。

ただ番組側も小室ではなかなか物事が決まらないと考えたのか、別の音楽プロデューサーを据えた企画も打ち出す。そして『ASAYAN』は【夢のオーディションバラエティー】番組としてリニューアルしていったのだ。

こののち、新たに小室プロデュースによる男女混合の音楽ユニットを立ち上げる企画が始まった。そのオーディションで選ばれたのが、既にタレントとしての実績があるボーカル担当の西川妙子、それと女性ダンサーでのちに小室と結婚・離婚をすることになる吉田麻美、それから後年オネエのKABA.ちゃんとして姿を表す男性ダンサーの椛島永次で、3人による音楽グループdosが誕生した。

dosのメンバー3人はデビューを前にニューヨークでレッスンを受けることになる。そしてその様子は例によってドキュメント風にVTR撮影され、番組内で放送された。そのVTRの中でクローズアップされたのが、女性メンバー西川妙子と吉田麻美の感情的対立だった。

これが2人の人間関係をそのまま撮ったのか、多分に演出が入っているのかはよく分からない。ただ、いつものように大げさなナレと煽り演出で視聴者を引きつけるように作られていて、その低俗さがこの番組をオーディションものだけに終わらせない特徴となる。

この女性2人が感情的対立を深めていく中、唯一の男性である椛島永次は2人に関与するどころか、ほとんどVTRに登場することもなく言葉さえ発しなかった。当時そのことを不思議に感じていたが、何年か後にカミングアウトして違う姿で現れたときに疑問は解かれることになる。

女性2人の関係がどう収束したのかは覚えていないが、dosは無事デビューを果たすことになった。しかし当時小室人気の絶頂期であったにかかわらず、CDの売り上げは中途半端なものに終わり、リーダーもいないこのグループは1年くらいで自然消滅していった。

この番組で何年かのちに小室がプロデュースを担当することになったのが、アイドルの鈴木あみである。ただこの時は視聴者の人気投票で選ばれた鈴木あみを、小室にプロデューサーとして引き受けてもらうという形だった。

これが小室プロデュース最後のヒットシンガーとなる。この頃、小室の人気にも陰りが出ていてやがて『ASAYAN』からも姿を消した。才能はあるものの人間的には欠落したものを抱える小室は、人気凋落の先に大きな落とし穴へ嵌まってゆく。

『ASAYAN』はボーカリストコンテスト以外にも様々なオーディションを行ない、それをドキュメント風に撮って、大げさな煽りを入れたVTRが受けて番組自体は好調だった。しかし【夢のオーディションバラエティー】を謳っていながら、これといった人気者を生み出すことが出来ず企画は行き詰まっていた。

その現状を打破すべく、新しく立ち上げた女性ボーカリストオーディションのプロデュースを依頼したのが、人気バンド・シャ乱Qのつんくだった。

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