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女性アイドルの変遷 1980年代

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80年代の代表 松田聖子

山口百恵が芸能界を引退した1980年、入れ替わるように新しい時代を象徴する女性アイドルが現れた。松田聖子である。

『裸足の季節』でレコードデビューを果たすと、その伸びやかな歌声と可愛らしいルックスで注目を浴び、2曲目『青い珊瑚礁』が大ヒットしてたちまちトップアイドルとなる。

その髪型が“聖子ちゃんカット”と呼ばれ若い女の子がこぞってまねをする程の影響力を持つ一方、自己演出力の高さから“ぶりっこ”と呼ばれ泣いても涙がこぼれないのを揶揄されることもあった。

郷ひろみとの破局会見では「生まれ変わったら、一緒になろうね」と誓い合ったと泣きながら語ったが、のちに郷ひろみが「そんなことは言っていない」と困惑したというエピソードもある。

一時代の終焉

何かの評論で松田聖子を “握力の強い女性” と表現していたが、まさに彼女はスターたる虚像を演じることをもいとわない自己プロデュース能力の高い女性だ。ライバルと言われた中森明菜が精神的脆さを抱えていて自滅していったのとは対照的で、離婚さえも糧にしてずっとトップスターであり続けた強い女性なのである。

自分はデビュー当初から松田聖子を敬遠していたが、全盛時代の彼女が創り出すアイドルの世界観は惹かれる者がある。名曲『赤いスイートピー』などは今でも口ずさむことがあるくらいだ。

アイドル時代を創ってきた『スター誕生!』だが、小泉今日子らを排出したあと83年にその役割を終える。だがアイドル全盛期は80年代半ばまで続き、松本伊代、堀ちえみ、早見優、菊池桃子、荻野目洋子などが活躍した。

岡田有希子の悲劇

そんな中、アイドル史に暗い影を落とす事故が起きた。岡田有希子の投身自殺である。当時ヒットが約束されていた化粧品CMの挿入歌にも彼女の曲が採用され、全国コンサートもスタートしたばかりだった。そんな時期に突然、岡田有希子は自宅マンションでリストカットをし、ガス自殺を試みる。

この時は近隣住民が臭いに気づき通報したため、駆けつけたレスキュー隊に助けられた。その頃一方的に想いを寄せていた俳優の気を引くための狂言自殺とも、優等生で生真面目すぎる性格が災いし鬱状態になって衝動的に起こしたのだとも言われている。

押し入れの下で泣きじゃくっていた彼女を病院に運んで治療を受けさせ、それから事務所に連れて行き様子を見ることになった。

事態が大騒動になり大変なことだと気がついた岡田有希子は、動揺し平静さを失ってしまったようだ。彼女は少しの間大人たちが目を離した隙をうかがって、建物の屋上へ駆け上がりその身を投げたのだった。享年20歳、あまりの純粋さが生んだ悲劇だった。

最後のあだ花

80年代半ば、集団アイドルの先駆けであるおニャン子クラブが番組の企画から登場した。秋元康がスタッフとして参加したこのアイドルグループは、今から考えればAKBのパイロット版といえる。

だがパフォーマンス的には未熟でプロ意識の面でもメンバーに玉石混淆なところがあり、その活動はわずか2年余りで終了した。しかしこのグループからは、新田恵利、国生さゆり、渡辺美奈代、渡辺満里奈、工藤静香、生稲晃子といった人気者を輩出している。

80年代後半も酒井法子や西田ひかる、Winkなど引き続き正統派女性アイドルが活躍する一方、アイドルの世界も飽和状態になっていた。従来のアイドルたちは飽きられつつあり、音楽業界もアーティスト指向に移りつつあった。

それまでのように歌手活動中心とした売り方が困難になり、バラエティーに活路を見いだすアイドルたちが現れたのである。彼女たちはバラドルと呼ばれ、井森美幸、森口博子、山瀬まみたちが代表とされる。

80年代に人気を博した『ザ・ベストテン』が1989年に終了するなど音楽番組の勢いがなくなり、ますますアイドルたちの活躍の場は少なくなってゆく。やがて平成の時代に入り、バブル経済が崩壊する90年代にアイドルは冬の時代を迎えることになる。

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