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007「ドクター・ノオ」ジェームズ・ボンド誕生

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「007 / ドクター・ノオ」映画化決定

映画史に残る人気シリーズとなった007映画を成功させたのは、初代ジェームズ・ボンド役に抜擢されたショーン・コネリーの魅力と、ボンド映画のスタイルをつくったテレンス・ヤング監督の功績が大きいだろう。

イギリス出身の映画制作者、A・R・ブロッコリはカナダ人プロデューサーH・サルツマンと共同でスパイ小説007シリーズの版権を獲得すると、さっそく映画制作に取りかかることになる。少し悶着があったものの最も映画化にふさわしい作品として『ドクター・ノオ』が選ばれ、監督はブロッコリと旧知の仲であったテレンス・ヤングに依頼された。

難航したのは一番肝心なジェームズ・ボンド役に誰を選ぶかであった。ケイリー・グラントやジェームズ・メイソン、リチャード・バートンといった有名スターの名前も挙がっていたが、ブロッコリは若手俳優の起用を考えていた。サルツマンや出資者との話し合いが行き詰まる中、候補として浮上したのがディズニー映画『四つの願い』で男の臭いを放っていたショーン・コネリーだった。

1961年夏、ブロッコリはショーン・コネリーを、サルツマンや映画会社の重役も待つイギリスのオフィスに招いた。コネリーは彼らとの面談を終えるとオフィスを出て、向かいの道を悠然とした足取りで去って行く。この姿は後にブロッコリが「大きなジャングルキャットのように堂々と優雅だった」と回想するほどの印象を残し、ジェームズ・ボンド役が決定した。

テレンス・ヤング監督とショーン・コネリー

テレンス・ヤングはショーン・コネリーがボンド役に決まったことを知らされると「大惨事だ・・・」と嘆いたと言われている。原作者のイアン・フレミングは小説のボンドに、従兄弟である俳優のクリストファー・リーをイメージして書いており、監督のテレンス・ヤングも英国紳士のボンド像を描いていた。ショーン・コネリーについては、以前監督作品に出演した際の印象しかなく失望したのだ。その作品のコネリーは端役で、女性を襲う粗暴な男を演じていた。

だが、実際ショーン・コネリーに会ってみてテレンス・ヤングは考えを変えたようだ。役者として経験を積むうちにコネリーの粗野なイメージは薄れていて、また彼が向上心のある男だと認識したからだ。英国の上流階級出身のヤングは、労働者階級出身のコネリーに英国紳士の振る舞いを身につけさせる。つまり男性版の『ピグマリオン(マイ・フェア・レディー)』だ。

ヤングはコネリーのためにオーダーメイドの紳士服やシャツを仕立てると、ネクタイから帽子に至るまで一流品を身体にまとわせた。さらに高級レストランに連れて行きテーブルマナーを学ばせ、お酒のたしなみ方も教えたのだ。こうしてテレンス・ヤング監督のイメージする、優雅でセクシーな英国紳士のスパイ像が出来上がっていったのである。

ジェームズ・ボンド誕生

『ドクター・ノオ』は無事クランクインし、撮影はボンドのお披露目シーンから始まった。ホテルのカジノで、赤いロングドレスを着た美女とテーブルで向かい合い、カードの賭けをするシーンである。ショーン・コネリーは初撮影の緊張で満足にセリフが言えず、幾度も失敗テークを重ねていた。

ヤング監督は撮影を一旦中断するとショーン・コネリーを自分の控え室に招き、彼に酒を勧めた。コネリーが酒をひと口飲み干し、緊張がほぐれるのを見届けた監督は撮影を再開した。

バカラで勝ち続けた男はひとゲーム終えると、シガレットケースへ手を伸ばしレディーに視線を移して尋ねた「まだ続けるつもりかい、ミス・・?」

レディーは小切手にサインをしながら答えた。「トレンチ。シルビア・トレンチよ。ツキって怖いわね」 そして男に顔を向けると「ええと・・ミスター?」

男は加えたタバコに火をつけ、煙をくゆらせながらシルビア・トレンチに視線を戻した。

「ボンド。ジェームズ・ボンド」

初登場シーンはテレンス・ヤング監督の意図するものに出来上がった。こうして、今に続くジェームズ・ボンドの物語が始まったのだ。

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