黒澤明 没後20年

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国際的に知られた日本映画の巨匠、黒澤明監督が亡くなったのが1998年の9月6日でもう没後20年目になる。

1978年12月20日、アメリカのコッポラ監督やルーカス監督などの協力を得て、黒澤明監督久しぶりの新作『影武者』の製作発表が行なわれた。『赤ひげ』以来約15年ぶりの時代劇は、黒澤の得意分野だけに映画ファンは巨匠の復活を期待せずにはいられなかった。

途中主演俳優の交代など騒動があったものの、北海道から九州まで日本中で大勢のエキストラを動員したスケールの大きな撮影は比較的順調に進み、1980年4月に映画は完成した。

それまで『七人の侍』など黒澤映画の魅力に感化されていた自分も、『影武者』が公開されるや映画好きの先輩と一緒に期待に胸を膨らませて見に行ったものだ。

そして見終わった時の感想は・・・複雑な気持ちだった。随所に黒澤らしい重厚さを感じたものの、いまいち話がまとまっていなくてもどかしい。ダイナミックな人間群像も黒澤時代劇の魅力だが、登場人物の描き方も形式ばっていまいちなのだ。

映画が終わると無言のまま席を立ち、先輩と共に帰り道へ向かった。巨匠は当時70歳、まだ老け込む年ではないがもう黒澤明は衰えてしまったのか。言葉はなくても互いの失望感は同じだった。

余談だが、この映画ではクライマックスとなるべき長篠の戦いが省略され、もがき苦しむ馬のスローカットのみで武田軍の敗北が表現されている。当時この手法は議論になったが、三谷幸喜脚本の2016年大河ドラマ『真田丸』で、関ヶ原の戦いが直前で省略されていたのを見てこのシーンを思い出した。三谷さんは自分と同世代なので『影武者』の合戦シーンが省略されていたトラウマを、現代の視聴者に味合わせたかったのではないかと勘ぐったりしている。

『影武者』はその年のカンヌ映画祭でパルムドールを受賞したが、それは復帰した巨匠に対するご祝儀みたいなものだろう。5年後のシェークスピア悲劇を下敷きにした作品『乱』で、黒澤映画が我々の期待から離れていくのが一層はっきりする。

色彩こそ鮮やかだが様式美に陥ってしまった映画の造りは空疎で、1カットが異様に長く感じられる退屈なものになっている。俳優たちは熱演するものの、能・狂言役者のように現実感のない登場人物と虚ろなストーリーに何の悲劇性も湧き上がってこない。

1990年公開の『夢』もビートたけしが言っているように退屈なものだったが、翌年公開の『八月の狂詩曲(ラプソディー)』となるともっと酷い。ずっと共同脚本システムで映画を作ってきた黒澤監督だが『夢』から単独で脚本を執筆している。つまり晩年の黒澤映画は老巨匠の個人作品となってしまったのだ。

『八月の狂詩曲』ではその弊害がもろに現れていている。映画に出てくる子供たちがまるで昭和初期のような雰囲気で古くさい。それに会話の間も悪く、段取り演技にしか見えないのはがっかりしてしまう。

もはや黒澤明が時代遅れの監督であるのを痛感してしまうのだ。それとせっかく出演してくれたリチャード・ギアも損な役廻りだ。あんなに素直なアメリカ人など現実味がないし、一方的に被害者意識を押し付けられて謝罪させられるシーンなんて本当に気の毒だ。

結局この映画は原爆恐怖症の老黒澤が被害妄想で騒ぐだけの、社会的な問題提起がまるでなく自己満足に収まっている作品だ。自分の中ではワーストワンの黒澤映画である。

1993年の『まあだだよ』は、名士の晩年はこうでありたいと黒澤の願望を映画にしたもので、この作品が遺作となる。次作を予定しながら自宅で脚を骨折し寝たきりとなった黒澤明は、名声を残して88年の生涯を閉じた。

全体的に80年代以降の作品を批判するような記事になってしまったが、リアルタイムで見られた時期が悪かったというだけで黒澤映画に対する畏敬の念は大きい。黒澤明には失われた10年というものがあり、それがつくづく残念でならない。

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