日本の守護神 川口能活引退

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24年の長きに渡りプロとして活躍してきた元日本代表GKの川口能活が、所属のJ3リーグSC相模原を通して今期限りでの現役引退を発表した。ストイックな姿勢でサッカーに取り組む選手として有名で、ライバル楢崎正剛と正GK争いをしながら4回のW杯にメンバーとして選ばれている。

川口は1994年に日本代表の正GKだった松永茂立に憧れ横浜マリノスに入団し、翌年にはその松永から正GKのポジションを奪っている。

関係ないが、ある試合で突然ポジションを奪われた松永は激高して、当時の監督だったホルヘ・ソラーリの胸ぐらを掴むという騒ぎを起こしマリノスを退団している。

川口能活といえば、大一番になればなるほど発揮される集中力の凄さだろう。96年のアトランタオ五輪では、ブラジルから28本のシュートを浴びせられながらも無失点に抑え『マイアミの奇跡』の立役者となった。98年に日本がW杯初出場を果たしたときも、若き守護神として初戦のアルゼンチンをバティストゥータによる1点に抑えるなど健闘を見せている。

06年のドイツW杯の対クロアチア戦では日本の不甲斐ない戦いの中で、相手のPKを阻止し引き分けに持ち込んだプレーは印象的だ。

しかしなんと言っても記憶に残るのは、04年アジアカップ中国大会の準々決勝ヨルダン戦でのPK合戦だろう。日本のキッカーがめくれた芝に足を取られPK失敗を続け後が無くなるも、川口がその後スーパーセーブを連発して劣勢を挽回し優勝に結びつけたプレーは今でも語りぐさとなっている。

2010年のW杯南アフリカ大会では第3GKという出場機会のほとんど望めない立場でメンバーに選ばれたが、豊富なW杯経験を生かしキャプテンとしてチームをまとめ日本の決勝トーナメント進出に貢献している。

01年にイングランド2部のポーツマスに移籍するがチームとプレースタイルが合わず大量失点が続き、出番が激減して04年にはデンマークのノアシェランに放出されている。

ポーツマス在籍時、川口は週刊文春に手記を連載していた。その中で、コーチに技術はチーム一番と認められながらチャンスを与えてもらえないことに悩み、クラブの会長宅にまで押しかけ出場を直談判するまで追い込まれたというエピソードを赤裸々に告白していた。

川口はジャパンマネー狙いでポーツマスから呼ばれており、チームメイトから偏見を受け意思疎通も上手くいかなかったようだ。大柄な選手の多いイングランドのリーグでは、179センチしかない川口にとってだいぶ厳しい環境ではあったのも確かだ。

今後は引退セレモニーを行なった後、相模原のアンバサダー就任などが予定されているようだ。

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