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サッカー日本代表史 10. 苦闘の最終予選

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サッカー日本代表史 10.「苦闘の最終予選」

ホーム、韓国戦の激闘

1997年9月28日、日本は韓国をホーム国立競技場に迎え、フランスW杯アジア最終予選B組の第3試合を行なった。加茂監督はこの試合に、ブラジルから帰化したばかりの呂比須ワグナーを先発起用する。呂比須は高い得点力を誇るFWで、救世主として日本代表入りを待ち望まれていたのである。また10年前呂比須を日本に呼んだのが、日産時代の加茂監督だった。

韓国の車範根チャ ブングン監督はアウェーでの戦いに、カウンター狙いの守備的布陣で臨んできた。ヘディングの強いFW崔龍洙チェヨンスだけを前線に残し、カズ・呂比須・中田・名波にそれぞれマンマークを付けるという慎重さだった。

前半開始からホームの日本が優位に試合を進める。中田はマークを吹き飛ばすような強さを見せ、呂比須も奮闘して韓国ゴールを脅かした。韓国も日本の右サイドを突破しチャンスを作るが、後が続かず徐々に自陣へ押し込まれていく。

後半、日本が右サイドに守備の強い名良橋を投入すると、韓国はいよいよ攻め手を失う。55分、日本は韓国のマンツーマン・ディフェンスの脆さを突き、空いたスペースに駆け上がってきた左サイドの相馬がポスト直撃のシュートを放つ。

ヒヤリとした韓国は中田に翻弄されていたマーカーを下げ、守備の穴を防がざる得なくなっていた。韓国チームは落ち着きを失い、車監督は選手を静めようとタッチライン際で声をかけ続けていた。

泥沼にはまり込んだ加茂ジャパン

67分、韓国選手のミスからボールを奪った山口は、相手ゴールに向かってドリブルを仕掛け相手DFをかわした。別のDFが慌てて防ぎに来るが、山口は咄嗟にボールをループで浮かせる。そしてそのボールは鮮やかな放物線を描き、後ろで構えるGKも越えゴールに飛び込んでいったのだ。

満員の国立競技場を轟かす大歓声が上がる。山口が興奮し日本ベンチに駆け寄ると、たちまち彼を中心に喜びの人垣が出来た。その直後、韓国のキャプテンでリベロを務める洪明甫ホン ミョンボは車監督に訴える「中盤に上がってプレーしてもいいですか」車監督は焦る洪選手を制した「落ち着け、そのままプレーしろ」

73分、1点リードの状況で加茂監督が守備固めに動く。呂比須を下げ秋田を投入して、韓国ドリブラー高正云コ ジョンウンをマークさせるつもりだった。岡田武史コーチが審判に選手交代を告げようとすると、先に韓国が高正云を下げスピード系の選手を入れてきた。

不安を感じた岡田コーチは、慌ててベンチに問いかける「監督、これでいいんですか?」。加茂は気にせず答えた「ええんや、岡ちゃん」。

FWとDFの交替が行なわれたことで日本は守りの姿勢に入り、前線の圧力から解放された韓国は反撃を開始した。押し込まれだした選手に加茂監督は「下がるな!」と声が枯れるまで叫んだが、体力の勝る韓国に日本チームは持ち堪えられない。

84分、日本は韓国の圧力に耐えられなくなり、ついに同点弾を許してしまう。87分、呂比須のマーカーだった李敏成イ ミンソンが強烈なミドルシュートを放つ。GK川口が横っ飛びで防ごうとしたが、ボールは手前でイレギュラーしゴールに飛び込んだ。試合は1-2で終わり、日本は勝ち点3を失ってしまう。

明らかな采配ミスに協会幹部の話し合いが行なわれたが、加茂監督の進退は次の試合に委ねられることになった。

10月4日、中央アジアへ遠征した第4戦の相手はカザフスタンだった。日本は先制点を奪うものの、試合終了直前に同点とされ1-1で引き分けてしまう。勝ち点を1しか積み上げられなかった日本は、UAEにも勝ち点2差をつけられ3位に転落した。1試合多く消化している韓国は勝ち点を12まで伸ばし、グループ1位を独走していた。

監督の電撃解任劇と、臨時指揮官・岡田武史

その夜、日本サッカー協会の記者会見が開かれ、長沼会長の口から加茂周の代表監督解任と岡田コーチの代行監督就任が発表された。岡田には全く監督経験がなかったが、日本から遠く離れた中央アジアの地では、彼の他に加茂監督の代わりはいなかった。

自分も辞任するつもりだった岡田は次の1試合だけという条件で監督を引き受けた。そして「戦う姿勢のない選手は使わない」と方針を打ち出し、中田をレギュラー組から外す。

それは、マイペースを貫き本音を見せようとしない中田の真意を探ると同時に、チームへ喝を入れる為だった。中田には内心忸怩たるものがあったはずだが、いつもと変わらぬ姿勢で練習を続けた。

11日、ウズベキスタンとの第5戦が行なわれた。岡田監督は中田と呂比須を先発から外し、後のないこの試合に臨む。しかし前半31分、日本はウズベキスタンに先制を許してしまう。54分、岡田は中田と呂比須を投入し反撃を図る。

闘志を露わにした中田のプレーは激しいものだったが、なかなか点は入らない。80分、岡田は名波を中西と交代させると、ヘディングの得意な秋田を最前線に上げパワープレーに出る。だが時間は無情に過ぎてゆき、必死に応援を送っていた日本サポーターにも絶望感が漂い始める。

終了間際、自陣でスローイングを受けた井原がボールを前に運び、前線に向けロングボールを蹴り込んだ。そのボールを、呂比須が相手DFと競り合いながらゴール前へ落とす。そこに駆け込んだカズに惑わされたのか、ボールは相手DFとGKの間を抜けゴールに吸い込まれていった。

思いがけない形で勝ち点1を拾ったことに運を感じながら、岡田はロッカールームに入った。そこには涙を流す選手や、身体を震わせる選手たちがいた。彼らが一番重圧に苦しめられている。それを悟った岡田は、自分だけ逃げる訳にはいかないと、監督続投を決意する。

瀬戸際に追い込まれる日本代表

26日ホームで行なわれる第6戦は、グループ2位を争うUAEとの直接対決だった。UAEはカザフスタンに敗れ勝ち点差は1に縮まっており、この試合に勝てば今度は日本が優位な立場となる。岡田はこの試合に北沢豪を招集し、中田と呂比須を先発に戻して勝負に臨んだ。

日本は開始3分呂比須が早くもゴールを決めるが、追加点のチャンスを逃すうちに36分にはUAEに追いつかれてしまう。後半守り切ろうとするUAEに対し、有効な攻め手を見つけられない日本選手に焦りの表情が浮かぶ。

終了直前、城とぶつかったGKムサバハーは大袈裟に転げ廻り、露骨な時間稼ぎに出た。彼が立ち上がりゆっくりプレーを再開したのは45分を大幅に過ぎてからである。それから間もなく終了のホイッスルが吹かれた。あまりに短いロスタイムに、会場は騒然となる。日本は審判に猛抗議をするが受け付けられず、その横ではUAEの選手が勝ったかのように喜んでいた。

自力での2位がなくなり、サポーターの怒りは選手たちに向けられた。第1戦以降得点を取っていないエースのカズに、罵声が浴びせられる。過激なファンがスタジアムを出ようとしていた代表チームのバスを囲み、カン・ビンや卵を投げつけるという騒動も起きた。

次戦は敵地ソウルでの韓国戦だった。韓国はこの予選5勝1分けと負け知らずで、日本もソウルでは1度しか勝ったことがない。マスコミの論調も悲観的なもので、協会幹部からは半ば諦める様な声も聞こえていた。

日本はもう開き直って戦うしかなかった。希望は韓国が既にB組1位でW杯出場を決めていることと、キャプテン洪明甫が出場停止となっていることだった。

拓かれたワールドカップへの道

11月1日ソウル蚕室スタジアムで第7戦が行なわれた。日本は韓国マークの間隙を突き、シンプルにボールを運ぶ。韓国選手の動きはいつになく緩慢だった。開始2分、起点となった中田のパスから、名波・相馬・呂比須と澱みなくボールが繋がりチャンスが生まれる。名波のシュートはダフり気味だったが、あっけなくボールはゴールネットへ収まっていった。

洪明甫の代わりにリベロの位置にいた張大一(チャン・デイル)のポジショニングが悪く、日本は思うままにボールを廻せた。日本が押し気味に進めた37分、相馬が張大一をかわしセンタリングを送ると、走り込んだ呂比須が足で合わせ2-0となる。前半終了直前には崔龍洙が負傷退場し、韓国は攻撃の要も失ってしまう。

後半、韓国は張大一のポジションを修正し反撃に掛かる。そして韓国がようやく調子をあげてくると、日本も徐々に押し込まれて来た。岡田監督は逃げ切りを図るため選手交代の準備をする。岡田がしばらく考え、69分ピッチに送り出したのがFWの平野孝だった。平野はさっそく足の速さを活かして相手陣営に攻め込むと、強烈なシュートを放って韓国選手を慌てさせた。

日本は韓国の攻勢を最後まで凌ぎ、無失点で終わって勝ち点3を手にした。実にウズベキスタン戦以来6試合ぶりの勝利だった。日本の選手たちは自身を取り戻し始めていた。そしてようやく岡田も、自分のスタイルが解りかけてきた。

翌日、帰国した日本チームに朗報が舞い込む。UAEがウズベキスタンと引き分け、勝ち点で上回った日本が2位へ浮上したのだ。これで日本はホームで行なわれる最終戦に勝てばB組2位が決まり、A組2位とのアジア第3代表決定戦に臨めることになる。

悲願のフランス・ワールドカップ出場へ、ついに道は拓かれたのだ。

次:サッカー日本代表史 11. 決戦、ジョホールバル

カテゴリー サッカー史

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