「シン・ゴジラ」ほぼノーカット版




16日に庵野秀明総監督『シン・ゴジラ』のテレビ放映があった。地上波では今回2度目の放送だが、前回カットされていた例の俳優の出演シーンがあるほぼノーカット版だ。まあそのシーンは一瞬なんだけどね。

最初この映画を見たときは、期待外れと違和感であまり印象は良くなかった。だが時間を置いて今回改めて鑑賞すると、それほど悪くはないと見直した。まあ偏見なしで見れば、現在の日本で作れる最高の特撮映画ではあるだろう。

初見の時の印象が悪かったのは、全体的な作りにアニメっぽさを感じ日本アニメが苦手な自分に拒絶反応が起きたからである。まず登場人物がおしなべて早口なのがアニメっぽいし、登場する政治家や官僚たちが類型的でキャラの掘り下げがない点も日本アニメにありがちな薄っぺらさだ。特に石原さとみ演じるアメリカの女性特使役が、いかにもアニメ作品に出てきそうな幼稚なキャラでどうにも受け付けなかった。


それとCGが今ひとつだったのも、マイナス点だった。特に戦闘ヘリとか列車や車に実物感が無く、おもちゃに見えてしまったのは興ざめだし日本製CGの限界を感じてしまった。さらに違和感を感じたのは例のゴジラ第二形態、蒲田のギョロ目くんが登場したときだ。

最初、見た目の不細工さにギョロ目くんは引き立て役の怪獣かなと思っていたが、ゴジラ第三形態に進化したときはひっくり返ってしまった。これじゃあ、ローランド・エメリッヒの“爬虫類GODZILLA”より酷いじゃないかと思ったものだ。多分ここら辺に、海外ウケが今ひとつだった理由があるのだろう。

だが、そこらへんを承知の上で今回テレビ放送を見直すと、結構面白いじゃないかと思ってしまった。少なくても、ストーリーがいまいちでゴジラの立ち位置も不明瞭だった2014年のハリウッド映画『GODZILLA ゴジラ』よりはずっと良い。

考えてみれば1954年の『ゴジラ』第一作を除けば、ゴジラ映画に面白いと言えるものは少ない。昭和ゴジラは子供だましのプロレスものだったし、平成のゴジラは不要なドラマ要素が多くかったるい映画だった。ゴジラファンはそれでも好きなんだろうけどね。

もしかして『シン・ゴジラ』は、第一作目以来の良く出来たゴジラかもしれない。ストーリーがシンプルで荒ぶる神の破壊と恐れという表現も第一作を踏襲しているし、核汚染問題が背景にあるのも同じなのでこの作品はファースト・ゴジラの正統なリメイク作品といった感じだ。

ハリウッド版の制作費が百数十億円なのに対し『シン・ゴジラ』の制作費が十五億なのを知ると、CGもそれなりによく頑張っていたと言えるだろう。見せ方の巧さもあり、ゴジラのスケール感はよく表現されていたしね。あのゴジラ第二形態、ギョロ目の蒲田くんも見慣れてしまえば可愛い。エメリッヒ版の無粋な爬虫類に比べれば、遙かに愛着が感じられる特徴的な造形だ。

『シン・ゴジラ』が素晴らしいのは、大きな嘘の為にディティールをしっかり描いてる部分だ。官邸や自衛隊の災害(ゴジラ)対策がリアルで、そこが物語を引っ張っている。それに災害対策シミュレーションに特化し、筋運びがすっきりしているのも良い。余計な要素が省かれているので、特撮部分を邪魔していないのだ。そう考えれば、登場人物のアニメっぽい薄味キャラも気にならなくなる。

それでも、石原さとみのあのキャラ設定は無いな。全然米国人っぽくないし、演じている石原さとみがダサく見えて可哀相だよ。

アームの長いコーンクリートポンプ車を使った“ヤシオリ作戦”は、そのまんま福島第一原発事故の給水作戦を想起させる。となると、大杉漣演じる大河内総理は菅直人がモデルかな。

その大河内内閣が壊滅したあと、平泉成演じる里見農水大臣が臨時総理に就任する。里見総理はこの映画の中で唯一人間味があり、一見とぼけているようで実はそれなりに責任者を果たす政治家として描かれている。ちょっと、阪神淡路大震災の時の村山富市を彷彿とさせないでもない。

ラストで凍結したゴジラの尻尾に人型が現われるシーンは、少しこけおどしっぽいかな。普通に終わるのがつまらないので、いかにも意味ありげなラストにしたんだろうが蛇足だよな。それとも、第二作に繋げようという意図でもあるのかな。

渡辺謙版・新作GODZILLAの予告が流れていて、キングギドラが一瞬写っていたがどうなんだろう。前作がつまらなかっただけに、ちょっと不安だ。

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