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日本女子サッカー史 5. 一時代の終わり

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日本女子サッカー史 5. 一時代の終わり

なでしこの凱旋

女子ワールドカップ・ドイツ大会優勝という偉業を果たし、凱旋帰国した選手たちを大勢のファンと報道陣が迎えた。日本に熱狂的な“なでしこフィーバー”が起こり彼女たちは一躍世間から注目を集めることとなる。そして休む間も無くなでしこリーグが再開すると、各会場には大勢の観客が押し寄せ選手たちに声援が送られた。

8月にはなでしこジャパンが団体としては初めて国民栄誉賞に選ばれ、マスコミにも引っ張りだことなる。だが注目され過ぎることで弊害も生まれ、選手がファンとの騒動に巻き込まれる事態も起こった。選手を取り巻く環境がワールドカップの前と後で180度変わってしまい、彼女たちはその対応に振り回されることになる。

そんな選手のコンディションが整わない状況で、9月に中国で2枠のロンドン五輪出場権を掛けたアジア予選が行なわれた。たまった疲労に選手たちの調子は上がらず、タイ・韓国・オーストラリアに苦戦を強いられるがどうにか勝利を重ねる。

北朝鮮には引き分けて厳しい状況に追い込まれるが、中国がコケたおかげでようやく五輪出場権を得た。たとえ世界チャンピオンになっても、アジアで戦う厳しさは変わらなかったのだ。

盛り上がる日本女子サッカーと、ロンドン五輪銀メダル

11年のなでしこリーグは、それまで毎年のように優勝していた日テレベレーザを押さえ、INAC神戸レオネッサがリーグ初優勝を果たした。INACはセミプロチームとしての環境を整え、澤・大野・近賀といった代表選手たちが移籍して来て、リーグ1の戦力を誇っていたのである。

12年1月FIFAの年間表彰式がスイス・チューリッヒで行なわれた。そして佐々木則夫監督が女子最優秀監督賞に、澤が女子最優秀選手賞(バロンドール)に輝いた。

なでしこジャパンは3月のアルガルヴェ・カップでキャプテンが澤から宮間に引き継がれ、この大会で史上初めてアメリカを相手に勝利を挙げる(Wカップ決勝は引き分け扱い)。決勝ではドイツに敗れ準優勝に終わるも、オリンピックに向けて調子は上向いていた。

7月ロンドン五輪が開催、日本のグループリーグ対戦相手はカナダ・スウェーデン・南アフリカだった。日本はカナダに2-1と勝利を収め、スウェーデンと南アには0-0と引き分けて決勝トーナメント進出を決める。

準々決勝ではブラジルを2-0と撃破、準決勝はフランスを2-1で下し日本は決勝進出を果たした。決勝の相手はWカップの雪辱を狙うアメリカ。決勝の行なわれた聖地ウェンブリー・スタジアムには、8万人を越える観客が集まった。

開始8分、日本は一瞬の隙を突かれ、ロイドにヘディングの先制点を決められる。その後リズムを取り戻したなでしこが反撃を開始するも、幾度も決定機を逃し同点とすることが出来なかった。

そんな状況が続いた54分、またもロイドにドリブルシュートを決められ0-2となってしまった。それでも日本は諦めず63分、宮間の縦パスから澤が粘ってボールをゴール前に出すと、大儀見(永里)がDFをかいくぐって1点を返した。

日本は最後まで攻め続け、宮間の惜しいフリーキックや岩渕の鮮やかなドリブルシュートもあったが、反撃及ばず試合は1-2で終了。日本は金メダルには届かなかったが、オリンピックで女子サッカー初の銀メダルを獲得した。

過渡期を迎えるなでしこジャパン

13年、INAC神戸はなでしこリーグ3連覇を果たし最盛期を迎えた。14年5月、Wカップ予選を兼ねた女子アジアカップベトナム大会が開催されたが、北朝鮮はドーピング違反で出場停止となり参加していなかった。

日本は予選リーグを2勝1敗と勝ち抜き準決勝では中国、決勝ではオーストラリアを下して大会初優勝を果たす。澤は中国戦で1点を挙げたものの、パフォーマンスは上がらずスタメンを外れるようになっていた。そしてこの大会以降澤は、しばらく代表に招集されなくなる。

9月、なでしこはアジア競技大会2連覇に挑むが、決勝で北朝鮮に1-3と完敗してしまう。佐々木監督は何人かの若手を試したが、Wカップ優勝メンバーとの差は大きくベテランに頼らざるを得なかった。15年3月、日本初参加から好成績を残していたアルガルヴェ・カップでも9位に終わり、3ヶ月後に開催されるワールドカップに向け不安を残す。

Wカップ開幕直前、澤が1年振りに招集される。強化試合のニュージーランド戦では宮間のコーナーキックから、Wカップ決勝を思い起こさせるようなゴールを決める。既に36歳の澤に全盛期のようなプレーは望めなかったが、なでしこジャパンはまだ彼女の力を必要としていた。

女子ワールドカップ・カナダ大会

6月、カナダで第7回FIFA女子ワールドカップが開催された。日本の初戦の相手は、グループリーグ一番の難敵スイスだった。立ち上がりは体格に勝るスイスに押され気味だったが、29分大儀見が出した裏へのパスに安藤が反応する。

そして安藤のシュートをスイスGKがファールで阻止、日本はPKのチャンスを得た。キャプテン宮間が冷静にPKを決め日本は先制するが、ファールを受けた安藤は負傷し退場を余儀なくされた。

日本はこの後スイスの反撃を退け1-0で勝利するが、安藤は骨折しておりチームを離れることとなった。重要な戦力を失った日本だが、返ってチームの結束は高まった。続くカメルーン・エクアドルも撃破して、グループ1位となり決勝トーナメント進出を決めた。

6日間のインターバルを得た日本は決勝T1回戦のオランダを2-1、準決勝のオーストラリアを1-0と打ち破る。澤の出番は減っていたが、精神的支柱としてチームを支えた。

そして準決勝のイングランド戦前半は互いにPKで点を取るという展開で、1-1のまま後半戦に入った。後半イングランドの激しい攻めに日本は防戦一方となり、幾度もピンチに見舞われる。

だが、なでしこたちの必死の防戦でどうにか凌ぎ、後半もロスタイムとなった。終了のホイッスルが吹かれようとしていた時、熊谷がイングランドのパスをカットし右サイドに開いていた川澄にボールを出す。

ノーマークだった川澄がパスを受けると、すぐさまゴールへ走り込んでいた大儀見にセンタリグを送る。イングランドDFが川澄のセンタリングに足を投げ出してカットするが、勢いでボールは自陣ゴールへ吸い込まれていった。

こうして日本はギリギリの戦いの中、相手オウンゴールで2-1と勝利し決勝へ進むこととなった。決勝の相手はまたも宿敵アメリカ。大会2連覇が懸かった日本に、ロンドン五輪の雪辱を果たすチャンスが訪れた。

アメリカの逆襲とワンバックの引退

決勝戦は7月5日、バンクーバーのBCプレイス・ドームスタジアムで行なわれた。開始早々、アメリカはコーナーキックのチャンスを得る。そして高さに対応しようとしていた日本DFに、アメリカはグラウンダーの速いセンタリングを送る。

そこへ後方から走り込んできたロイドが石清水の防御をかいくぐりシュート、アメリカが先制点を挙げた。日本が予想しなかったトリックプレーで、アメリカはなでしこを徹底的に研究していたのだ。

その後もアメリカは日本の混乱を突き、ロイドがハットトリックを決めるなど16分までに3点を追加した。0-4とリードされた日本は苦しい状況に追い込まれるが、佐々木監督は大胆にポジションチェンジを行ない立て直しを図った。

そしてようやく落ち着きを取り戻した日本は、27分に大儀見のゴールで1点返す。すると佐々木監督は再び動き、33分にはロイドに対応出来ていなかった石清水をベンチに下げて澤を投入した。

後半に入りようやくペースを掴んできた日本は52分、宮間のフリーキックを澤が競い相手のオウンゴールを誘う。しかし2分後には点を返され、3点ビハインドのまま試合は終盤を迎える。そして79分にアメリカが投入したのが、アビー・ワンバックだった。35歳となっていたワンバックは、この大会は先発を外れることが多くなっていた。

試合は2-5で終了し、アメリカが大会3度目の優勝を果たした。ワンバックは4度目の出場にして初めてワールドカップの賜杯を手にし、この年を限りに現役を引退する。敗戦の責任を感じた石清水は試合終了後、涙に暮れたが内容は明らかに日本の力負けだった。なでしこのサッカーはライバル国に研究されおり、日本代表チームと選手たちにはさらなる進化が必要だった。

一時代の終わり そして次の世代へ

この年の12月、澤がシーズン限りの引退を表明する。その10日後の12月27日、澤の所属するINAC神戸レオネッサは、皇后杯の決勝戦に進んだ。この決勝戦で澤に有終の美を飾らせようと、INACのチームメイトたちは奮戦する。そして川澄のクロスから澤穂希が決勝点を挙げINACが優勝。澤はこれを置き土産に、24年に及ぶ選手生活へ別れを告げた。

16年の2月~3月、大阪でリオ五輪最終予選が行なわれた。参加したのは、日本・北朝鮮・韓国・中国・オーストラリア・ベトナムの6ヶ国。各国総当たりで、上位2チームに五輪出場権が与えられる事になっていた。

だが日本はオーストラリアと中国に負け、韓国にも引き分けて3位となり五輪出場権を逃す。佐々木監督はベテランと中堅・若手世代の融合を試みたが思うようにいかず、チームはまとまりを欠いてしまったのだ。

3月、コーチ時代から役10年間なでしこを指導し、一時代を築いた佐々木監督の退任が発表された。今度は日本サッカー協会理事として、女子サッカーを支援する立場となる。同年11月にはなでしこ主将の宮間あやが、所属する岡山湯郷Belleを上層部との関係悪化により退団、このまま選手活動を休止してのちに現役引退する。

こうしてひとつの時代が終わり、なでしこは次の世代へと移っていくことになる。

カテゴリー サッカー史

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