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キューブリックの「博士の異常な愛情」

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核の恐怖を描くブラックコメディー

スタンリー・キューブリック監督が1964年に製作した『博士の異常な愛情』は、東西冷戦真っ只中の世界情勢を背景にしたブラックコメディーである。映画の2年前の1962年にはキューバ危機が起こり、当時の世界情勢は核戦争の恐怖が現実的だった時代だった。この映画はそんな時代の危機的雰囲気を受け、米ソの核均衡による危うさや愚かさを喜劇的に描いている。

この映画の原作はイギリス空軍のパイロットだったピーター・ジョージの小説『破滅への二時間』で、シリアスに核の恐怖を描くというストーリーだった。だがキューブリックは、この物語をシリアスにするより笑いに替えることで不条理さが際立つと考え、風刺劇として作り直している。

そんな時代でもあり、同年に制作された『未知への飛行』(シドニー・ルメット監督)も同じテーマとほとんど似たようなプロットで作られた映画だ。『博士の異常な愛情』が風刺コメディであるのに対し『未知への飛行』が緊迫感溢れるシリアスドラマという違いはある。

しかし爆撃機によるソ連への核攻撃とか米ソ首脳のホットラインでの話し合いとか大筋はそっくりで、必死の対策虚しく核爆弾がモスクワに落とされるところも一緒だ。

だがさすが名匠シドニー・ルメット監督の作品だけあって『未知への飛行』は緊迫感に満ちた密室劇となっている。世界を救おうとするアメリカ大統領(ヘンリー・フォンダ)の苦悩が濃厚に描かれ、人間ドラマとしても秀逸だ。世界を救おうとする大統領の決断が衝撃的で、鑑賞後に苦い余韻を残すが見応えのある映画だ。

完全主義者 キューブリック

原題は『DR. Strangelove or: How I Learned  to Stop Worrying and Love the Bomb』だが、キューブリックはこの映画の各国タイトルを意訳ではなく、そのまま忠実に訳すことを求めた。

なので、日本語のタイトルも『博士の異常な愛情 又は私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』と原題通りである。ただ”Dr. Strangelove”は人名なので直訳では“ストレンジラブ博士”となるが、そこは日本側が上手く対処したと言ってよいだろう。

こういう風にキューブリックは作品の外国語訳にも徹底的に拘り、英語に再翻訳して自らチェックを行なっている。

1987年の『フルメタル・ジャケット』では戸田奈津子が字幕を担当していてが、彼女の意訳が気に入らず映画監督原田眞人にやり直させている。直させた言葉はニアンス無視の直訳で日本語としては変なのだが、そのストレートさが返って新兵訓練の不合理を表現することになった。

ピーター・セラーズの一人三役

『博士の異常な愛情』の主演には前作『ロリータ』に続いてピーター・セラーズが起用されている。そしてセラーズはこの映画でストレンジラブ博士の他、アメリカ大統領にイギリス空軍大佐と三役を兼ねているのだ。さらに米爆撃機機長の役も務める予定だったが、セラーズの怪我により代役が立てられた。

キューブリックはセラーズの演技に全面的な信頼を置き、ほとんどを彼の即興に任せている。すなわち彼のセリフの多くはアドリブで、最後のほうで興奮したストレンジラブ博士がナチス式敬礼をするシーンもセラーズが直前に考えついたものだ。

この場面、ストレンジラブ博士の後ろにはソビエト大使役のピーター・ブルがいた。ブルはセラーズの突然のアドリブ演技に驚き、思わず笑っている姿がそのまま映し出されている。

実はこのシーンの後に作戦会議室でパイ投げする場面もあったのだが、何回も試写を行ない喜劇になり過ぎるということでカットされた。

日本での評価

そして映画のラストは湧き上がる核爆弾のキノコ雲の映像に、ヴェラ・リンの歌う『また会いましょう』が被さるというブラックなシーンで締められる。この映画のテーマ性と作り込みの見事さは高く評価され、キューブリックは自己の作家性を確立する。

しかし日本では東京オリンピック開催中に公開されたのが災いしたのか、全くの不入りで早々に上映を打ち切られた。だがキューブリックの名声が高まるにつれ、この映画も日本で再評価されるようになる。

しかしこの映画は再上映されることも少なく、永らく幻の傑作と呼ばれていた。日本のファンがこの映画を見られるようになったのは、1980年代にビデオ化されてからである。

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