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キューブリックの「バリー・リンドン」

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原作はただのメロドラマ

問題作『時計じかけのオレンジ』のあとキューブリックが手掛けたのが、1975年公開『バリー・リンドン』である。18世紀のヨーロッパを舞台に青年の野望と没落を描く物語で、主演は70年公開の『ある愛の詩』で一躍スターとなったライアン・オニールが務めている。

3時間を越える上映時間に華麗な映像と悠然たる語り口で、文芸大作か歴史劇かと勘違いしてしまいそうだが、実はそういうわけではない。イギリスの作家サッカレーが1844年に出版した原作は、あまり知られておらずほとんど評価もされていない。この物語はピカレスク要素を含んだ、ただのメロドラマに過ぎなかったのである。

自宅のサッカレー全集に目を通したキューブリックは、彼の代表作『虚栄の市』を映画化しようと考えたが、長い物語を映画として纏められないと断念する。そこで次に目をつけたのが、同全集に収められていた『バリー・リンドン』だった。

18世紀の視覚化

インタビューによると、小説を読んだキューブリックは「この原作の趣を損なうことなく、映画に変換出来るのではないか」と興味が湧き「歴史物語の人物や空気を表現するのは、小説より映画の方が向いている」という考えから18世紀の視覚化へ挑んだと答えている。

この映画の製作には3年の歳月が費やされ、制作費1100万ドルに及ぶ大作となった。公開されると映像の美しさは誰もが認めたが、淡々とした語りが退屈だと観客の受けは今ひとつだった。

当時の批評家の感想も「驚くほどクールで知的な傑作だ」という前向きな評価の一方「美しいが空虚だ」とか「美術史の三時間スライドショー」「ドラマというより観察記録」だとか手厳しい。

観客や批評家の点が辛いのも当然だった。彼らは『博士の異常な愛情』『2001年宇宙の旅』『時計じかけのオレンジ』のような斬新さと刺激的な映像を期待していたのに、特に盛り上がりもない時代ものの文芸作を見せられ戸惑ってしまったのだ。

だがキューブリックは人間や人間ドラマを描くことに興味がない。それはこの『バリー・リンドン』でも同じで、映画に登場する人物は時代を彩る造形物に過ぎないのだ。

映像表現への挑戦

時代劇大作の主役としてライアン・オニールは線が細すぎるが、ドラマ性を求めないキューブリックにはそれで構わなかった。主役といっても役割は物語の進行役に過ぎず、構想を乱すほど目立たれても困るからである。

キューブリックがやりたいのは、18世紀ヨーロッパ風景の完全な再現である。その時代に描かれた写実的な風景画や人物画を、忠実に映像として写し出すことがこの映画のテーマなのだ。彼は時代の雰囲気造りに拘り、撮影でも技術的挑戦を試みている。

キューブリックは夜の屋内シーンを蝋燭の明かりだけで撮影しようと、NASAのために開発された驚異的に明るいレンズを取り寄せた。そのままでは撮影カメラに取り付けられなかったので、口径の近いカメラを探し出して改造する。さらに絞りやシャッターなど構造部分にも手を加えられ、ようやく18世紀当時を再現するような撮影が可能になったのだ。

キューブリックは勿論、構図にも拘った。計算し尽くされた絵画的構図は、18世紀の雰囲気を妖しく写し出している。使われる小道具や美術品は本物で、上流階級の人物は様式美を施し配置される。そのため画面の端や奥行きまでも全てが芸術で、何処を切り取っても美しいのだ。そこが“スライドショー”と揶揄される由縁でもあるのだが。

映像表現への挑戦という意味で思い通りの映画を造ったキューブリックだが、作品の評価は分かれ配給収入も伸びなかった。そこで次は商業的な作品で新しい物を造ろうとキューブリックは考え、取り組んだのが『シャイニング』である。

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