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水道橋博士著「芸人春秋」

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漂う「コレジャナイ」感

『芸人春秋』(正確には『藝人春秋』)は浅草キッドの水道橋博士が、芸能界の知人を観測しその姿を才知溢れる筆致で描いた人物評伝だ。

扱われる人物は、浅草キッドの師匠ビートたけしや松本人志といった大物芸人の他、音楽人の甲本ヒロトや司会者の草野仁など幅広い。堀江貴文や苫米地英人といった起業家や文化人も取り上げているのは違和感があるが、広い意味でのテレビタレントだということだろう。

水道橋博士の文章はかなり凝っていて、人によっては読み難いと感じるかも知れない。『一発屋芸人列伝』の山田ルイ53世の文章も技巧に走り過ぎるきらいがあったが、本書はそれ以上に言葉遊びが使われていて好き嫌いが分かれそうだ。だがデーブ・スペクターを、007シリーズに登場する悪の組織(Spectre)になぞらえた部分は少し笑ってしまったけど。

肝心の中身だが、期待し過ぎていたためか読みたかったのはコレジャナイ感が残った。確かに面白いんだけど、なんか話を盛っているという印象だ。稲川淳二やポール牧を扱った章なんか感動的で、泣けるエピソードなんだが嘘くささを感じないでもない。勿論実話ベースの話なんだろうけど、綺麗に纏め過ぎているのだ。

もっとストレートな芸人像を

特に三又又三を扱った章は、「どうだ上手く書いただろう」ってのを強く感じる。三又のように誰も関心を持たない芸人のエピソードを、自分の筆力でオモシロ話にしましたって所が鼻につく。

つまりこの『芸人春秋』は、実在の芸能人とエピソードを基にしたセミ・フィクションに見えてしまうのだ。だから芸人のより深い部分を知りたい自分には、コレジャナイ感が残ってしまう。

実際この本で扱われている人物の姿には、普段テレビを見て受ける印象以上のものがない。ただテレビそのままのタレントイメージを、より誇張して伝えているだけだ。だが自分が知りたいのは、タレントが普段テレビで見せない素の部分である。

そういったところに、人の面白さや深みがあると思うからだ。その意味でこの本は文章ばかり達者で、人間の描き方が表面的だと感じてしまう。

別に話は面白く無くても、ナンシー関のように本質を見抜くようなタレント論を読みたかった。ナンシー関の視点はユニークだったし、さらっと読める彼女の文章も上手いと思う。ただ、テリー伊藤のエピソードは面白かった。ディレクター時代の彼がどれだけ狂気を帯びていたか、多少の誇張はあるかもしれないが伺い知れて興味深かった。

やしきたかじんと橋下徹

この『芸人春秋』には『芸人春秋2』の上下巻という続編がある。その上巻はまだいいが、下巻となると猪瀬直樹や徳田虎雄・石原慎太朗に三浦雄一郎と、とても芸人の定義に入らない人物が扱われる。これら大物と張り合っているようなエピソードが実につまらない。この辺りの章に得るものを感じなかったので、遠慮せず読み飛ばさせてもらった。

だがその中で興味深かったのは、やしきたかじんと橋下徹の章だ。水道橋博士はコメンテーターを務めていた番組『たかじんNoマネー』を、本番中に降板宣言をするという事件を起こしている。

その時期のたかじんは闘病中で、番組を長期休養していた。そんな時にこの番組に呼ばれたのが当時大阪市長の橋下徹で、番組の終わり近くに彼の「小金稼ぎのコメンテーター」という発言が気に入らないと水道橋博士はスタジオを去って行ったのだ。

丁度この時の放送を見ていたのだが、水道橋博士が降板宣言をしてスタジオを去って行った時の印象は“ポッカーン”だった。なんでその発言が気に入らなかったのか不思議だったし、降板する意味も分からなかった。特に人気芸人とは言えない水道橋博士が降板しても、それほど影響力があるとは思えなかったしね。

それが『芸人春秋2』の下巻を読んで、ようやく事情を理解出来た。水道橋博士は橋下徹よりも、たかじん不在時に番組を仕切っていたプロデューサーに反感を抱いていたのだ。

彼が降板した理由は小者なりの意地と、芸人としてのパフォーマンスということだろう。でもその空気の読めないパフォーマンス、スベッってたし。水道橋博士は芸人というより、中途半端な文化人って感じだ。

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