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ルキノ・ヴィスコンティ「ベニスに死す」

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美と滅びの物語

71年の『ベニスに死す』は、イタリアの巨匠ルキノ・ヴィスコンティが20世紀初頭のベニスを舞台として、美と滅びをテーマに描いた作品である。原作はドイツの文豪トーマス・マンの中編小説で、自身の体験をもとに美少年へのめり込む男の、揺れる心を描いている。

トーマス・マンの小説では主人公の男は小説家となっているが、ヴィスコンティの映画では音楽家となっている。この音楽家はグスタフ・マーラーをモデルとしており、主演のダーク・ボガートも彼に似せた扮装をしている。またこの映画で使われる音楽も、マーラーの交響楽だ。

原作ではタッジオの美少年ぶりが筆を尽くして語られるが、まさにそれが現実の少年として映像に登場したのが、当時14歳のビョルン・アンドレセン。ヴィスコンティが奇跡と呼んだ美少年を得て、この魅惑的な映画は説得力を持つことになる。

この少年の圧倒的な美しさと、初老の男性に漂う死の臭い。この鮮やかな対比で『ベニスに死す』にはヴィスコンティの美学と死生観が悠然とした風格で描かれている。だから『ベニスに死す』は、観る者を惹きつけるのだろう。

アッシェンバッハの想い

ダーク・ボガート演じる音楽家・アッシェンバッハは西洋で訪れたヴェネチアで美少年タッジオを見かけ、たちまち虜となってしまう。そしてストーカーよろしく彼の姿を追い続け、少年もそれを知ってか男をもてあそぶかのように視線を送る。

若い頃この映画を見たときは、同性愛者の願望を描く耽美的な作品としか思わなかった。もちろん、ヴィスコンティがバイセクシャルであることも頭にあった。だが数十年ぶりにこの作品を見て、ダーク・ボガート演じる音楽家・アッシェンバッハが同性愛者として描かれていないことに気が付いた。

それはアッシェンバッハが妻と娘を回想するシーンでも分かるし、娼館を訪れることでも彼が性的にノーマルな男性だと表している。この娼館では、アッシェンバッハが男としての役目を果たせなかったようだ。このあとアッシェンバッハは夜の催しでタッジオとすれ違い、目を合わせる。

この時、娼婦相手に感じなかった胸の高鳴りに、アッシェンバッハはベンチに座って「愛してる」と呟く。それが同性愛としての感情なのか、完璧な美に対する溢れる想いなのか分からないが、彼は戸惑いから自分を解放したのだろう。

老いの残酷さと滅びの無情さ

映画の終盤、ヴェネチアの街にコレラの脅威が迫る。滅びに取り込まれたアッシェンバッハは滑稽な死化粧を施し、街を去って行くタッジオの後ろ姿を追う。

最後は人影もまばらな砂浜で、アッシェンバッハはタッジオの幻を見ながら椅子の上で死んでいく。黒い死化粧は汗で崩れ、老いの残酷さと滅びの無情さを浮き上がらせる。

この時ヴィスコンティ64歳、翌72年は『ルートヴィヒ』撮影中に病に倒れている。監督本人も忍び寄る老いと、その先にあるものを感じていたのかもしれない。

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