ビリー・ワイルダー「アパートの鍵貸します」




『お熱いのがお好き』に続き、ビリー・ワイルダーが撮った60年の『アパートの鍵貸します』は、ユーモアとペーソスに溢れた都会派コメディの名作だ。洗練された脚本と演出、お洒落でウイットに富んだセリフ、そして繊細でセンス溢れる演者という見事なアンサンブルで、極上のハートフル・ストーリーが繰り広げられる。

脚本はビリー・ワイルダーとI・A・L・ダイアモンド、主演にジャック・レモンとシャーリー・マクレーン。この作品はアカデミー賞の作品賞・監督賞・脚本賞・美術賞・編集賞の五部門を獲得、ジャック・レモンとシャーリー・マクレーンは、ゴールデングローブ賞で男女の主演賞に輝いている。

ジャックレモン演じるバクスターは巨大な保険会社の会社員で、お人好しでお調子者の明るい男だ。だが一方で、上司4人に浮気の場所として住んでいるアパートの部屋を提供し、彼らをローテーション管理で上手く廻す器用さと、見返りに昇進・昇給を求める抜け目のなさを持っている。

下手をすればただの軽薄な人物になってしまいがちだが、ジャック・レモンが演じると心優しく人間味溢れた男となる。そのバクスターが密かに想いを寄せるのが、エレベーターガールのフラン。シャーリー・マクレーン演じるフランが、どこの会社にもいそうな感じの良い女性で、人柄が描かれるうちにキュートさを増していく。


映画の最初で保険会社の広大なオフィスが写し出され、奥の方まで事務机がずらっと並べられている。そしてバクスターは昇進で前の机に移動するという、組織ヒエラルキーの解りやすいメタファーが展開される。観客はオフィスの広大さと机の多さに驚くが、これは遠近法を使ったトリック撮影で、狭くなっていく奥行きに合わせて、サイズダウンした机に子供や人形が配置されている。

バクスターの噂を聞きつけた人事部長のシェルドレイクが、不倫相手との逢い引のため部屋を貸すよう強要する。昇進をちらつかされたバクスターはそれを了承し、4人の上司に代わり部長が独占的に部屋を使用することになる。だがまだその時点では、シェルドレイクの不倫相手がフランであることをバクスターは知らなかった。

バクスターはあくまで遊びのつもりだったが、彼の妻と別れるという言葉をフランは信じていた。ある日バクスターは、アパートに忘れていったと思われる鏡の割れたコンパクトを部長に渡す。それは冷淡な扱いに不満を抱いたフランが、シェルドレイクに投げつけた物だったが、その時のバクスターは知るよしもない。

バクスターは一度フランをデートに誘い、すっぽかされてていた。だが部長の引き立てで管理職に出世したバクスターは気を取り戻し、会社のクリスマスパーティーの最中、強引にフランを仕事場の自室に誘う。

上機嫌で喋るバクスターは人事部長とのコネをほのめかし、フランにシェルドレイクから貰ったクリスマスカードを見せる。そのカードはシェルドレイクの家族写真で、彼との関係で悩んでいたフランを落ち込ませた。

それに気付かないバクスターは、さらに新しくあつらえた帽子を被って自慢し、フランに見栄えを尋ねる。その時フランがバクスターに差し出したのが、割れたコンパクトミラーである。

コンパクトを受け取り、鏡を見たバクスターから笑顔が消えた。彼は一瞬で全てを悟ったのだ。割れた鏡はフランの傷心を表現するだけでなく、バクスターが受けた衝撃を強調している。

ワイルダーは野暮なやり取りを排し、小道具ひとつでストーリーを転換させ、同時に登場人物の微妙な心理も描きだす。この名人芸には、もはや唸るしかない。

その直後部屋の電話が鳴り、受話器を取ったバクスターはフランに退出を促す。電話を掛けてきた相手はまさにシェルドレイクで、この日のアパートの空きを確認する内容だった。バクスターは自分の部屋を明け渡すことを承諾、「クリスマスツリーの用意もしてありますよ」とまで言う姿は悲哀に満ちている。どこまでも隙のない脚本だ。

そのクリスマスの夜、シェルドレイクの情の薄さと将来の展望のなさに、フランはバクスターのアパートで自殺を図る。時間を見計らい、部屋に戻ったバクスターはベッドに倒れるフランを発見、隣に住むドイツ生まれの医者に助けを求める。バクスターの女遊びの激しさが自殺の原因だと考えた医者は手当を施しながら「君はメンチュ(正しい人間)になりたまえ」と忠告を与える。

これはバクスターを誤解しての苦言ではあったが、目先の欲にとらわれた身勝手さと言う意味では、決して的外れの言葉ではなかった。そして無事にフランが意識を回復すると、バクスターが彼女の面倒を見ることで二人は次第に打ち解け合うようになる。

ここでバクスターが、テニスラケットを使いパスタを水切りするシーンが登場するが、レモンの軽妙でリズムカルな仕草は観客をほっこりさせる。

終盤、かつての不倫相手に浮気をばらされ、妻に家を追い出されたシェルドレイクは、フランとやり直すためバクスターにアパートの鍵を要求する。シェルドレイクの身勝手さに意を決したバクスターは、鍵をデスクの上に放り投げると自室に戻り帰り支度を始める。

そこに顔を出したシェルドレイクが「これは幹部社員用トイレの鍵じゃないか」と詰め寄ると、バクスターは「それでいいんですよ」と言って部屋を出ようとする。それでも高圧的な態度で鍵の引き渡しを求めるシェルドレイクに「僕は医者の指示に従っているだけです。メンチュになろうと決めたんですよ」とバクスターは捨て台詞を吐き会社を去って行った。そして物語は有名なラストシーンへ向かっていく。

この楽しい作品に感じるのは脚本の緻密さ、周到に張り巡らせた伏線、小道具使いの巧みさ、喜怒哀楽を描く監督の確かな腕。日本でも似たような設定のドラマが多く作られたが、それらは『アパートの鍵貸します』に遠く及ばない。まさに全てが揃ったロマンチック・コメディの最高傑作だ。

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