東映、戦後初期のオールスター映画「日輪」

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東映オールスター映画「日輪」

映画スター不在の今では観ることができなくなってしまったが、かつて日本映画には“オールスター映画”というものがあった。代表的なのが『忠臣蔵』で、日本映画最盛期の1950年代には各映画会社がこうした大スター共演の豪華大作を競うように作っていた。

その中で異色作と言えるのが53年の東映映画『日輪』である。原作は横光利一のデビュー小説で、邪馬台国の卑弥呼を中心に古代人の愛憎を描いた物語だ。

“王女ヒミコ”役を木暮美千が務め、彼女を巡り片岡千恵蔵演じる“ヤマト王ハンヤ”と市川歌右衛門演じる“ナコクの王子ナガラ”が争いを繰り広げるという内容である。他に月形龍之介、大友柳太朗など。

ソフト化されていないこの映画を見るのは難しいが、まだ文字の存在しない前期古墳時代のはずなのに、矢文で決闘状が届けられるという、時代考証を無視したおおらかな作品のようだ。東映オールスター映画のはしりでもあるこの作品は、戦前からの時代劇スター、片岡・市川の両御大が本格共演を果たした最初の映画でもある。

片岡千恵蔵と市川歌右衛門の大御所共演

東映は撮影にあたり、両御大の出演場面・カット数・アップの回数、がまったく同じになるよう気を遣ったようだ。この撮影を難なくやり遂げたのが監督の渡辺邦男。早撮り名人として有名で、通常1ヶ月以上かかる撮影を1週間で取り終えたり、同じく早撮りで知られる稲垣浩監督と早さを競い合ったというエピソードを持っている。

早いだけでなく腕も確かで、娯楽作専門の監督としてヒットを連発、不振だった映画会社を救ったこともあった。またGHQと対等に渡り合うなど、その剛毅さで“渡辺天皇”の異名を持っていた。

もう一人、東映で天皇と呼ばれていたのが、この映画の脚本を担当した比佐芳武。GHO統治下で時代劇が封じられていた頃、『多羅尾伴内シリーズ』や『金田一耕助シリーズ』のシナリオを執筆、時代劇スター片岡千恵蔵を現代劇で蘇らせた。

こうして東映の功労者となった比佐が撮影所を訪れると、事務室で机に向かって仕事をしていた社員たちが手を止め、一斉に立ち上がって挨拶をしたというエピソードがある。

日本映画黄金期の華

このように大物が集まって作られた作品だが、心配されたようなトラブルはなかったようだ。心配された片岡千恵蔵と市川歌右衛門の関係も、思った以上に良好で争いが起こることはなかった。二人ともプロダクション経営で苦労した経験を持ち、また東映重役という立場をわきまえた大人だったのだ。

『日輪』はヒットしなかったようだが、御大二人の関係が上手くいった事で『赤穂浪士』などの東映オールスター映画が次々に作られる。最盛期には、中村錦之助(萬屋錦之介)・東千代之介・大川橋蔵・美空ひばりなど若手スターも加わり、一層豪華さを増していった。

そうなると、苦労するのが宣伝部。ポスターを作る際、それぞれの取り巻きが細かく注文をつけてくるため、宣伝部員はミリ単位に神経を配り配列を決めなければならなかったようだ。そのため担当員は、オールスター映画の時期になると気苦労のため2キロは痩せたというエピソードがある。

結局、片岡・市川のスター共演映画は63年の『勢揃い清水港』まで8本を数え、東映の全盛期を彩ることになる。

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