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野副正行「ゴジラで負けてスパイダーマンで勝つ」

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ハリウッド買収

『ゴジラで負けてスパイダーマンで勝つ:わがソニー・ピクチャーズ再生記』は、“ソニー・ピクチャーズ・エンターテインメント”(以下、SPE)の副社長・共同社長を務めた野副正行氏が、どん底にあった映画会社再建の経緯を描くビジネスストーリーだ。ハリウッド映画制作の実態が、経営に関わった人物の目線で描かれていて面白い。

1980年代、世界に冠たるエレクトロニクス企業となったソニーは、エンターテインメントに事業の裾野を広げ経営の多角化を図る。

その流れの中でバブル経済最盛の89年に行なわれたのが、ハリウッドの映画会社 “コロンビア・ピクチャーズ” 買収によるSPEの設立である。映画事業への進出は、ソニーの盛田昭夫会長や大賀典雄社長にとって夢のひとつだったのだ。

買収金額は、子会社のトライスター・ピクチャーズと合わせて46億ドル(当時の為替レートで6,500億円)。オープニングのトーチを掲げる女神像で有名なコロンビアだが、由緒ある映画会社を買収されたアメリカ国民の反発は激しく、ソニーに対して激しいバッシングが起きた。

そのためソニーはSPEの経営を、すべて現地アメリカ人に委ねざるを得なくなる。だがそれはソニーにとって、大きな間違いだった。

ソニーの誤算

ハリウッド事情に疎いソニーは、SPEの事業を大賀社長と関係の深いソニー・アメリカの責任者マイケル・シェルホフに丸投げし、統括の全てを彼に任せた。そしてシェルホフがSPEのトップに据えたのが、ピーター・グーバーとジョン・ピータースの売れっ子プロデューサーコンビである。

だがこの二人は当時ワーナーブラザースと5年の制作契約を結んでおり、ワーナーとすれば突然プロデューサーを引き抜かれる形となった。そのためワーナーは、ソニーに対し損害賠償を求めるようになる。

そのうえ二人が代表を務めていた制作・企画会社が、利害相反の規定に抵触しかねないことも問題となる。ソニーはその会社を相当な額で株主から買い取り、ワーナーとも和解契約を結んで解決を図った。結局ソニーは海千山千の揃うハリウッドの洗礼を浴び、多額の追加資金を払わされることになったのだ。

プロデューサー時代のグーバーとピータースは、堅実に題材を選び『レインマン』や『バットマン』などのヒット作を生み出していた。しかし当時のハリウッドの映画制作はどんぶり勘定で、経営者としての手腕が未知数だった二人をトップに据えたのは、あまりにもリスキーな選択だったと言わざるを得ない。

大手映画会社のトップに就任した二人は気が大きくなったのか、多額の制作費と宣伝費をかけた超大作路線を取ることになる。そのとき作られたのが、ウォーレン・ビーティの『バグジー』やスティーブン・スピルバーグの『フック』、アーノルド・シュワルツェネッガー主演『ラスト・アクション・ヒーロー』などだが、いずれも大赤字の失敗作となってしまった。

二人は映画制作にコストを掛けただけでなく、オフィスを豪華に改修するなど経営は放漫で、会社の経費を湯水のように使った。その派手さはハリウッドでもゴシップの対象となり、二人の乱脈経営が白日のもとに晒される。それと同時に親会社のソニーも管理能力の無さを指摘され、コロンビア映画買収は間違いだったと批判の声があがる。

再建への道

SPEのNo,2だったピータースは、批判を受け就任15ヶ月で辞任する。だがNo,1のグーバーは、映画制作の失敗が続いたにも関わらず94年まで会長兼CEOを続けている。実はSPEの管理を任されていたアメリカソニーのシェルホフは、クーバーと家族ぐるみの付き合いをするほど仲が良く、ソニー本社への報告もおざなりに放漫経営を続けさせていたのだ。

しかし、SPEの評判の悪さがソニーブランド全体のイメージに悪影響を及ぼし始め、ついに映画事業への大ナタが振るわれることになる。ソニーはグーバーを辞任させた後、連結決算で総額32億ドルの損失額を計上、映画事業の失敗を認めて立て直しに着手する。

シェルホフはソニー・アメリカのソフト事業への貢献が大きく、本社・大賀社長による信頼は厚いものだった。95年に新社長となった出井伸之は会長に退いた大賀を説得し、シェルホフを辞任させる。そしてSPEをソニー本社で直接管理するよう、システムを改めたのだ。

暫定社長を置いたのちSPEのトップとして招聘されたのが、ハリウッドの誠実なベテラン映画人ジョン・キャリーだった。そして彼の補佐役の一人としてソニーから派遣されたのが、この本の著者・野副正行氏である。こうしてSPEの経営陣は一新され、大手スタジオ6社で最下位となった業績の回復に取り組むことになった。

ソニーの買収からすでに7年が過ぎていたが、長い低迷期に従業員は自信を失い、スタジオ売却の噂に士気も低下していた。そこで新経営陣は会社の方針を明確にし、目標を従業員に伝えることで労働意欲を喚起する。そうした改革のとっかかりで運良く生まれたのが、96年のトム・クルーズ主演『ザ・エージェント』のヒットである。

『ゴジラ』への期待

アカデミー賞候補にもなったこの作品のヒットで社内の士気は上がり、このあと少しずつ業績が伸びていった。そして97年、SPEが力を入れて制作したのが、ウイル・スミスとトミー・リー・ジョーンズ主演の『メン・イン・ブラック』だ。この作品は、スピルバーグやバットマンの新作を上回る大ヒットを記録、同年公開の『エアフォース・ワン』や『恋愛小説家』も好評で、SPEはようやく息を吹き返し始める。

新社長・ジョンの謙虚でオープンな経営スタイルは従業員の信頼を得て、映画だけでなくテレビ部門も業績を伸ばしていった。またSPEとソニー本社の風通しも良くなり、グループ内における相互理解も深まっていた。そんな中、もう一段階のステップアップを狙い、98年に制作されたのが『GODZILLA(ゴジラ)』ハリウッド版である。

ゴジラはアメリカでも人気があり、買収される前のトライスターが著作権を持つ東宝と映画化の話を進めていた。だがキャラクター版権の問題などで交渉がもつれ、企画は一時中断してしまう。しかしトライスターの母体がSPEとなったことでソニーと東宝のトップ会談が行なわれ、ようやく契約が結ばれることになった。

ゴジラの映画化には大掛かりなVFX撮影が必要で、巨額の制作費を避けられないというリスクがあった。それでもゴジラという有名キャラクターには熱心なファンがおり、ヒットすればシリーズ化やキャラクター商品による莫大な収益も望める。このビッグプロジェクトには、SPEの命運をかける価値があったのだ。

監督に起用されたのは『インデペンデンス・デイ』のローランド・エメリッヒ。特撮映画のスペシャリストだ。だが日本生まれの怪獣に対する愛着も拘りもないエメリッヒにとって、ゴジラは爬虫類の進化形としか写らず、彼が考え出したのは巨大イグアナのような生物だった。

こうして作られた新ゴジラのデザインを見た東宝の反応は、「これはゴジラではない」という否定的な意見と「これだけ違った方が、返って望ましい」という意見に分かれた。結局東宝は、キャラクター造形を監督の望む姿で構わないと承認を出す。いずれにしてもキャラクターのグッズ化を考えれば、日米のゴジラ造形に差をつける必要があったのだ。

エメリッヒ版  “GODZILLA” の失敗

制作を担当したトライスターはエメリッヒ監督を信用し、撮影を全面的に任せた。そうすると監督のCGに対する拘りはエスカレートし、完璧を求める追加作業は止まらなくなった。その結果制作費は膨れあがり、当初予算の1億ドルを30%も超過してしまう。

完成した映画は、封切りに先駆けて開催したワールドプレミアで上映された。こだわりのCG映像が関係者の高評価を得るなど、ワールドプレミアでの評判は上々だった。だが、いざ一般公開が始まると客足は伸びず「人間のキャラが立っていない」とか「画面が湿っぽくて暗い」という悪評も聞こえてきた。

だがやはり一番の問題はゴジラの捉え方だった。ファンにとってのゴジラとは、“荒ぶる神”であり重量感溢れるモンスターのイメージだ。しかし『GODZILLA』に登場するのは身軽に動く恐竜型エイリアンで、『ジュラシック・パーク』の亜流にしか見えない。こうしてファンの総スカンを喰ったエメリッヒ版“GODZILLA”はシリーズ化が検討されることも、グッズが売れることもなく失敗に終わってしまう。

こうして上昇傾向にあったSPEの業績は腰を折られる形になり、組織はもう一度見直しを迫られることになる。そして強い仕組みを作り上げたSPEは、02年のサム・ライミ監督『スパイダーマン』で雪辱を果たすことになるのだ。

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