ラグビーWカップ 南ア戦を戦った男たち

スポンサーリンク

今週のアナザーストーリーズは『世紀の番狂わせ~そして彼らはヒーローになった~』。2015年のラグビーワールドカップ・イングランド大会で、日本代表は優勝候補南アフリカと戦い逆転勝利、世紀の番狂わせを演じた。番組では万年弱小チームと呼ばれた日本代表選手の戦いと成長を、南アフリカ戦に焦点を当てて描いたインタビュードキュメントだ。

日本ラグビーは国内でブームが起きることはあっても、対外試合で負け続けていた代表戦に関心を寄せるファンは少なかった。そして選手にとっても、日本代表はさほど目指そうという場所ではなかったのだ。

ラグビーにはその国の国籍を持たなくても、3年の居住実績があれば代表選手になれるという独自のルールがある。そのため監督によっては外国人選手への依存度が高く、番組で五郎丸選手が言っていたように「どこ国の代表だよ」という状態の時もあった。

ラグビーのワールドカップは1987年に始まり、日本はその第1回大会から参加しているが、それまでの戦績は1勝21敗2引き分けと敗北の歴史だった。弱小国ジンバブエに唯一の勝利を挙げているほかはカナダと2引き分け、世界No,1のニュージーランドには17-145とWカップ史に残る大惨敗を喫したこともあった。

09年にワールドカップが日本で開催されることが決定。11年、NZワールドカップで日本が3敗1分けに終わると、エディー・ジョーンズがヘッドコーチに就任することになった。エディーはオーストラリア出身だが、母親は日系アメリカ人。プロとして初めてコーチしたのが東海大学で、日本代表のアシスタントコーチを務めたこともあり、日本とは深い縁を持っていた。

その後ワールドカップやスパーラグビー・リーグなど世界の大舞台で実績を残し、エディーは世界的な指導者となっていた。11年にはサントリーのGM兼監督として日本で活動、日本ラグビー協会は代表強化の切り札として、彼に代表HC就任を要請したのだ。

エディーは「ジャパン・ウェイ」を掲げ代表の指導にあたる。代表のスタイルは日本人の特徴を生かすことを目指し、足りない部分を外国人選手で補う。選ばれた外国人選手も日本を愛し、母国代表より日本代表を選んだ選手もいた。彼らは『君が代』を練習し、名前もトンプソン ・ルークから日本式のルーク・トンプソンに替えるなど、日本マインドで戦ったのだ。

妥協を許さないエディーの指導は厳しく、選手たちは地獄の特訓を課された。またミスプレーに対しても容赦なく罵倒を浴びせ、反発した選手と険悪な雰囲気になることも度々だった。そんなとき双方の間で板挟みになりながら、チームリーダーとして話し合いに努めたのがキャプテンの廣瀬俊朗だ。

エディーは自分と選手の間で衝突が起きることは、織り込み済みだったのだろう。だがら代表選手として一番最初に選んだのが、リーダーシップを持つ廣瀬だった。だがエディージャパンの3年目、力の衰えからか廣瀬は主力から外され、キャプテンの座も降りざるを得なくなる。

落胆した廣瀬は一時ストレス症に陥るが、自分の役割を見つけると新キャプテンのリーチ・マイケルをバックアップ、Wカップではベンチ外となりながら選手たちを支え続けた。

エディジャパンはWカップ初戦の南ア戦に照準を合わせ、1年前から徹底した対策を施した。日本の戦略は粘り強い守りで南アのミスを誘い、五郎丸選手のペナルティーゴールで得点を獲ること。そのためメンタルトレーニングでルーティーンを明確化、ミスを減らさせた。そしてリロードを鍛え、素早く相手のプレーに対処出来るよう鍛えていった。

さらには格闘家を呼び、日本人の体格を生かした低くて早いタックルを学ばせると、フランスからもスペシャリストを招聘しスクラムを強化させる。そして主審のレフェリングをシミュレーションし、意識させるなどの周到な準備を重ねていった。

15年9月19日、ロンドンのブライトン・コミュニティ・スタジアムで日本と南アフリカの試合が行なわれた。開始7分、五郎丸選手のペナルティーゴールが決まり日本が先制すると一気に雰囲気は高まった。その後南アに逆転されるも、29分に日本はスクラムで南アを押し込みトライを奪う。

日本は力攻めにかかる南アにダブルタックルで対抗、相手の猛攻を食い止める。実力に勝る南アはトライで日本を突き放そうとする。だが日本は冷静な試合運びで南アに食いつくと、残り20分で22-22の同点に追いついた。

ここから逆転劇のキーマンとなった立川理道が活躍する。試合の直前に先発予定のクレイグ・ウイングが負傷、立川選手はその代役として試合に出場していた。日本が再びリードされた後半29分、それまでボールを持って突進し潰れ役となっていた立川が、タックルされる前に初めてパスを選択、相手の守りを混乱させる。

そこからボールは右サイドに展開、五郎丸選手のトライが決まり29-29となった。立川選手の突進プレーで餌をまき、ここぞという場面で相手を騙す「府中12」と呼ばれるサインプレーだった。

残り9分、日本がタッチライン前で反則を犯すという絶好のチャンスに、南アはスクラムではなくペナルティーゴールを選択する。このキックで南アは3点をリードするが、トライのチャンスがあったスクラムを選ばなかったのは、南ア選手の体力が消耗し弱気になっている証拠だった。

残り10秒、タッチライン前で南アがファールを犯し、日本に最後のチャンスが訪れる。HCのエディーからは同点となるキックの指示が送られるが、主将のリーチ・マイケルを始め選手たちが選んだのは逆転狙いのスクラムだった。体格では劣る日本だが、フランス人コーチのもと鍛え上げたスクラムの技は、そう簡単に崩されないという自信もあった。

両チーム、スクラムの押し合いからボールが日本選手にこぼれる。時間はロスタイムに入り、プレーが止まればそこでノーサイド、日本の敗北だ。両チームの選手は何度かつぶし合いを繰り返しながら、右サイドへ展開する。そこからスペースを求め日本が逆サイドにボールを繋ぐと、立川選手が南アに通じないとエディーから禁じられていたロングパスを繰り出す。

ボールを受けたマフィ選手は相手を抑えながら左サイドに向かってラン、外を走っていたヘスケス選手にパスをする。ヘスケスは相手のタックルを寸前でかわしトライ、日本は34-32と南アフリカを撃破し歴史的な逆転勝利を収めた。

エディーに鍛えられた日本代表は期待以上に成長、エディーを越えた自主的な判断が最高の結果を残したのだ。

スポンサーリンク
スポンサーリンク




スポンサーリンク




シェアする

フォローする

スポンサーリンク
スポンサーリンク