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スピルバーグ「プライベート・ライアン」

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永遠の映画小僧 スピルバーグ

1974年の『続・激突!カージャック』で劇場映画デビューを果たした、スピルバーグの監督歴も今年で45年。テレビドラマの演出歴も合わせればもう50年近いが、この間ずっと一線級の監督であり続けたのは驚異的なことだ。

もちろんそれは、永遠の映画小僧・スピルバーグが絶えず映画製作の情熱を持ち続けているからだが、それだけなく彼がヒットメーカーであり続けたことで、自らが監督したい作品を選べる環境にあることが大きい。

またスピルバーグはハリウッド屈指の早撮り監督として知られ、作品の大きさに比べ驚くほど製作費を安くあげている。そのためチャレンジングな作品づくりをしたとしても、リスクを最小限に抑えているのが長持ちの秘訣だろう。

例えば、今回取り上げる『プライベート・ライアン』 どう考えても手間とお金がかかりそうな大作の戦争映画だが、スピルバーグはこの作品を撮影日数60日・製作費7千万ドルで仕上げている。

同くらいの時期に作られた『タイタニック』が2億8千万ドル、『バットマン&ロビン』が1億2千万ドル、『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』が1億1千万ドル費やしているのを考えると、この規模の作品としては信じられないくらいの効率の良さだ。

巨匠への道程

スピルバーグを早撮り名人にさせるきっかけとなったのが、79年『1941』の失敗だ。この作品は『ジョーズ』『未知との遭遇』を立て続けに大ヒットさせ、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった33歳のスピルバーグが自信満々で作ったコメディ映画である。

完璧を求めたスピルバーグは、通常は第2班に任せるようなインサート・ショットにも首を突っ込み、20テイクをかけるなど細部に拘った結果、予算も撮影日数も膨れあがっていった。そのため映画は過剰な仕掛に溢れたものになり、あまりのゴチャゴチャ感で見づらい作品になってしまったのだ。

『1941』は内容も興行的にも失敗作となり、のちにスピルバーグも「この時期、天狗になっていた」と反省することになる。そして教訓を得て作った81年の『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』は『1941』の半分程度の製作費で作られながら、その何倍にも及ぶ収益を上げることになった。

さらに82年『ET』の大成功で名声を確立させると、重厚な反戦ドラマ、93年の『シンドラーのリスト』でも手腕を発揮し、念願のアカデミー作品賞を受賞する。その後数年の休養期間を経て作った2本の作品のあと、52歳の最充実期に監督したのが98年の『プライベート・ライアン』 戦争映画を変えたと言われる傑作で、アカデミー監督賞にも輝いている。

スピルバーグはそれまで『1941』『太陽の帝国』『シンドラーのリスト』など、第二次世界大戦を背景にした映画はあったが、戦争を正面から描いた作品はなかった。常々人間ドラマとしての戦争映画を作りたいと考えていた彼が、一読して「まさにこれだ」と声を上げたのが『プライベート・ライアン』の脚本だった。

この脚本がトム・ハンクスにも送られていた事を知ったスピルバーグは、すぐに彼へ電話をかけた。そして2人して「一緒にやろう」と口にした言葉により、一日で映画の製作が決定する。

迫力の戦闘シーン

この映画は大まかに言って、3つの部分で構成されている。そのうち第1幕の冒頭25分余りにわたるオマハビーチの戦闘シークエンスは、映画史に残るほどの迫力と生々しさを感じさせるものだ。待ち構えるドイツ軍の機関銃と砲弾の前に、次々と餌食になってしまう連合軍兵士。肢体が飛び散ったり、炎に包まれたりと凄惨な描写が続く。

ファンタジーやSF、アドベンチャー作品をフィールドとするスピルバーグだが、一方でこういった現実の悲惨さも描けるのが彼の凄さだ。連合軍兵士が海中で敵の弾に射貫かれるシーンは、水の抵抗力を考えれば誇張表現だが、斬新で視覚的な刺激に溢れており、のちに多くのアクション映画で真似されることになった。

この戦闘シーンは、手持ちカメラのブレとシャッタースピードを遅くした撮影によるカクカクした動き、そして銀残しによる映像処理で、戦場の混乱と荒々しさが臨場感を持って写し出されている。オマハビーチの戦闘場面は、何が起こるか分からない戦場のように即興まじりで行なわれ、結果撮影に24日を費やすことになった。

ライアン二等兵捜索隊

第2幕では、オマハビーチの激しい戦闘を生き残ったミラー大尉(トム・ハンクス)に、空挺降下により敵地で行方不明になったジェームズ・ライアン二等兵(マット・デイモン)を捜し出し、帰国させるよう命令が下る。ライアンの兄3人は、オマハビーチの戦闘を含む戦いで戦死、彼らの母親へ一度に訃報が届いてしまったのだ。

こうしてミラー大尉は、捜索のため自分を含めた8人の分隊を編制する。スピルバーグはこの映画を作るに際し、『アラビアのロレンス』と『七人の侍』を参考にしたと言っている。ロレンスの孤独で人間的な英雄の精神性はミラー大尉に投影されており、部下たちの人物造形は『七人の侍』によるところが大きい。

特に通訳として強制的に捜索隊に組み入れられたアパム伍長は、『七人の侍』でいえば最年少者の勝四郎(木村功)に近い役割。ただアパムは陰の主役的存在なので、勝四郎よりその重要度は高い。

狙撃の名手ジャクソン二等兵は、剣豪の久蔵(宮口精二)ぽい。久蔵は雨中の決戦で野伏せりに銃で撃たれるが、『プライベート・ライアン』ではカパーゾ二等兵(ヴィン・ディーゼル)が雨の中、敵の狙撃を受け死んでしまう。

この捜索の道行きで2人が犠牲になり、1人の男を救うため分隊が危険を冒す意味があるのか、部下たちの葛藤と対立を描きながら物語は進む。

厚みのある人間ドラマと活劇の冴え

第3幕は、ようやくライアン2等兵を捜し当てたミラー大尉たちが、敵地で取り残された混成部隊とともに前線の橋を守るため、攻めてきたドイツ軍と戦うクライマックス。冒頭のオマハビーチ戦闘シーンがシリアスに撮られているのに対し、こちらはかなり活劇風に撮られている。

静から動に変わる緩急の巧みさはさすがスピルバーグ、手際の良い演出を見せる。地響きで驚異を感じさせるタイガー戦車は、まさに背びれだけで怯えさせるジョーズのようだ。

作り込まれたオープンセット・ラメールの街で、劣勢を強いられながらも奮闘するミラー大尉たち。そんな活劇的展開の中でも、アパムを通して人間の弱さや戦争の愚かさを描き、厚みのあるドラマも見応え充分。

しかし終盤、瀕死の重傷を負ったミラー大尉が近づいてくるタイガー戦車に拳銃で抵抗、大爆発という奇跡が起こったと思ったら・・・の場面はちょっとやり過ぎ。

あまりに劇画的で、せっかく作った重厚さを弱くしてしまっている。まあ、もとは活劇指向のスピルバーグ監督、思いついたアイデアをやりたくてしょうがなかったのだろう。

犠牲の上に成り立つ平和

結局ミラー大尉の分隊は、アパムを残し全滅する。ラストは生き延びて救出され、そして年老いた現在のラインアンがミラー大尉の墓参りをするシーンで終わる。ライアンは子供や孫を連れており、ミラー大尉たちの犠牲が無駄ではなかったことが示される。

でも犠牲になった若い部下たちも、生きていれば同じように家族を作っていただろうし、ちょっとスッキリしない。それにセンチメンタル過ぎる扱いも、どうかなと思う。

だがスピルバーグはこの映画を、自分の父親を始め、第二次大戦を戦った人たちに捧げる作品と言っている。つまり皆さんの献身のおかげで今の自分たちがあるって事で、このラストが最善の締め方ということなのだろう。

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