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映画「八甲田山」

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日本を代表する脚本家 橋本忍

77年公開の『八甲田山』は、新田次郎の小説を原作に、明治の雪中軍事訓練で210人中199人が犠牲になった歴史的山岳遭難事件を描いた映画。脚本と製作は去年の7月19日、100歳で亡くなられた名シナリオライター橋本忍。監督は“黒澤組”でチーフ助監督を務め、橋本とも盟友だった森谷司郎。

黒澤明監督『羅生門』や『七人の侍』などの共同シナリオで有名な橋本だが、黒澤から離れたあとも骨太の人間ドラマを書いてヒット作を生み続け、日本を代表する脚本家として認められるようになっていた。そして73年には映画製作会社『橋本プロダクション』を立ち上げ、松本清張の『砂の器』を映画化、並程度の原作を傑作に生まれ変わらせたと評価される。

そして『砂の器』で監督を務めた野村芳太郎が面白いと橋本に勧めたのが、新田次郎原作『八甲田山死の彷徨』である。日露戦争前夜の不穏な時代を背景に、指揮官の資質に左右される軍隊の悲劇と絶望を、大自然の尊厳の中で描写しながら組織論を交えて書かれた小説。もちろんフィクションなので、史実とは違う部分もある。

冬山のロケ

この映画は『砂の器』の企画と平行して、橋本プロダクションでの製作が検討されていた。そして製作が決定すると、橋本は当初群馬県の温泉地などを撮影の候補地としロケハンを行なったが、やはり本物の空気感が大切だと実際の八甲田での撮影を決める。

冬の八甲田山系踏破が日本でも一番厳しいとされるのは、この地域が世界有数の豪雪地帯であり、津軽海峡と日本海からの強い風で年中猛吹雪に見舞われてしまうからである。こういった危険と困難が予想される現場の、チーフカメラマンに選ばれたのが木村大作。黒澤組で腕を磨いた、バイタリティ溢れる名物カメラマンだ。

当時35歳とまだ若かった木村は、メインで撮影を任せろと監督に直談判。そして撮影が始まり撮影を任された彼は「監督がOKを出す前に、先にOKと言うカメラマン」と、高倉健に面白がられることになる。

気まぐれな自然を相手に命懸けの撮影が、年をまたぎ長期に渡って行なわれた。高倉健・北大路欣也・三國連太郎・加山雄三・緒形拳などの豪華キャストが3年間、冬の雪山で拘束されることになったが、事故のリスクも考えれば今では考えられないことだ。

ちなみに高倉健は『八甲田山』冬のスケジュールの間を縫って、同時期に山田洋次監督の『幸せの黄色いハンカチ』にも出演している。

過酷を極めた撮影

厳冬の険しい山の中、撮影に携わるスタッフは最小限の人数に絞られ、-30°以上に及ぶ寒さの中で文字通り過酷な撮影が続いた。まさに自然相手、丁度いい吹雪を待っての数時間に及ぶ待機は日常茶飯事。そのスタンバイの間、役者やスタッフたちは雪上に足跡を残さない為、動くことさえ許されない。

だが吹雪いたら吹雪いたで、限界を超えた冷たさに俳優・スタッフは目も開けられない状態。主役の高倉健でさえ「凍死寸前だった」と週刊誌のインタビューに答えている程だ。あまりの寒さに、ヒーターを当てていても撮影機材がストップしまう環境。

配線コードは一度凍結したら使い物にならず、度々の中断にヒステリーを起こした監督は、懐で予備コードを暖めていたスタッフに「早く替えて!」と絶叫する有様だった。

こういった厳しい撮影環境下、メインキャストの中にも軽い凍傷にかかる俳優がいた。それどころか防寒具の不備による凍傷で、耳が落ちかけたカメラ助手も出たくらいだ。ついには耐えきれなくなったエキストラ数人が、撮影現場から逃亡するトラブルも起きている。

朝6時起きで7時半に出発すると、夕方4時半まで撮影、時には11~12時の夜間ロケが行なわれるなど、過酷なスケジュールが続いており俳優たちにも我慢の限界が来ていた。

ついには寒さと疲れで、森谷監督に指示されても俳優たちが動かなくなってしまう。その時突然、撮影の木村が極寒の十和田湖に飛び込み、胸まで水に浸かると「キャメラここ!」と叫ぶ。その仰天パフォーマンスに、驚いた俳優たちもようやく動き出した。この時高倉健は「あいつは頭がおかしいから、言うことを聞いたほうがいい」と周りのキャストに呼びかけたそうだ。

歴代最高の大ヒット

苦労した撮影もようやく終了、映画は77年6月と季節外れの時期に公開されたがたちまち大ヒット、当時の邦画として歴代最高となる配給収入25億円を記録した。高倉健はこの『八甲田山』と、同年に公開された『幸せの黄色いハンカチ』が評価されて任侠スターのイメージから脱却、役者としての幅を広げていった。

ただひたすら人が死んでゆく暗い題材と、上映時間の2/3が真っ白な雪山という単調な映像。しかも変化の少ない地形に、テロップが入っても行軍の行程と位置関係が掴みにくい。また俳優たちも、防寒着と雪に覆われてアップにならないと誰が誰だか分からないなど、このマイナス要素だらけの映画がヒットすると考えた者は少なかった。

しかしその映画が大ヒットを記録したのは、本物の厳しい自然を背景にした映像の迫力と、極限の状況に追い込まれた俳優たちの鬼気迫る演技によるものだろう。デジタル技術が発達し、コンプライアンスも厳しくなった現在では、こんな滅茶苦茶な撮影を行なうことはないし、重厚感を出せる役者もほとんどいない。もはや日本では、二度と作る事が不可能な映画だろう。

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