C・イーストウッド監督「許されざる者」




89歳となった今でも、監督に俳優にと元気なハリウッドの大御所・クリント・イーストウッドだが、初めて彼の作品がアカデミー賞に輝いた(作品賞・監督賞など4部門)のが92年の西部劇『許されざる者』である。

かつて隆盛を誇った西部劇も、70年代から人気の衰えが顕著となり、90年代には製作されることも稀になっていた。イーストウッドの『許されざる者』はそんな西部劇を「終わらせた」とされる作品だ。この映画は、イーストウッドの師であるセルジオ・レオーネ監督とドン・シーゲル監督に捧げられている。


初期の西部劇は、信念ある開拓者が先住民や無法者と戦いながら、困難に立ち向かうという冒険活劇だった。それがジョン・フォード監督の、西部を生きる人々を情感豊かに描く作品など幅が広がり、アクションから人間ドラマまで、多彩な面を持つジャンルとなる。

だが人権意識の高まりから、次第に対先住民という図式が崩れ始め敵も多様化、舞台も中南米やカナダ・アラスカなど、西部劇の定義も曖昧になってくる。また、マカロニウエスタンが人気を博すと、それに影響され『ワイルドパンチ』など、アウトローが主役のバイオレンスな西部劇が登場する。

またアメリカン・ニューシネマの代表作と言われる『明日に向かって撃て』も実在の銀行強盗が主役、従来のヒーロー像は古くさいものとなっていた。そしてイーストウッドの『許されざる者』では、もはや正義と悪の隔ても混然、そこにあるのは暴力が生み出す虚しさと残酷さだ。

主役のウイリアム・マーニーは、かつて悪名を馳せたものの信心深い妻に出会い改心、今は農業で生計を立てる初老の男。イーストウッドは十年前から映画化の権利を持っていたが、自分が主役に相応しい年齢になるまでこの企画を温めていたそうだ。

妻に先立たれ二人の子供を育てていたマーニーは、尋ねてきた若い男キッドに誘われて、古い相棒ネッド(モーガン・フリーマン)とともに賞金稼ぎに出かける。賞金稼ぎを探しているのは、カーボーイ2人への処罰を願う、ある酒場の娼婦たち。

1人の娼婦がカーボーイの狼藉によってナイフで顔を傷つけられたのに、その男と一緒にいた連れは保安官リトル・ビル(ジーン・ハックマン)よって、馬7頭を酒場主に引き渡すと言う条件で許されていた。人間の扱いを受けていないと憤った娼婦たちは賞金稼ぎに依頼することで、カーボーイたちに正統な裁きを受けさせようとしたのである。

保安官のビルは強い信念を持ち、町の秩序を守ろうとするが手段は選ばない。賞金につられた英国人ガンマン、イングリッシュ・ボブ(リチャード・ハリス)を捕らえてリンチを加え、その容赦のない暴力に若い保安官助手たちは唖然とする。

伝説の殺し屋と呼ばれ、伝記作家を引き連れるイングリッシュ・ボブ。その実態は単なる卑怯者だと、飾られた虚像が保安官ビルに暴かれる。実はマーニーも似たような存在、馬に振り落とされたり、銃の狙いが外れたり、彼の威名が飾られて伝えられたものだとほのめかされる。

こうして西部劇の嘘や誇張が剥がされていき、イーストウッド監督はそこに表われた人間の弱さや驕りを淡々と描き出す。ビルに捕まり、なぶり殺しにされながらも、マーニーたち3人はカーボーイの殺害に成功。だが殺す方も殺される方も不格好で悲惨、そして残るのは罪深さと虚しさだけである。

カーボーイと娼婦のトラブルから起こった、暴力の連鎖。その負の連鎖に関わった者は、全て「許されざる者」なのではないだろうか。最後はマーニーが殺された相棒の復讐のために、酒場へ乗り込み保安官ビルたちを殺戮する。マーニーが敢えて無慈悲な頃の自分に戻ったのは、暴力の連鎖にけりをつけるべく、全ての贖罪を背負うとしたのだろう。

イーストウッドはテレビの西部劇から出てきたスターだが、ヒーローと伝説を否定し、いにしえの西部劇を終わらせたのである。

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