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ワールドカップの歴史 第9回メキシコ大会

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FIFAワールドカップ、第9回メキシコ大会(1970年)

「カナリア軍団と王の帰還」

警告カードと交代制の導入

64年、ワールドカップ開催地を決めるFIFA総会が五輪開催中の東京で行われ、アルゼンチンを破りメキシコが第9回大会の開催国に決まった。高地で日差しの強い国で開催することに一部委員から疑問の声が上がったが、メキシコの積極的な多数派工作と、68年の五輪に向けてインフラを整えていることがメキシコ開催の決め手となった。

世界各地で予選が行われたが、アフリカとアジアにもそれぞれ1枠が与えられ、モロッコとイスラエル(当時はアジア枠)が初出場を果たした。日本もメキシコ五輪銅メダルの実績を引っさげ予選に臨んだが、エース釜本邦茂の病気離脱もあって早々と敗退を喫してしいる。日本はこれ以降、Wカップどころか五輪出場も果たせない、長い冬の時代を迎えることになった。

北中米ではエルサルバドルが初出場を決めたが、以前から仲の悪かったホンジュラスと、予選での戦いをきっかけに戦争が始まる(四日後に停戦)。また前回3位のポルトガルが予選敗退、その他フランスやスペイン、南米のアルゼンチンも本大会出場を逃している。

この大会からテレビの衛星生中継が開始、試合は欧州時間に合わせて正午に行われることになった。そのためFIFAは選手の負担を考慮し、今まで認められていなかった試合途中の選手交代が2名まで許されるようになった。また前大会暴力行為が横行した反省から、審判に対する指導が厳しくなり、警告の色付きカードも採用されている。

メキシコ大会には日本のマスコミが初めて公式取材で訪れ、録画ではあるが各試合の模様がテレビ番組で紹介された。

優勝候補 ブラジルとイングランド

今大会も優勝候補に挙がったのがブラジル。エースのペレは69年に公式戦1000ゴールを達成、キャリアのピークを迎え「もう出ない」の宣言も翻してWカップ予選に参加した。本大会前にペレを巻き込んだ監督交代劇というゴタゴタが起きたが、Wカップ2連覇のメンバーであるマリオ・ザガロが監督に就任。新監督ザガロは崩れかけていたチームを再びまとめた。

メキシコ大会に臨むカナリア軍団は守備に不安を抱えていたが、攻撃を組み立てるペレのほか、豊富なタレントを揃えた前線は充実していた。FWには前大会でも才能の片鱗を魅せたジャイルジーニョや、“白いペレ” と呼ばれたトスタン。また中盤にはFKの名手リベリーノや攻撃的SBで主将のカルロス・アウベルトらがおり、彼らの繰り出す攻撃は強力だった。

もう一つの優勝候補がイングランド。B・チャールトンなど前大会優勝メンバーの半分が残り、守備の堅さは相変わらずだった。だがイングランドチームが69年にメキシコ遠征を行った際、アルフ・ラムゼー監督はいつもの尊大不遜な態度で地元記者に接し、メキシコ国民の怒りを買ってしまう。

大会参加直前、イングランドチームは強化試合のためコロンビアに立ち寄る。その時、首都ボゴタに滞在していたイングランドチームの主将・ボビー・ムーアが、宝石店でブレスレットを盗んだ疑いをかけられるという事件が起きる。

もちろんイングランド主将が窃盗などするはずもないが、ムーアは逮捕されサッカークラブ会長宅へ一時軟禁されてしまう。前大会ラムゼー監督が対戦したアルゼンチンチームを、「ケダモノ」呼ばわりしたことで南米各国にも嫌われ、嫌がらせを受けたのだ。

第9回ワールドカップ開幕

70年5月31日、第9回メキシコワールドカップが開幕する。第1組ではソ連と地元メキシコが2勝1分けの勝ち点5で並んだ。両チーム得失点差も一緒だったが、くじ引きによりソ連が1位、メキシコが2位となった。

2組ではバルカレギ監督率いるイタリアが堅実に戦い、1勝2分けの勝ち点4で1位。ウルグアイが1勝1敗1分けの勝ち点3で2位となった。2組は盛り上がりの乏しい凡戦が続き、イタリアに至っては3試合を無失点に抑えたが、得点もスウェーデン戦の1点だけに留まっている。

イタリアは前大会も出場したゲームメーカーのマッツォーラやジャンニ・リベラに加え、“雷鳴”の異名を持つルイジ・リーバやセリエAの得点王ボニンセーニャなど、前線にタレントを揃えたチームだった。だが高地酷暑の大会に、1次リーグでは体力を温存して戦っている。

第3組は優勝候補ブラジルとイングランドに加え、東欧の強国チェコスロバキアとルーマニアが入る激戦区となった。第1節、イングランドはルーマニアを相手に1-0と手堅い勝利を収める。片やチェコと対戦したブラジルは、リベリーノのFKに始まりペレがボレーシュートで追加点、さらにジャイルジーニョが2得点を挙げ4-1と快勝した。

ペレはこの試合、GKのビクトルが前に出ているのを見定めると、センターラインのやや後ろ約55mの距離から超ロングシュートを放つ。虚を突かれたビクトルは慌ててバック、ボールは僅かにゴールを外れたものの、この大胆なプレーは会場の観客を湧かせた。

激戦区 第3組の戦い

そして第2節は、ブラジルとイングランドの戦い。メキシコでも人気の高いカナリア軍団に対して、イングランドチームはまるで悪役扱い。試合前日、ブラジルを応援するメキシコ人がイングランドチームの泊まるホテルを囲んで大騒ぎ、選手たちを寝不足に追い込んでいた。

開始直後、ハーストがフリーでヘディングシュートを放つもゴールを外す。10分、ジャイルジーニョが高速ドリブルで右サイドを突破、そこから完璧なクロスを上げる。それをゴール左にいたペレが頭でドンピシャに合わせ、ブラジルの先制点が決まったかに思えた。

だがそのシュートは、守護神バンクスが驚異的な反応を見せ横っ跳び、ボ-ルはゴール外へ弾き出されていった。バンクスはすぐ後のFKもナイスセーブ、彼の牙城を突き崩すのは至難の技だった。そのあと反撃に出たイングランドが2度のチャンスを逃すと、暑さと睡眠不足からか彼らの動きは鈍っていった。

59分、トスタンが左サイドで相手DFをゴボウ抜き、ノールックで中央のペレへパスを送る。ペレがシュートと見せかけて右にボールを流すと、走り込んできたジャイルジーニョが先制点を決めた。さすがのバンクスも逆をつかれ、ゴールを阻止することが出来なかったのだ。試合はこのまま終了しブラジルが1-0と勝利、厳しい暑さの中でイングランド選手たちは5キロ体重を減らしたと言われている。

第3節、ブラジルはルーマニアに苦戦するが、ペレとジャイルジーニョの得点で3-2と辛勝、1位突破を決めた。イングランドはチェコに1-0と勝利し、2位での勝ち抜けとなった。

「爆撃機」ゲルト・ミュラー

第4組、西ドイツは「爆撃機」ゲルト・ミュラーが2試合連続のハットトリックを記録、1次リーグ7得点の大活躍を見せた。西ドイツは3戦全勝で1位、若きスターのクビジャスを擁したペルーが2位となった。ミュラーはドイツ人としては小柄のずんぐりむっくり体型だったが、鋭い嗅覚とどんな体勢でもゴールを狙う泥臭さで、欧州予選から得点を量産していた。

準々決勝に進んだ西ドイツの対戦相手はイングランド、前大会決勝戦と同じ顔合わせとなった。イングランドは守護神のバンクスが腹痛で欠場、控えのボネッティがゴールを守った。試合はイングランドが2点をリードするも、57分西ドイツがクラウボウスキを投入すると流れが変わった。

動き回るクラウボウスキにイングランドDFが付ききれず、隙を縫って駆け上がったベッケンバウアーがミドルシュートを放つと、GKボネッティの反応が遅れゴールが決まった。70分、B・チャールトンが交代でピッチを去ると、その6分後主将ウーベ・ぜーラーのバックヘッドで同点に追いつく。

こうして4年前の決勝と同じく両チームの戦いは延長戦にもつれ込むが、延長後半3分にミュラーがボレーシュートを叩き込み勝負は決まった。試合は3-2で終了、雪辱を果たした西ドイツが準決勝へ進出する。

アステカの死闘

イタリアは準々決勝で地元メキシコと対戦し、1次リーグでは姿を隠していた攻撃力が爆発、リベラとリーバの活躍で4-1の快勝を収めていた。続く準決勝はイタリア対西ドイツ。この対戦は、Wカップの歴史に残る名勝負となる。

前試合の延長戦の疲れからか、出足は西ドイツ選手の動きが重かった。開始8分、ボニンセーニャがリーバとのワンツー崩れから、こぼれ球をシュート、先制点が決まった。

西ドイツは早々と二人の選手を投入、反撃に転じるが、イタリアのカテナチオを崩せない。後半途中にはベッケンバウアーが肩を脱臼、交代枠を使い切っていたため、包帯で腕を固定しピッチに立ち続けた。

イタリアは後半開始、マッツォーラに替えてリベラを投入。守備力に定評のあるマッツォーラに比べ、リベラはボールを追うことも稀だった。だがバルカレギ監督は、西ドイツが後半バテるのを見越し、リベラのキープ力を活かそうとしたのだ。

しかしバルカレギの判断は誤りだった。諦めることのない西ドイツはロスタイムに入った92分、最後尾から駆け上がった大ベテランのカール=ハインツ・シュネリンガーが、クラウボウスキのクロスに合わせ起死回生の同点弾、試合を振り出しに戻した。守備をしないリベラの投入で、イタリアの中盤に緩みが出ていた。

延長前半の5分、ミュラーがこぼれ球を押し込み、今度は西ドイツがリードを奪う。だがその4分後、リベラのFKからイタリアも点を入れ返した。更に5分後、リベラの縦パスからボールを受けたリーバがシュネリンガーを巧みにかわしシュート、これが決まってイタリアが延長前半を3-2と折り返す。

疲労の色濃い西ドイツだったが、その闘志が途切れる事はなかった。延長後半に入った110分、CKからゼーラーが頭で中央へ折り返し、そこへミュラーが飛び込み西ドイツが再び同点とした。劇的な展開で会場が大きく揺れた1分後、ボニンセーニャが相手DFを突破し折り返しのクロス、それをリベラがゴールに叩き込み4-3、イタリアが勝負を決めた。

疲労困憊だったベッケンバウアーは、すぐそばのリベラを阻止することも出来ず、呆然とボールの行方を見送るだけだった。こうしてイタリアは『アステカの死闘』と呼ばれた試合を制し、6大会ぶりの決勝進出となった。

最強、カナリア軍団

一方ブラジルは準々決勝でペルーと対戦。ペルーを率いていた監督は、ブラジルWカップ2連覇の中心メンバー、ジジだった。この試合ブラジルは積極的な攻めに出て、トスタンの2得点にリベリーノやジャイルジーニョもゴールを挙げ4-2と勝利する。

ブラジル準決勝の相手はウルグアイ、あの『マラカナンの悲劇』以来のWカップでの顔合わせだった。勢い勇んでこの試合に臨んだブラジルだが19分、相手のシュートがイレギュラーバウンド、不運な失点を喫してしまう。しかし前半終了直前に同点とすると、後半ジャイルジーニョとリベリーノが得点を決め、3-1と逆転勝利を収めた。

こうして決勝戦はブラジルとイタリアの対戦となった。ともに2回の優勝経験を持つチーム同士の戦いで、規定により3回目の優勝を果たしたチームがジュール・リメ杯の永久保持を許されるため、その権利を争う戦いでもあった。

ブラジル優勝と王の帰還

第9回メキシコワールドカップの決勝は6月21日、アステカ・スタジアムに10万人以上の観客を集めて行われた。立ち上がりはマッツォーラが中盤を支配、イタリアがペースを握った。だが18分、リベリーノが左からクロスを上げると、ペレが高くジャンプ、鮮やかなヘディングシュートを叩き込んだ。

しかし37分、ブラジルのミスからボニンセーニャが飛び出したGKをかわすと、無人のゴールへ同点弾を流し込んだ。だがこのあと、守備に徹するイタリアへブラジルがその攻撃力を見せつける。66分、イタリアの守備陣の間隙を縫い、ボランチのジェルソンが強烈なミドルシュート、勝ち越し点が決まった。

それからはブラジルの一方的な展開、71分にはジェルソンのFKをペレが頭で落とし、ゴール前に突進してきたジャイルジーニョが3点目をマークする。84分、イタリアはボニンセーニャに替えリベラを投入するが、もはや何の効果も無かった。

86分、ジャイルジーニョからパスを受けたペレが右のスペースにボールを送ると、そこに走り込んできたC・アルベルトが捉えて弾丸シュート、4-1となる駄目押し弾がゴールネットに突き刺さった。

興奮した観客は試合終了を待ちきれずにフィールドへ侵入、主審のホイッスルが吹かれると一斉にペレを囲み、彼のシューズとシャツを剥ぎ取った。そして上半身裸になったペレを担ぎ上げると、“サッカーのキング”を皆で手荒く祝福した。

ジュール・リメ杯のゆくえ

3位決定戦を制したのは西ドイツ。この試合ミュラーの得点は無かったが、合計10ゴールで得点王を獲得した。3度目の優勝を果たしたブラジルはジュール・リメ杯を永久保持することになったが、83年に警備の甘さから盗難に遭遇、現在もその行方は分からない。

次:第10回西ドイツ大会(1974)

カテゴリー サッカー史

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