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ワールドカップの歴史 第15回アメリカ大会-後編(1994年)

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FIFAワールドカップ、第15回アメリカ大会-後編(1994年)

「無情のPK戦」

前編「サッカー不毛の地」より続く

ルーマニアの善戦

決勝トーナメントの1回戦マラドーナを失ったアルゼンチンはカニーヒアも代表を離脱、若手のオルテガを起用する。ルーマニアはラドチョウを欠いたが、代わりにドミトレスクが活躍、FKとカウンター攻撃から2得点を挙げた。バティストゥータがPKで1点返すも、後半ドミトレスクのパスからゲオルゲ・ハジの追加点が生まれ、ルーマニアが3-2と勝利する。一気に勢いを失ったアルゼンチンは、こうして大会を去って行った。

アジア勢として、北朝鮮チーム以来28年ぶりの決勝進出を果たしたサウジアラビアだが、1回戦で北欧の伝統国・スウェーデンの前に3-1と敗れ去ってしまう。そして準々決勝はルーマニアとスウェーデンの戦い。スウェーデンは司令塔ハジを密着マーク、試合は終盤まで一進一退の攻防が続く。

そして78分、FKのチャンスにスウェーデンがサインプレー、Pエリアに走り込んだブローリンのゴールが生まれた。だが試合最終盤の88分、ハジのFKが壁に当たり、そのこぼれ球をラドチョウがゴール、ルーマニアが土壇場で同点に追いついた。延長に入った105分、またもラドチョウにゴールが生まれ、今度はルーマニアがリードする。

しかし延長後半の残り5分、スウェーデン右サイドのクロスから長身のケネス・アンディションがジャンプ、ヘディングゴールで2-2の同点とした。勝負はPK戦に突入するが、スウェーデンがサドンデスの5-4とルーマニアを退ける。こうしてスウェーデンは、58年の自国開催大会以来のベスト4入りを果たした。

開催国アメリカの敗退

予想以上の大健闘で決勝Tに勝ち上がった開催国アメリカは、1回戦でブラジルと対戦した。この試合、ブラジルのパレイラ監督は予選リーグで不調だった主将ライー(ソクラテスの弟)を先発から外し、マジーニョを起用した。キャプテンも、この試合以降ライーに代わってドゥンガが務めることになる。

地元アメリカがまたも奮闘、優勝候補ブラジルにもひるまず戦った。43分、左サイドでブラジルのレオナルドとアメリカのレイモスがタッチラインでもつれると、故意か偶然か、レオナルドが片肘でラモスの顔面を強打。鼻骨を折る重傷を負わせてしまう。

レオナルドは一発退場、一人少なくなったブラジルだが、72分にロマーリオが持ち込みベベトーがゴール、辛うじて1-0とアメリカを下す。退場となったレオナルドは試合後FIFAの裁定で4試合の出場停止、Wカップの残り試合に出られなくなってしまった。

ブラジル 決勝進出

ブラジルが準々決勝で戦ったのはオランダ。オランダは1回戦、ベルカンプとヴィム・ヨンクの得点でアイルランドに2-0と快勝、調子を上げていた。ブラジルはレオナルドの左サイドのポジションに、べテランのブランコを起用する。

ブラジルは、レオナルド左スペースの駆け上がりを失い苦しい展開、ロマーリオも徹底マークを受けた。だが53分、カウンターからベベトーが左サイドを突破、そこらからのクロスをロマーリオがダイレクトシュートで決めた。そして63分にはベベトーが追加点、ロマーリオら3人でベベトーの赤ちゃん誕生を祝う揺りかごダンスを披露した。

しかしその直後、ブラジルの守備に隙が出来てベルカンプが1点返すと、76分にもFKからオランダの同点ゴールが生まれた。こうして勝負の行方は分からなくなったが、81分にブランコが倒されブラジルがFKのチャンスを得る。

キッカーを務めるのもブランコ。長い助走から左脚を一閃すると、地を這う20m余りのシュートがゴールに突き刺さる。そして激戦の末、ブラジルはオランダに3-2の勝利、準決勝へ進むことになった。

準決勝のブラジル対スウェーデン戦。ルーマニア戦での延長と、真昼の試合の暑さに疲弊したスウェーデンは防戦一方となる。ブラジルは前半だけで13本ものシュートを放つが、スウェーデン必死の守りとGKラベリの好セーブに阻まれ得点できなかった。

しかし63分、スウェーデンの主将テルンがドゥンガにラフプレー、一発退場となってしまう。守り切れなくなったスウェーデン、80分に右サイドのジョルジーニョが鋭いクロス、それをロマーリオが頭で決めて決勝点となった。こうして1-0と勝利したブラジルは、70年メキシコ大会以来24年ぶりの決勝進出を果たす。

アズーリ vs スーパーイーグルス

どうにか予選リーグを勝ち抜けたイタリア、アフリカの新鋭・ナイジェリアとの1回戦は注目のカードとなった。イタリアのエース、R・バッジオ予選リーグのプレーは精彩を欠き、イタリア国内では、ベンチで燻っているジャンフランコ・ゾラに期待を寄せる声もあった。

ナイジェリアは予選リーグでベンチを温めていた若きスター、“ジェイジェイ” オコチャを起用する。スキルに優れたオコチャの、奔放なプレーは諸刃の剣。監督は彼の起用を躊躇っていたが、ナイジェリア協会の要求に応えざるを得なくなっていた。

ボールを自在に操るオコチャは、足に吸い付くようなキープとトリッキーなドリブルでアズーリを翻弄する。そして27分、右からのCKがマルディーの足に当たった跳ね返りをアムニケが押し込み、ナイジェリアが先制した。

だがオコチャ球離れの悪さに、イタリアは容易に守備を整え追加点を許さなかった。しかし75分、反撃を企てるべく途中投入したゾラが報復行為でレッドカード、アズーリは10人となってしまう。R・バッジオも怪我の右脚を庇うあまり左脚が痙攣、さしものイタリアもここまでかと思えた。

試合終了が迫った88分、イタリアが右サイドを突破。DFの間隙でボールを受けたR・バッジオが狙い澄ました正確なシュートを撃つと、イタリアの息を吹き返す同点ゴールが生まれた。延長に入った100分、R・バッジオがPエリア右より浮き球のパス、するとナイジェリア選手がファールを犯し、イタリアがPKを得た。

キッカーを務めるR・バッジオが冷静なシュート、苦しんだもののイタリアが1-0とこの試合をモノにした。惜しくも1回戦で敗退したナイジェリアだが、オコチャ、オリセーに加え、ヌワンコ・カヌーなどのタレントを揃えた若い「スーパーイーグルス」が、2年後にアトランタ五輪で初優勝を果たすことになる。

二人のバッジオ

スペインはフェルナンド・イエロとルイス・エンリケの得点、そしてベギリスタインのPKでスイスを3-0と打ち破った。そして準々決勝はイタリアとの戦い、試合開始しばらくはスペイン優勢の流れだった。しかし26分、ディノ・バッジオが強烈なミドルシュート、GKスビサレッタの反応及ばずイタリアが先制した。

同点に追いつきたいスペインだが、イタリアの守りに阻まれゴールが決まらない。それでも58分、スペイン左サイドからのクロスをオテロがスルー、走り込んだカミネロが同点弾を決めた。その後も猛攻が続きスペインの放ったシュートは14本、しかし精度を欠いて得点は生まれなかった。

試合も延長に入るかと思えた87分、イタリアの速攻からボールは中央へ走るシニョーリへ。そこからフリーになったR・バッジオが、スビサレッタをかわし角度の無いところからシュート、勝ち越し点を決めた。このまま試合は2-1で終了、イタリアは準決勝へ進んだ。

王者ドイツの落とし穴

ドイツは今大会初先発となったフェラーが奮闘、2ゴール1アシストの活躍でベルギーを3-2と打ち破った。そして準々決勝で戦うことになったのは、ブルガリアだった。1回戦、ブルガリアはメキシコと乱戦を演じるが、エースのストイチコフが3試合連続弾、延長PKで難敵を下し準々決勝へ勝ち上がっていた。

前半は、ドイツのクリンスマンとアンドレアス・メラー、そしてブルガリアはシラコフとバラコフがそれぞれ惜しいシュートを放つも、得点とはならなかった。だが後半開始直後の47分、ブルガリアのレチコフがクリンスマンにファール、ドイツにPKを与えてしまった。

これを主将マテウスが決めドイツが先制、試合は戦前の予想通り、格下ブルガリア劣勢の展開になるかと思えた。しかし75分、ストイチコフが巧みなドリブルでファールを誘い、ブルガリアがFKのチャンスを得る。蹴るのはストイチコフ自身。左脚で放たれたFKは6枚の壁を越え、鋭い軌道を描きドイツゴールへ落下、ブルガリアの同点弾が決まった。

直後の78分、攻めるブルガリアが右サイドからクロス、それをレチコフが頭で合わせ、逆転弾を押し込んだ。こうして試合は2-1で終了、伏兵ブルガリアが前回王者ドイツを倒すという大番狂わせが起きた。そして勢いに乗るブルガリアは、準決勝でイタリアと戦うことになった。

イタリア対ブルガリア戦の開始20分、スローイングを受けたR・バッジオがゴール前に切り込みシュート、先制点を決めた。その後、この日動きの良いR・バッジオのパスから、アルベルティーニが2度のシュートを放つが、ポストとGKの好セーブに阻まれてしまった。

それでも26分、アルベルティーニのリターンパスで抜け出したR・バッジオが再びシュート、追加点が生まれた。前半終了直前、ブルガリアにPKを与えストイチコフに1点返されるが、イタリアの守備はその後の反撃を許さなかった。

しかし後半にストイチコフを倒したDFコスタクルタが、この日2枚目の警告、退場処分となってしまう。さらに70分、R・バッジオが太股肉離れで交替を余儀なくされる。イタリアは残り時間をどうにか凌ぎ、ブルガリアに1-0と勝利を収めた。

得点王 ストイチコフ

こうして決勝戦は、ともに4度目の優勝を狙うブラジルとイタリアの戦いとなった。だがイタリアは高温多湿な東部で試合を行なった上、激戦続きで選手は疲労困憊。エースのバッジオも決勝のピッチに立てるかどうかという、厳しい状況に追い込まれていた。

決勝に先立ち、スウェーデンとブルガリアの3位決定戦が行なわれた。試合はダーリン、ブローリン、ラーション、K・アンディションらの攻撃陣が爆発し、スウェーデンがブルガリアを4-0と下した。この試合ストイチコフに得点は生まれなかったが、予選敗退したロシアのサレンコと並び、6ゴールで得点王を獲得した。

酷暑の決勝は初のPK戦へ

第15回ワールドカップ・アメリカ大会は7月17日、ロサンゼルスのローズボウルに94,194人の観客を集めて行なわれた。西部での試合が続き移動の少ないアメリカに対し、イタリアはニューヨークで戦った準決勝から4日後、大陸を横断してのゲームという強行日程だった。

イタリアは、R・バッジオが脚の痛みを押して先発出場を果たしていた。そして、膝の内視鏡手術とリハビリを終えたばかりの主将F・バレージも復帰、Wカップ決勝の舞台に姿を現した。

体調が万全ではないR・バッジオのプレーは精彩を欠き、酷暑もあってイタリアに攻撃のリズムが生まれない。一方、ブラジルのロマーリオとベベトーの2トップも、バレージが統率するDFラインの網に阻まれ、得点機を生み出せなかった。

双方単発的にチャンスは訪れるものの、暑さと選手たちの疲れもあって内容は低調、ゲームは淡々と進んだ。試合はスコアレスで延長に突入、R・バッジオとバレージは疲労で脚を痙攣させてしまう。依然両チームにゴールは生まれず、0-0のまま120分が終了。優勝の行方は、Wカップ決勝初のPK戦へと持ち越された。

PK戦、先攻イタリアの1人目はバレージ。バレージはボールを大きく吹かしてしまい頭を抱えるが、後攻マルシオ・サントスのシュートもパウリカに止められた。2人目のアルベルティーニとロマーリオ、そして3人目のエバーニとブランコが成功した後の4人目、マッサーロのシュートは、GKタファレルがコースに跳んで弾き出した。

このあとブラジルのドゥンガは落ち着いてゴールを決め、5人目R・バッジオにイタリアの命運が託される。だが右脚で蹴ったシュートはバーの上へと外れ、バッジオの失望とともにイタリアの優勝は消えてしまった。満身創痍のエースには、もう正確にゴールを射抜く力が残っていなかったのだ。

アメリカのサッカーリーグ

こうしてブラジルが24年ぶり4回目の優勝を達成。大会MVPは、5得点の活躍などで優勝に貢献したロマーリオが獲得した。

この大会後の96年、準備に手間取ったものの、アメリカサッカー連盟は「メジャーリーグ・サッカー(MLS)」を発足させる。そして4大メジャースポーツに続くチーム競技として、今や北米に根付いている。

次:第16回フランス大会-前編(1998)

カテゴリー サッカー史

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