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ワールドカップの歴史 第16回フランス大会-前編(1998年)

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FIFAワールドカップ、第16回フランス大会-前編(1998年)

「20世紀最後の大会」

開催国フランスの模索

92年、チューリッヒで第16回Wカップの開催地を決めるFIFA理事会が行なわれ、投票でフランスがモロッコを破り開催国に選ばれた。フランスはFIFA創設とWカップ大会開始にあたり中心となった国。20世紀を締めくくる開催地に相応しいと、ヨーロッパ理事の支持を集めたのである。

ただこの結果は開催地に選ばれなかったモロッコを始めとする、アフリカ諸国の猛反発を生むことになる。長年FIFAに君臨してきたアヴェランジェ会長の支持基盤は、数を誇るアフリカ諸国。当然FIFA会長の後押しがあると思っていたのに、裏切られる形になってしまったからだ。そしてこの事をきっかけに、アヴェランジェはFIFAでの力を失っていくことになる。

このフランス大会では、本大会出場枠が24ヶ国から32ヶ国に増やされることになった。そのためアジアに与えられていた2枠も3.5枠となり、日本が第3代表決定戦に勝利して悲願の初出場を果たした。

ホスト国となったフランスだが70年代後半頃から始めた選手育成政策も実らず、2大会連続でWカップ出場を逃すなど、その勝負弱さは相変わらずだった。そしてアメリカ大会の欧州予選敗退後、代表のアシスタントコーチを務めていたエメ・ジャケが監督に昇格、チームの強化を任されることになる。

望んで仕事を引き受けたわけではないジャケ監督、我儘なスター揃いで、纏りを欠くチームの強化に難しさを感じていた。そんな時、2点のビハインドとなったチェコとの強化試合で、途中出場した若手選手が2点を記録、引き分けに追いつく。その若手選手が、当時注目を浴びつつあったジネディーヌ・ジダンである。

この試合で代表に定着したジダンは、その後に行なわれたユーロ96’(欧州選手権)で活躍をするなど、チームの柱に成長する。そこでジャケ監督は、自己主張の強いカントナやパパン、ジノラといったスターを代表から外し、普段は物静かな男ジダンを攻撃の中心に据えた。

こうして方向性の定まったフランス代表、守備はGKのバルデス、DFのブラン、デサイーテュラム、ボランチのデシャンなどタレントを揃え、欧州屈指の安定感を誇っていた。そしてトップ下にはジダンとジョルカエフという力のある選手を並べたが、悩みはエースストライカーの不在だった。

ブラジルの「フェノメノ」

第16回ワールドカップ・フランス大会は98年6月10日、パリ・サンドニで新設されたスタッド・ドゥ・フランスに、満員の観客を集めて開幕戦が行なわれた。

A組で俄然注目を集めたのが新時代のストライカー、「フェノメノ(怪物)」ロナウドである。当時まだ21歳という若さだが、スピードとパワー、そしてテクニックを高い次元で備えたスーパーストライカーだった。南米予選ではロマーリオとの「Ro-Ro」コンビで得点を量産、Wカップ本番での活躍が期待されていた。

本大会ではロマーリオが負傷で外れることになったが、代わりにベベットと2トップを組み、ブラジルは優勝の最有力候補に挙げられていた。チームを率いるのは58-62年大会連覇の主力メンバーで、70年大会優勝監督でもあるマリオ・ザガロ。さらにテクニカルアドバイザーとして、ジーコがスタッフに加わっていた。

開幕戦のスコットランド戦ではサンパイオの得点でブラジルが先制、一旦追いつかれるものの相手のオウンゴールで2-1と初戦を制した。第2節はロナウド、リバウド、ベベトーの得点でモロッコを3-0と撃破、早くも予選突破を決める。

第3節ノルウェー戦は相手エースT・A・フロー活躍の前に、残り7分で1-2と逆転負けを喫するが、ブラジルは2勝1敗でグループ1位となった。そしてブラジルに勝ったノルウェーは、1勝2分けで2位を確保する。

ロベルト・バッジオの復権

B組・イタリアの監督は、主将パオロの実父であるチェーザレ・マルディーニ。第1節では、サラスサモラノの強力2トップを擁するチリと対戦した。

「サ・サ」コンビと呼ばれるチリのFW2人は、南米予選でチーム総得点の7割強に当たる23ゴールを記録、その破壊力は抜群だった。試合はビエリの得点でイタリアが先制する。だがその後サラスに連続で得点を許し、イタリアは1-2と劣勢を強いられた。

しかし終了が近づいた85分、R・バッジオのパスがチリのハンドを誘い、イタリアがPKのチャンスを得る。キッカーは、4年前の決勝戦で最後にPKを外してしまったR・バッジオ自身。バッジオは冷静なシュートでゴールネットを揺らし、チリと1-1で引き分けた。

イタリアは第2節でエムボマ擁するカメルーンと対戦、ビエリの2得点などで3-0と圧勝した。第3節オーストリア戦では、若手のデル・ピエロがR・バッジオに代わり初先発する。

49分、デル・ピエロのFKからビエリが先制点、72分には途中出場したR・バッジオが追加点を決め、2-1の勝利を収めた。この結果、B組では2勝1敗のイタリアが1位、3戦引き分けのチリが2位となった。

フランス 若手FWの活躍とジダンの退場

C組の開催国フランスは、第1節でトルシエ監督率いる初出場の南アフリカと対戦した。この試合、FWのギバルシュが開始26分で負傷退場、交替で出場したデュガリーが34分に先制点を挙げる。その後オウンゴールで2点差とし、終了直前にも先発に抜擢された若手のアンリが駄目押し点を決め、フランスが3-0と初戦を飾った。

第2節の試合はアンリ、トレゼゲの若手コンビによる活躍で、サウジアラビアを4-0と一蹴した。この試合、鮮やかな「マルセイユ・ルーレット」でチャンスを演出したジダンだが、70分に倒れたサウジの選手を故意に踏みつけレッドカード、2試合の出場停止処分を受けてしまう。

第3節は、ミカエルとブライアンのラウドルップ兄弟が攻撃の中心となり、世界最高のキーパーピーター・シュマイケルがゴールを守るデンマークとの戦い。

両チームPKを得て同点となった55分、プティがミドルシュートで勝ち越し点を決め、ジダンを欠いたフランスが2-1と勝利を収める。この結果C組はフランスが3戦全勝で1位、デンマークが3分けの2位でベスト16に進出した。

「死のグループ」に沈んだスペイン

D組スペインは、これまで代表に対する国民の盛り上がりが薄く、Wカップでは目立った成績を残せていなかった。だが今回、グアルディオライエロ、ルイス・エンリケ、そして “スペインの至宝” ラウル・ゴンザレスと中盤の構成力は欧州随一、チームの前評判は高かった。

しかし難敵揃いの「死のグループ」に入ってしまい、司令塔グアルディオラも大会前に負傷離脱、スペインは大きな不安を抱えて大会に臨むことになった。そして初戦は、知将ミルティノビッチ率いるナイジェリアとの戦いだった。

スペインはイエロとラウルの得点で後半途中まで2-1とリードするが、73分に失点し追いつかれる。その5分後、オリセーの地を這うようなロングシュートが炸裂、スペインは2-3と逆転負けを喫してしまった。

続く第2節はパラグアイとの試合。パラグアイはPKやFKも担うGKチラベルトを中心に、ガマーラとアジャラのCBコンビを擁する守備陣は南米屈指だった。スペインは28本のシュートを打ちながら0-0と引き分け、勝ち点1を得るに留まった。

最終節に予選突破を懸けるスペインは、前回アメリカ大会で大躍進を見せたブルガリア相手に、新鋭FWモリエンテスの2ゴールなどで6-1と大勝する。だが試合終了の笛が吹かれても、スペインに喜びの表情は無かった。

他会場の試合で、パラグアイがナイジェリアに3-1と勝利。一足先に、ナイジェリアの1位とパラグアイの2位が決まり、スペイン予選敗退の報が伝わっていたのだ。

オランダの苦戦

E組、オランダのフース・ヒディンク監督はお家芸となった内紛を抱えながら、95年のチャンピオンズリーグを制したアヤックスのメンバー、クライファートダーヴィッツセードルフらを中心にチームを編成、本大会に臨んでいた。第1節は隣国のライバル、ベルギーとの対戦となった。

オランダはこの試合、ベルカンプとダーヴィツを怪我で欠いたが、左ウイング・オーフェルマルスの突破力がベルギーを苦しめた。しかし81分、オランダFWのクライファートが相手選手に暴力行為、一発退場のうえ2試合の出場停止処分を受けてしまう。

初戦を0-0で引き分けたオランダだが、第2節にはベルカンプとダーヴィツが復帰、韓国を5-0と粉砕した。最終節メキシコ戦では、ロスタイムに得点を許し2-2と引き分けるが、オランダが辛うじて1位を確保する。メキシコはこのロスタイムの同点弾で、2位に滑り込む結果となった。

ドイツとユーゴ 順当の勝ち上がり

F組のドイツは、32ヶ国中一番平均年齢の高いロートルチームだったが、貫禄でアメリカとイランをそれぞれ2-0と撃破する。内戦のため2大会ぶりの出場となったユーゴスラビアは、司令塔のストイコビッチが健在、アメリカとイランに1-0の勝利を収めている。

ドイツとユーゴスラビアの対戦は第2節。ミヤトビッチとストイコビッチのゴールでユーゴが2-0とリードするが、終盤ドイツが猛反撃、オウンゴールとビアホフの得点で2-2の引き分けに持ち込んだ。ちなみにこの試合途中出場したドイツのマテウスは、5大会連続出場のタイ記録と、22試合出場の最多記録を達成している。

最終節が終わって2強が勝ち点で並ぶが、得失点差でドイツが1位、ユーゴが2位となった。そしてイランは、政治的な宿敵でもあるアメリカを2-1と撃破、予選突破はならなかったがアジア勢唯一の勝利を挙げた。

新生イングランド発進

G組、イングランドのグレン・ホドル監督は、従来のロングボールスタイルを一新、中盤でパスを繋ぐサッカーへの転換を図った。そんなとき頭角を現してきた若手が、正確なパス技術を駆使する端整なルックスの選手、デヴィッド・ベッカムである。

これまでイングランドの攻撃を担ってきたガスコインは問題行動で代表を外されるが、前線にはアラン・シアラー、シェリンガム、スコールズ、それに「ワンダーボーイ」マイケル・オーウェンなど、タレントを揃えて優勝候補の一角に挙げられるまでになっていた。

第1節ではチェニジアと対戦、シアラーとスコールズのゴールで2-0と快勝を収め、順調なスタートを切った。第2節では「東欧のマラドーナ」ハジが君臨するルーマニアと戦う。前半は0-0で折り返すが、後半早々ハジのスルーパスから、ルーマニアに先制点が生まれた。

反撃を試みるイングランドは73分、18歳のプレミアリーグ得点王・オーウェンを投入する。その5分後、オーウェンが折り返しのパスを決めWカップ初得点、イングランドが1-1と追いついた。だが、このまま引き分けに終わるかと思えた90分、ルーマニアがカウンターから得点を挙げ、イングランドは1-2と敗戦を喫してしまう。

最終節はコロンビアとの対戦。この試合、初先発のベッカムが長距離のFKを決めるなどイングランドが2-0と快勝、2位通過を果たした。長年コロンビア攻撃の中心を担ってきたバルデラマも37歳、もはやその輝きも失われていた。

意気あがるルーマニアは第3節チェニジア戦で、スキンヘッドのGKを除くメンバー全員が髪を金髪に染めて試合に臨んだ。チェニジアとは1-1と引き分けるが、ルーマニアは2勝1分けで1位通過を決めた。

日本全敗 アルゼンチンは貫禄の勝ち抜け

H組のアルゼンチンは、78年自国大会優勝チームでキャプテンを務めたダニエル・パサレラが監督を務めていた。パサレラは自らが率いたアトランタ五輪銀メダル組の、オルテガ、クラウディオ・ロペス、クレスポ、サネッティ、アヤラ、シメオネらに、ベロンバティストゥータを加えたメンバーでチームを構成、それまでのマラドーナ色を一掃した新しいチームを作り上げる。

初出場3ヶ国という比較的楽なグループに入ったアルゼンチンは、バティストゥータとオルテガの活躍で3戦全勝、順当に1位通過を決めた。ユーゴスラビアから独立後、初出場となったクロアチアだが、ボバンシュケルなどのタレントを擁し、グループ2位を確保する。そして初めて参加した日本はグループ3戦全敗を喫し、大会から去って行った。

こうして予選8グループの戦いは終了。決勝Tの組み合わせは、ブラジルーチリ、ナイジェリアーデンマーク、オランダーユーゴスラビア、アルゼンチンーイングランド、イタリアーノルウェー、フランスーパラグアイ、ドイツ-メキシコ、ルーマニアークロアチア、となった。

次:第16回フランス大会-後編(1998)

カテゴリー サッカー史

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