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ワールドカップの歴史 第18回ドイツ大会-前編(2006年)

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FIFAワールドカップ、第18回ドイツ大会-前編(2006年)

「次代のスターたち」

不可解な開催地決定の経緯

第18回Wカップの開催国には、ドイツ・南アフリカ・イングランド・モロッコの4ヶ国が立候補した。2000年7月、開催地を決めるFIFA総会がチューリッヒで開かれ24人の理事が投票、最終候補はベッケンバウアーが先頭になって招致活動を行なったドイツと、ブラッター会長の支援を取り付けていた南アフリカに絞られた。

事前の票読みは12対12。もし同数となった場合、ブラッター会長が開催地を決める事になっていた。だが決選投票では、南アへ投票するはずのオセアニア地区・デンプシー理事が、直前に会場を離れ棄権、そのまま帰国してしまった。

決選投票の結果は、ドイツ12票で南アは11票、開催地はドイツに決まった。この不可解な開催地決定の裏には、デンプシー理事への脅迫、又は買収工作などがあったと噂された。また各国理事の間で上手く立ち回っていたブラッター会長も、それを黙認して責任放棄したのでは、と疑われる。

そして後に、この招致活動にはドイツサッカー連盟や有料テレビ局、代理店のISL社などが関わった不正な取引があったと報道される。ベッケンバウアーも関与を取りざたされ、サッカー界における輝かしい名声を汚すことになってしまった。

この大会から前回優勝国の出場枠が廃止、日韓大会で優勝したブラジルを始め、194ヶ国による地域予選が行なわれる。そして名将ヒディンク監督に率いられたオーストラリアが、今まで厚い壁となってきた大陸間プレーオフで南米のウルグアイを破り、8大会ぶり2度目となる本大会出場を果たした。

開催国ドイツの好発進

第18回ドイツ・ワールドカップ大会は06年6月9日、ワールドカップ・シュタディオン・ミュンヘンで開幕した。開幕戦A組の試合では地元ドイツが登場。開始早々ラームのブレ球ミドルが炸裂すると、クローゼも2得点、相手エース・ワンチョペに2点を返されるが、初戦でコスタリカを4-2と打ち破った。

ドイツを率いるのは、かつて名FWとして代表に君臨したクリンスマン。そしてクリンスマン監督は、前大会活躍したオリバー・カーに替わり、長年ライバル関係にあったイェンス・レーマンを代表の守護神に指名する。正GK争いに敗れた失意のカーンは迷うが、代表に残ることを決意、第2キーパーとしてベンチに控えることになった。

第2節はポーランド相手に苦戦するも91分、ノイビルのゴールで1-0と辛勝を収める。第3節は、ともに決勝T進出を決めていたエクアドルとの対戦。メンバーを落としてきた相手に対し、ドイツは負傷者1名を除きベストメンバー。クローゼの2発とポドルスキーの初ゴールでエクアドルを3-0と下し、A組を全勝の首位で勝ち上がった。

イングランドの勝ち上がり

B組イングランドは、DFにファーディナンド、テリー、中盤にベッカムジェラード、ランパード、J・コール、そしてFWオーウェンに、怪我を負いながら大会に間に合わせてきた神童ルーニーといった豪華なタレントを揃え、優勝候補にも挙げられていた。

第1節は、伝統の堅守を誇るパラグアイとの対戦。イングランドはまだ体調が充分に回復していないルーニーに代わり、長身のクラウチを起用した。開始6分、ベッカムのFKからOGが生まれ、イングランドが先制する。その後強力なタレントが中盤を支配、リードを守り切ってパラグアイを1-0と下した。

第2節、イングランドは初出場のトリニダード・トバゴを相手に、締まらない内容の試合をしてしまう。58分にはオーウェンとギャラガーに替り、ルーニーと俊足のレノンを投入、攻撃が活性化した。83分、ベッカムのクロスをクラウチが頭でゴール、ようやく先制点が生まれる。さらにロスタイムにはジェラードがゴールを挙げ2-0、連勝でベスト16を決めた。

最終節スウェーデン戦では、新旧「ワンダーボーイ」のオーウェンとルーニーが初めて共演した。しかし試合が始まって僅か4分後、オーウェンが右膝を負傷しクラウチと交替してしまう。それでも34分、J・コールが胸トラップからボレシュート、イングランドが先制した。

51分にセットプレーから追いつかれてしまうが、ルーニーに替り途中出場したジェラードが80分、ヘッドで勝ち越し点を決めた。このまま逃げ切るかと思えたイングランドだが、ロスタイムにスローイングからのクロスをキャンベルがクリアミス、混戦の中ラーションが同点ゴールを押し込んだ。

試合は2-2の引き分け。エースのイブラヒモビッチを怪我で欠いたスウェーデンだが、ギリギリで2位通過となった。オーウェンは重傷と診断され帰国、イングランドはFWの柱を失ってしまった。

アルゼンチンとオランダの若きスター

強豪国などの組み合わせで「死のグループ」と呼ばれたC組。アルゼンチンを率いるペケルマンは、ユース監督時代に育てたリケルメやサビオラなど、「ペケルマン・チルドレン」と呼ばれる選手を中心としたチームで大会に臨んでいた。

第1節は、アフリカの新勢力コートジボワールとの対戦。経験に勝るアルゼンチンは相手のミスを見逃さず、クレスポとサビオラの得点で前半を2-0とリードした。コートジボワールはアルゼンチンの老練さに1-2と敗戦、それでも1点を挙げたドロクバの強靱なフィジカルと存在感は、強い印象を残した。

第2節で対戦したのは、ユーゴスラビアの後継国セルビア・モンテネグロ。アルゼンチンは纏りを欠く相手に、マキシ・ロドリゲスが2ゴール、カンビアッソも24本連続で繋がったパスから得点を決め、前半早くも3-0とリードした。

こうして余裕を得たアルゼンチンは、59分に期待の若手カルロス・テベスを投入。そして75分には注目の新星、リオネル・メッシがピッチに登場した。

メッシは出場早々の78分、クレスポの4点目をアシストで演出、テベスも84分にDF二人をかわすゴールを決めた。さらに88分、テベスのパスを受けたメッシが鋭いドリブルからシュート、ゴールラッシュを締めくくる得点を挙げる。こうして6-0と大勝を収めたアルゼンチンは、余裕の勝ち抜けとなった。

オランダを率いるファン バステン監督は、ダーヴィッツセードルフなど規律を乱しそうな選手を代表から外し、ロッペン、ファンペルシー、スナイデルなどの活きの良い若手を起用した。そして経験不足の彼らを引っ張ったのが、エースのファン ニステルローイだった。

初戦のS・モンテネグロ戦では、左ウイングを疾走するロッペンのドリブルが炸裂。18分に先制点を挙げると、その後も相手DFを脅かし続け1-0の勝利に貢献した。第2節のコートジボワール戦、オランダは試合序盤、ファンペルシーのFKとファン ニステルローイの得点で早くも2-0とリード。相手の反撃も1点に抑え2-1で勝利、アルゼンチンとともに予選突破を決めた。

最終節はアルゼンチン対オランダという、強豪国同士の対戦。しかし既に予選突破を決めていた両チームは警告を受けていた選手を休ませ、様子見の試合となった。

アルゼンチンはテベスとメッシが先発。テベスがキレのある動きを見せたものの、双方リスクを避けた戦いに終始、試合は0-0の引き分けとなった。この結果、得失点差でアルゼンチンが1位、オランダが2位で決勝Tに進んだ。

クリスティアーノ・ロナウド ワールドカップデビュー

D組のポルトガルは4年前「黄金世代」と呼ばれる選手を擁しながら、期待を裏切り予選で敗退を喫してしまった。そんなチーム立て直しのために、ブラジルから招聘されたのが前大会の優勝監督、フェリペ・スコラーリである。

スコラーリは代表から退いていたフィーゴを説得、復帰させチームの主将とした。またブラジル選手のデコにポルトガル国籍を取らせ、代表のゲームメーカーに据える。更にニュースター、クリスティアーノ・ロナウドが頼れるゴールゲッターに成長。こうしてWカップを戦う陣容が整った。

初戦の相手は、初出場のアンゴラ。ポルトガルは開始からフィーゴとC・ロナウドの迫力あるプレーで圧倒、早くも4分にはパウレタの先制点が生まれた。このまま圧勝を収めるかと思えたが、アンゴラの粘り強い守りに阻まれ試合は1-0で終了、少し物足りない結果となった。

第2節はイラン戦。格下相手にポルトガルは中盤を支配、63にはフィーゴが左サイドを突破しクロス、デコの強烈なミドルで先制した。更に78分、再びフィーゴがPエリア内でファールを誘いPKを獲得、キッカーを任されたC・ロナウドがきっちり決めて2-0、ポルトガルは危なげなく予選突破となった。

最終節、ポルトガルは主力を温存。それでも予選突破を目指し焦るメキシコを尻目に優勢な戦いを進め2-1、3連勝での1位を決めた。負けたメキシコも、アンゴラとイランの試合が引き分けに終わったため、2位での勝ち抜けとなった。

結束を強めるイタリア

開幕前、セリエAを取り巻く不正疑惑「カルチョポリ」と呼ばれる大スキャンダルに見舞われたイタリア。しかしその逆風が、却ってチームの結束を強めることになった。E組第1節の対戦相手はアフリカのガーナ。初出場のガーナだが、エッシェン、アッピア、ムンタリなど、中盤に強力なタレントを擁した手強いチームだった。

だがイタリアは、ガーナの分厚い攻撃をブッフォン、ネスタ、カンナバーロらの強固な守備陣で跳ね返す。そして40分にはピルロの巧みなミドルシュートで先制、83分にはロングボールを使ったカウンターからイアキンタが追加点、2-0と快勝を収めた。

第2節はアメリカとの対戦。イタリアは22分、ピルロのFKをジェラルディーノが頭で合わせて先制する。しかしその後、レイナ、ドノバン、デンプシーらのスピーディーな攻撃に苦しみ27分、アメリカのFKからカンナバーロがOG、同点とされる。

その直後にはデロッシが1発退場、イタリアは苦境に陥る。だがトッティに替わって入ったガットゥーゾが、豊富な運動量で数的不利をカバー、アメリカにも2人の退場者が出て1-1と引き分けた。

最終節はチェコとの戦い。ネドベド、ポボルスキー、ロシツキー、コレルと前線に豊富なタレントを擁するチェコは、初戦でアメリカを3-0と打ち破り順調なスタートを切っていた。しかしポストプレイヤーのヤン・コレルを怪我で欠くとたちまち失速、第2節のガーナ戦ではアサモア・ギャンとムンタリに得点を決められ0-2と敗れていた。

どうしても勝ちたいチェコ、序盤から猛攻を仕掛けバロッシュやネドベドが惜しいシュートを放つ。しかしブッフォンの壁に阻まれ、得点はならなかった。17分、ネスタが股関節の痛みを訴えマテラッツィと交替。26分、そのマテラッツィがトッティの放ったCKを頭で叩き込んで、イタリアが先制した。

そして87分には、インザーギがカウンターから追加点を決める。とどめを刺されたチェコはなすすべも無く0-2と敗戦、予選で大会から去ることになった。イタリアは2勝1分けで1位、最終節でアメリカを2-1と破ったガーナが2位となった。

連覇を狙うブラジルと復権を伺うフランス

F組は、ロナウドロナウジーニョカカ、アドリアーノの「カルテット・マジコ」を擁したブラジルが、余裕の3連勝でベスト16入りを果たした。そしてオーストラリアが2位となり、期待の若手モドリッチとクラニチャルの力を生かせなかったクロアチアが3位、日本は2敗1分けで最下位に沈んでしまった。

G組フランスは、ユーロ04のあと黄金期を築いたベテランたちが代表を退き、若手主体で戦ったWカップ欧州予選では苦戦が続いていた。そんな時沸き起こった国民の声に応え、ジダンテュラムマケレレと共に代表へ復帰、無事Wカップ出場を果たす。ジダンはこの大会を最後に現役の引退を表明、人望のないドメネク監督に代わりチームを纏める存在となった。

第1節で戦ったのはスイス。フランスは新鋭のリベリーが先発、鋭いドリブルで攻撃を活性化するが、スイスの堅守に阻まれ試合はスコアレスドローに終わった。第2節は韓国との対戦。開始9分、ビルトールのアシストからアンリが先制点。フランスはその後も主導権を握り、このまま勝ち切るかと思えた。

しかし81分、選手交代で一瞬流れを掴んだ韓国が、この日唯一のチャンスを逃さず朴智星パクチソンが同点弾、フランスと1-1で引き分けた。いまだ調子の上がらないジダンも、累積二枚目の警告を受けて次戦は出場停止となってしまう。

第3節の相手は、アデバヨール擁する初出場のトーゴ。ジダンに代わりトレゼゲが初先発を果たすが、司令塔を欠いたフランスは前半トーゴを攻めあぐねる。しかし55分にヴィエラが先制点、アンリも61分に追加点を挙げ、フランスが2-0と勝利した。この結果、フレイの活躍で2勝1分けの成績としたスイスが1位、低調な戦いが続いたフランスは1勝2分けで2位となった。

スペインの躍動

H組、世代交代を図るスペインは、初戦のウクライナ戦で大黒柱ラウルを控えに廻し、先発にF・トーレス、D・ビジャ、シャビ・エルナンデス、シャビ・アロンソ、セルヒオ・ラモスと新鮮な顔ぶれを揃えた。若きスペインの流れるようなパスワークはウクライナを圧倒、ビジャが2得点、F・トーレスとX・アロンソもゴールを決め、絶対的エースのシェフチェンコを抑えて4-0と大勝した。

第2節のチュニジア戦では、F・トーレスが2得点、途中出場のラウルもゴールを記録し3-1と勝利する。メンバーを落とした最終戦ではA・イニエスタとセスク・ファブレガスが初先発、サウジアラビアを1-0と下した。この結果スペインが3戦全勝で1位、2勝1敗としたウクライナが2位となる。

こうして予選Gの戦いは終了。決勝Tの組み合わせは、ドイツスーウェーデン、アルゼンチンーメキシコ、イタリアーオーストラリア、スイスーウクライナ、イングランドーエクアドル、ポルトガルーオランダ、ブラジルーガーナ、スペインーフランス、となった。

次:第18回ドイツ大会-後編(2006)

カテゴリー サッカー史

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