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「言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか」

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プロ目線の漫才論

集英社新書『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』は、ナイツ・塙 宣之がライター中村 計の問いかけに答えながら、『M-1グランプリ』を題材にお笑い芸人と漫才論を語るもの。

決勝の舞台を3度経験し優勝は逃したものの、現在は審査員としてM-1に関わり続ける塙 宣之。この本は、M-1王者になれなかった自分がおこがましいという「言い訳」を前置きに、プレイヤーと審判、両者の立場を知る彼ならではの考察と、プロ目線の分析で読者を引き込む。

またナイツが小ボケを重ねる「ヤフー漫才」にたどり着くまでの試行錯誤が興味深く、M-1に挑み敗れ去った自らの弱点や限界を、素直に吐露しているところも好感が持てる。とにかく説明が分り易くて的確、ああそうかと納得させられてしまう。

吉本系と非吉本系

過去15回のM-1グランプリで非関西系の芸人が優勝したのは、アンタッチャブル、サンドウィッチマン、パンクブーブーの3組のみ。この本では、タイトルにある「関東芸人はなぜM-1に勝てないのか」をテーマに、まず東西のお笑い文化が語られる。

しかしM-1を主催し、量・質・環境面において他の事務所を圧倒している吉本興業の芸人が強いのは、当然と言えば当然。塙さんは関西弁の有利さとか、しゃべくり漫才とコント漫才の差を理由に挙げていたが、単純に吉本の力が突出しているということだろう。

現に優勝した非関西系3組のうちパンクブーブーは吉本所属だし、関西と言えども松竹芸人で優勝したのは、ますだおかだ だけという事実がそれを裏付けている。

つまり、事実上は吉本興業の大会であるM-1に、他事務所の芸人が参加させて貰っているに過ぎないのだ。そのため非吉本系の芸人が優勝するには、吉本芸人を凌駕する技量とパワーが必要となる。だから関東芸人はM-1に勝てないというジンクスが生まれるのだろう。

M-1決勝の舞台は100m競争

M-1決勝4分間の舞台を、100m競争に例える塙さん。ナイツの漫才は寄席の漫才、普段10分から15分ある持ち時間に慣れた、中長距離を走る漫才だ。会場のうねりを起こさなければ勝てないM-1。スロースタータで小ボケを重ねるナイツのスタイルでは、短距離の瞬発力と勢いに欠けていたと敗因を述べる。

その点4分間の使い方が抜群だったと褒めるのが、05年のブラックマヨネーズ。彼らの漫才はスタートも、中間までの低い姿勢も、トップスピードに持って行ってからも完璧だったと、手放しの絶賛ぶり。その他にも初代チャンピオンの中川家を始め、歴代王者の凄さを具体的に語っている部分が面白い。

もう一組、塙さんが「化け物」と賞賛するのが、人力舎のアンタッチャブル。楽しそうにボケるザキヤマと、べらんめえ調の柴田による言葉の勢いと圧力の凄さ。アンタッチャブルは、非吉本の関東芸人が初めてM-1のタイトルを獲得したコンビでもある。

柴田が謹慎となり漫才の縛りから解放されると、ザキヤマが「怪物」ぶりを発揮。しばらくピンでのびのび活躍していたが、去年末アンタッチャブルの漫才が久々に復活。凄みを増しただろう、二人の掛け合いが楽しみだ。

お笑いに対する探究心と新しい芸人への期待

そしてM-1に革命をもたらした芸人と評するのが、スリムクラブ、南海キャンディーズ、オードリーの3組。

特にスリムクラブの間をたっぷりと取った漫才は、テンポを速くしてボケを多く入れる事がM-1の必勝方と考えていた芸人たちに衝撃を与えた模様。しかしキャラを前提とした漫才は諸刃の剣、2本目のネタはどうしても新鮮味が薄れ、M-1で勝つことの難しさが出たようだ。

その他、塙さんが審査員を務めた17・18年のM-1でタイトルを逃した、和牛、ジャルジャル、かまいたち、らの芸人にも言及。彼らのあと一歩及ばなかった理由が、忌憚なく語られる。また出場したものの結果を残せなかった、マヂカルラブリー、ギャロップ、見取り図、ユニバース、スーパーマラドーナには、塙さんなりの手厳しい指摘が向けられている。

しかしそれはあくまで、お笑いや芸に対する探究心と、彼らへの期待があっての厳しさ。まあ多少毒っ気のある塙さんだが、決して嫌な気分にさせるものではない。

『R-1ぐらんぷり』と『THE W』

毒っ気と言えば、『R-1ぐらんぷり』と『女芸人No,1決定戦 THE W』についても批判的な意見。そもそも「一人」とか「女性」といった大雑把な括りに無理があり、ギャグなのか、ネタなのか、フリートークななのか、何を競うコンテストが見えてこないのが問題だとの考え。

まさに『R-1』と『THE W』は異種格闘技、しかもかの“猪木vsアリ戦”みたいな「世紀の凡戦」だ。それぞれの芸が噛み合っていないので、戦いようがないし、ジャッジのしようもない。コンテストの方向性が定まっていないので、芸人も何を磨けば分からず、時々素人芸みたいなのが混じってしまう。というくだりには思わず頷いてしまった。

まさにその辺が、『R-1』と『THE W』が面白くならない大きな要因だろう。まあ『THE W』の場合、そもそも女芸人たちの技量が低く、ネタの作り込みも甘いのだが。しかし女芸人に求められているのは、芸やネタの腕ではなく、また別の役割。今のところ彼女たちには、芸の力を伸ばす環境がないというのが現実だろう。

M-1の弊害

ナイツにとってM-1は夢の舞台であり、また悔しさを味わった場所でもある。漫才師なら誰でも目指すM-1のタイトル。だが一番やってはいけないのは、それを意識するあまり自分の持ち味を見失ってしまうこと。と後輩を戒める塙さん。

何度も苦杯を舐め、参加資格を残しながらM-1からの引退を表明した和牛。すでに自分のスタイルと実力を証明した彼らには、らしさを取り戻す潮時だと感じたのだろう。

とにかくこの本は、ナイツ塙さんのお笑いに対する愛情に溢れた一冊だ。

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