トッド・ブラウニング「フリークス / 怪物団」

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トッド・ブラウニング製作・監督による『フリークス(邦題 怪物団)』は、実際の小人や奇形児・先天的身体障害者など、フリークス(奇形者)と呼ばれる見世物芸人たちが役者として登場するアメリカ映画。1932年に公開されるや、当時世間に道徳的議論を巻き起こした問題作だ。

この映画に出てくるフリークスは、小人症や結合(シャム)双生児、上半身だけの人間や手足のない身体を袋で包んだ「芋虫男」、ピンヘッド(小頭症)の知的障害者や髭女といった、生まれつきのハンディキャッパーたち。

この刺激的な作品は試写会の段階で、悲鳴を上げて逃げ出す者が続出する始末。そのため、最初90分あったオリジナルフイルムを63分に縮めて再編集、ようやく一般公開にこぎ着けたが、身障者を見世物風に扱った内容には多くの批判が寄せられた。

良識派を自認する人たちの執拗な抗議で、多くの劇場が上映を中止、イギリスでは30年間公開されることがなかった。その結果、商業的には大失敗、ブラウニング映画界のキャリアは事実上絶たれることになる。

しかし時代を経て『フリークス』は再評価され、『エレファント・マン』のデヴィド・リンチ監督などにも影響を与えた。当時世間を騒がせた内容も、今見ればそれほど過激なものでもない。現在は一部に熱狂的なファンを持つ、カルト的な映画だ。


物語の舞台は、旅回りのサーカス団。その一座で働く曲芸師の美女クレオパトラが、脇興行の小人・ハンスを財産目当てで誘惑、結婚後に毒殺を図ろうとする。だが結婚式の祝宴で泥酔したクレオパトラは、ハンスと仲間の見世物芸人たちを侮蔑、サーカス団の怪力男・ヘラクレスと恋人関係にあることも喋ってしまう。

そして毒入りの盃を飲まされたハンスは倒れるが、一命を取り留め、クレオパトラと共犯者ヘラクレスによる悪だくみを悟ることになる。そこから始まる見世物芸人たちの復讐劇が、この映画のクライマックスだ。

大雨の中、殺意を隠さないフリークス集団に追い詰められるヘラクレス。泥水に這いつくばりながら、怪力男ににじり寄っていくフリークスの姿がグロテスクで、とてもショッキングなシーンだ。このあとヘラクレスはフリークスに去勢され(るらしい)、またクレオパトラも手足を溶かされて「人間ダック」にされてしまう。

その過激さからか、二人が襲われるシーンは63分の再編集版ではカット。この部分は現存していないので、もう見ることは出来ない。まさにそんなセンセーショナルな描写が、身障者を見世物にしていると批判されてしまったのだろう。

もちろん高尚な映画ではないものの、決して見世物趣味だけの作品ではない。この映画に登場する奇形者たちは、ただ虐げられるだけの存在ではなく、強くしたたかに生きる人格として扱われているのだ。また映画に出てくるフリークスはどこか明るく、ブラウニングの偏愛というか、彼らへのシンパシーが感じられる。

当時は先天的身障者が、普通に見世物小屋のエンターティナーとして活躍していた時代。若い頃からサーカスと共に過ごし、見世物小屋の芸人が身近な存在だったブラウニング。彼らを映画の見世物にしたと言うより、ごく当たり前にその存在と役割へフィーチャーしてみた、ってところだったかもしれない。

トッド・ブラウニングは、サーカス芸人を経てボードビルの世界へ転身、俳優として映画に出演するようにもなる。そして短編映画を手掛けだした頃に、のちに「映画の父」と呼ばれたD・W・グリフィスと出逢い、16年の超大作映画『イントレランス』で助監督を務めた。

そのあと長編映画の監督として活躍、多くのメロドラマや猟奇ものを手掛ける。25年にはサーカスを舞台にした犯罪ものの『三人』をヒットさせ、27年には奇形の登場する『知られぬ人』を監督した。これらの作品を成功させたことが、後の『フリークス』に繋がることになる。

しかし『フリークス』商業的失敗のあとは、細々と監督業を続けるが注目されることもなく、不遇の後半生を送ることになった。44年に妻が死んでからはほとんど人とも合わなくなり、62年に淋しく死んでいる姿が発見された。

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