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イアン・フレミングと映画 007シリーズ

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〈2020年2月26日の記事〉
最新作『007 / ノー・タイム・トゥ・ダイ』

ボンド映画最新作、シリーズ第25作目の『007 / ノー・タイム・トゥ・ダイ』が4月10日に日本で公開(*コロナ禍により延期)される。主演は6代目ジェームズ・ボンドとして、5作目の出演となるダニエル・クレイグ。クレイグは本作でボンド役を退くことが、既に決まっている。

他に、M役のレイフ・ファインズ、Q役のベン・ウィンショー、マネーペニー役のナオミ・ハリスら、お馴染みの面々も出演。そしてボンドガールを演じるレア・セドゥも、前作の『007 / スペクター』に続く登場だ。

そして今回の悪役サフィンを演じるのは、『ボヘンミアン・ラプソディー』のフレディ・マーキュリー役で米アカデミー主演男優賞に輝いた、エジプト出身のレミ・マレック。また新顔では、黒人の英国女優ラシャーナ・リンチが、ボンドの後任MI6工作員ノーミとして活躍する。

監督は日系アメリカ人の、キャリー・ジョージ・フクナガ。20代の頃、北海道に半年間滞在していたこともある、42歳の新進監督だ。その颯爽とした風貌は、ダニエル・クレイグと並んでも劣らない位のイケメンぶりである。

ジャマイカとイアン・フレミング

物語は、前作で現役を引退したジェームズ・ボンドが、ジャマイカで穏やかな生活を送っているところから始まる。そんなある日、ボンドの旧友でCIA工作員のフェリックス・ライター(ジェフリー・ライト)が、突然彼のもとにやってくる。

ライターは、誘拐された科学者を救い出して欲しいと、ボンドへ依頼しに来たのだ。その依頼を受けボンドは現役に復帰、正体不明な敵との過酷な戦いに身を投じることになる。というのが今回のストーリー。

物語の発端となるジャマイカは、007シリーズ原作者のイアン・フレミングが、別荘「ゴールデンアイ」で毎年作品を執筆していた保養地。またシリーズ作品の『ドクター・ノオ』と『死ぬのは奴らだ』の舞台となった場所でもある。

映画化への模索

第二次世界大戦中、英国海軍情報部に勤務し諜報部員として活動していたイアン・フレミング。退役後その経験をもとに、MI6の秘密情報部員ジェームズ・ボンドが登場するスパイ冒険小説、『カジノ・ロワイヤル』(53年)を発表する。

翌年フレミングの許には、いくつか映像化のオファーが届き、6千ドルでアメリカの製作者に映画化権が売り渡された。『カジノ・ロワイヤル』は米テレビ局CBSによってドラマ化されたが、原作の小説は7千部、2作目の『死ぬのは奴らだ』も5千部しか売れず、映画化の話はいつしか立ち消えになってしまう。

それでもレイモンド・チャンドラーに作品を褒められ、自信を失わなかったフレミング。『ムーンレイカー』『ダイヤモンドは永遠に』とボンドが主役の小説を書き続け、ついに第6作目の『ロシアから愛をこめて』が、ライフ誌による特集、ケネディ大統領の愛読書5冊の中に選ばれる。

本当は大統領夫人ジャクリーンの愛読書だったが、秘書官がケネディの人間性を強調したくて愛読書リストに入れていたのだ。それでもその波及効果は抜群で、フレミングのスパイ小説はたちまち世間に知られるようになる。

この以前から、ジェームズ・ボンドの物語を映画にしたいと切望していたフレミング。友人を通して映画製作者で脚本家のケヴィン・マクローリーと知り合い、ボンド作品の映画化を進めていった。しかしフレミングは、ボンド役のキャスティングを巡ってマクローリーと衝突、企画は頓挫してしまった。

執筆に戻ったフレミングは『ドクター・ノオ』と『ゴールドフィンガー』を発表、その後マクローリーが映画化の話を持って再度接触してきた。そこでフレミングは監督をアルフレッド・ヒッチコックに頼みたいと要求、マクローリーもそれに同意し、企画は再び動き出した。

しかしヒッチコックがこのオファーを受けるはずもなく、企画は最初からつまずいた。それでも脚本はフレミングとマクローリー、そして途中で加わったウィッティンガムの3人で書き進められる。だがウィッティンガムを嫌ったフレミングはやる気をなくし、取材と称して香港へ飛び立ってしまう。

結局脚本は『西経78°』というタイトルをつけられ、マクローリーとウィッティンガムの2人が仕上げた。ちなみにフレミングは香港のあと日本に立ち寄り、『007は二度死ぬ』の着想を得ることになる。

製作決定までの紆余曲折

映画の企画は、またまた挫折。新作の執筆に取りかかったフレミングは、共同脚本『西経78°』の設定をベースにした小説『サンダーボール』を、マクローリーに断りもなく発表する。事前に『サンダーボール』を読んで、設定の無断使用を知ったマクローリー(犯罪組織スペクターや親玉ブロフェルドは、マクローリーの考えたもの)は、フレミングに対して出版差し止めの準抗告を行なった。

既に書店に送られていた『サンダーボール』の出版は認められることになったが、2年に渡る裁判の結果、映画化権はマクローリーのものとなった。そのため65年公開の『007 / サンダーボール作戦』にはイオン・プロの代わりにマクローリーの名前がプロデューサーとしてクレジットされ、83年には本シリーズに対抗する『ネバーセイ・ネバーアゲイン』がつくられることになる。

訴訟騒ぎなどの心労が重なり、ロンドンの病院で療養することになったフレミング。そんな彼に、ある日朗報が飛び込んできた。カナダ生まれのプロデューサー、ハリー・ザルツマンがシリーズ全作の映画化権(既に権利を売り渡していた『カジノ・ロワイヤル』を除く)買い取りを、好条件でオファーしてきたのだ。

映画製作に懲りていたフレミングは、「制作中の実務的な問題に、自分はかかわらない」という逆条件を出し、このオファーを承諾する。企画にはアルバート・R・ブロッコリも加わり製作会社イオン・プロを設立。配給会社もユナイテッド・アーティスツに決まり、ボンド映画はいよいよ実現に向けて動き出したのだ。

シリーズの成功

62年公開の『007 / ドクター・ノオ』は予想を超えるヒットを記録、ジェームズ・ボンドのイメージはフレミングの手を離れ、主役を演じたショーン・コネリーのものになった。続編となる63年の『007 / ロシアより愛をこめて』も好成績を収め、シリーズ化の流れが出来ていった。

そして大ブームを起こす3作目『007 / ゴールドフィンガー』が公開される直前の64年8月、フレミングは心臓発作で死去。享年66歳だった。生涯で残した作品は、ボンドが主役の長編12冊と、8編の短編小説である。

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