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デヴィッド・フィンチャー「ファイト・クラブ」

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世紀末のカルト映画

99年のデヴィッド・フィンチャー監督『ファイト・クラブ』は、物質文明の病理に悩まされる現代人が、社会の価値観を破壊し、己を蝕む常識から脱却しようとする物語。フィンチャー監督が20世紀末を迎えた社会の混沌を、暗示的な映像と語り口で描いた刺激的な作品だ。

難解と言われる内容で公開時はヒットしなかったが、一回観るとクセになり、繰り返し観たくなるような魅力がある。この作品には熱狂的信者も多く、いわゆるカルトと呼ばれる映画だ。

主人公は“僕”の一人称で物語を語る、自動車会社の若きエリートサラリーマン。現代社会のストレスを抱えるその男を、『真実の行方』(96年)の演技で注目されたエドワード・ノートンが演じている。そして “僕” の分身であるタイラー・ダーデンを演じるのは、『セブン』(95年)に続いてフィンチャーとタッグを組むブラッド・ピット。

“僕” の正体

空虚な生活を送り不眠症に陥っていた “僕” は、ある日仕事で移動中の飛行機で、謎めいた男タイラー・ダーデンと出逢う。そして “僕” はタイラーに導かれるまま、秘密組織「ファイト・クラブ」を結成。大勢の男たちを巻き込み、1対1の殴り合いが地下空間で繰広げられる

しかし、自己解放が目的のはずの「ファイト・クラブ」は次第に先鋭化、タイラーをリーダーに破壊活動を行なうテロリスト集団へ変貌していく。その過激な活動からは外に置かれた状態だった“僕”、彼らの企てる金融ビル爆破計画を知り阻止しようとする。

だがあることがきっかけ “僕” は、衝撃的な事実を知ることになる。タイラーという男は、“僕” の病んだ精神症状が生んだ、理想化されたもう一人の自分だったのだ。

過激なヴァイオレンスと斬新な語り口

最後は唖然とするような展開になるが、結末を知って繰り返し観るとまた別の見方が出来るような作品。よく練られた脚本の巧妙な仕掛け、そしてブラッド・ピットとノートンの熱演で、観客は混乱しながらも映画に引き付けられてしまう。

『ファイト・クラブ』で描かれているのは、現代社会における行き過ぎた物質至上主義への、アンチテーゼだと言われている。しかしそれはチャック・パラニュークによる原作小説『ファイト・クラブ』のテーマであり、自分はアンチ物質主義ではないと、監督のフィンチャーは述べているらしい。

もうひとつ映画で描かれているのは、常識や価値観に縛られる社会から解放され、本当の自分を知ること。映画の中には過激な暴力表現が頻出するが、自己実現は大きな痛みを味わうことから始まる、と言っているのかもしれない。

一方、過激な暴力描写で反暴力を訴えているという意見もあるが、それはしっくりこない気がする。やっぱりフィンチャー監督がやりたかったのは、過激なヴァイオレンスと斬新な語り口で、観客を映画的興奮に誘い込むことだろう。もちろんフィンチャーは暴力を肯定しているのではなく、エンターテインメントとして魅せているのだ。

定型を拒む登場人物の魅力と、混沌とした世界の不安と不気味さ。だがストーリーは良く分からなかったとしても、別に難しく考える必要はない。単純にその刺激的な世界観と、人物キャラの面白さ格好良さを味わうだけでも、充分楽しめる作品だ。

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