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たけしの“これがホントのニッポン芸能史”「ツッコミ」

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たけしのツッコミ理論

BSプレミアムで不定期に放送される、『たけしの“これがホントのニッポン芸能史”』。今回取り上げられた研究テーマは【ツッコミ】という、ちょっとコアなお題。90分という長尺がツッコミで埋め尽くされ、なかなか中身の濃い内容となっていた。

時代とともに多様化してきたツッコミは今も進化を続け、現在は新世代によるツッコミ革命の真っ只中。番組では今をときめく漫才師たちにインタビューを行ない、自分のスタイルに合った“ツッコミの定義”を語らせているのが見どころ。出演者はMCのたけしと所ジョージ、そしてゲストには中川家とナイツ。それに旬のミルクボーイと ぺこぱも加えた賑やかな顔ぶれだ。

たけしも自身のツッコミ論を熱く展開。「ツービートやB&Bの時代はボケが漫談。速さを優先しツッコミを短縮していた」と振り返り、「今はツッコミを被せて、テクニックで笑いに替える形になった」と持論を述べる。

また番組途中には、ダウンタウンに言及。浜田のツッコミに「難しいことを言わないのに、笑いを取れる」と評したあと、「俺たちの時代のツッコミは間が持てないが、浜田が言うと結構持つ」の分析。「松本のボケに合っているだろうな」と語った部分は、たけしのダウンタウン観が窺える興味深い場面だった。

爆笑問題と中川家のツッコミ

最初のインタビューVTRに登場したのは、爆笑問題。ツービートのスタイルをモデルにした爆笑問題の漫才は、基本的に「よしなさい」「やめなさい」のツッコミ。彼らが得意とする時事ネタは、ツッコミのスタンスによってお客の印象も変わってしまうもの。太田のボケが難しいので、必然的にツッコミは「違うだろ!」など、シンプルなものにならざるを得ないようだ。

お笑いは「トーン」で着地させるものだと定義する太田光。その「トーン」を決めるのがツッコミだが、「自分たちはホントに漫才が下手だ」と正直に思いを吐露する。その爆笑問題が羨むのが中川家。その中川家の漫才は、ボケ・ツッコミの明確な役割分担がないのが特徴。

ツッコミやボケは用意しすぎず、かといってアドリブも使いすぎず。その微妙なバランス調整が出来るのが、兄弟ならではの呼吸。そんな中川家にとってのツッコミは「笑いが倍になる」もの、というのが定義。

フットボールアワーとナイツのツッコミ

次に登場したのが、フットボールアワー。オシャレな“例えツッコミ”を代名詞とする後藤だが、漫才でやってるのは意外にも普通のツッコミ。ツッコミはボケを際立たせるものと考える岩尾、ボケを邪魔するようなツッコミが許せないらしい。

岩尾は渡されたフリップに、「ボケの下」であると書きツッコミを一刀両断。すると後藤は間髪を入れず、「しばくぞ!」。ツッコミにまったく愛情のない岩尾でした。

フットと考え方の近いナイツ。ナイツの漫才はツッコミがいなくても成立すると、ボケの塙だけで“一人ナイツ”の実験を行う。確かに塙だけでも漫談風なネタとして成立するが、大きな笑いには繋がっていかないのを実証。お客をツッコミにする方法もあるが、それでは漫才を越えられないそうだ。

ということで、塙の考えたツッコミの定義は「ボケの枠を太くしてくれる」というもの。但しこの言葉、たけしがナイツに送ったものらしい。

ミルクボーイと ぺこぱの漫才

これらのVTRを見て「自分たちのネタはアドリブが入れられないので、中川家やナイツの自由な漫才が羨ましい」と、ミルクボーイ内海がコメント。それに対し たけしは、「今は勢いがあるから、このままガンガン行くべき。慣れたと思われたら客が笑わなくなるので、アドリブを入れるのは時期が来るまで待ったほうがいい」とアドバイスを送る。

そしてミルクボーイは自らの漫才を、「二人一組のボケに、お客がツッコむ」スタイルだと分析。ツッコミとは「ボケの一員」と定義した。

このあとミルクボーイと ぺこぱは、スタジオで漫才を披露。たけしは ぺこぱの漫才を「M-1のとき、ひっくり返って笑った」と絶賛。「ツッコミが中途半端だと怒られるが、吹っ切ったから面白い」とのお褒めの言葉を贈る。

松陰寺の“優しいツッコミ”は、試行錯誤を重ねて行き着いたもの。普通にツッコんでもウケないので、「とは言い切れない」を加えてひとひねり。するとその部分がウケだしたので、次第に全部のツッコミが今の形に変わっていったとのこと。

そんな ぺこぱ が語るツッコミの定義とは「メロディ」。もともとミュージシャンを目指していた松陰寺。いつしか長くなってしまったツッコミに、音楽のような息つぎや抑揚を意識しているらしい。

笑い飯、かまいたち、和牛

その他に笑い飯、かまいたち、和牛、霜降り明星といった漫才コンビと、バイきんぐ や東京03らの人気コント師がVTRで登場。それぞれのツッコミ哲学を語った。

Wボケ・Wツッコミの漫才で知られる笑い飯だが、実は西田がボケで、哲夫がツッコミ。しかし哲夫がアホになったとき、それに西田が怒るという役割が独特のスタイルを生んでいるようだ。そして笑い飯による定義は「ご案内」。つまりボケを伝える(客への)通訳が、ツッコミの役割だということらしい。

かまいたち が心がけるのは、リアルさとタイミング。漫才は会話の流れに即したツッコミ、そしてコントではリアクションで表現し、リアルな反応を重視しているとのこと。確かに濱家は作りすぎない自然な表情のツッコミで、ボケを邪魔していない。

そんな彼らによる定義は、「シェフ」であるということ。「旨そうと皆思うけど、それをこういう食べ方がありますよと提供する」のが、ツッコミの仕事だと語る。

コント形式で見せる、和牛の漫才。シチュエーションで会話するネタが好きな川西は、存在感と演技力でボケを引き出すツッコミを得意にしているよう。そしてその定義は「青レンジャー」。川西は「2番手だけど頼りになる」と、上手い言い回しで例える。

霜降り明星、バイきんぐ、東京03

霜降り明星・粗品の“体言止めツッコミ”が強く、「ボケにも負けない強さが求められる」と訴える せいや。その せいや によるツッコミの定義は「粘土」。その意味は、「人によって同じツッコミが、柔軟に形を変えるから」と、分かったような分からないような理由。

バイきんぐ小峠によるツッコミは、「耳引きちぎるぞ」のようなバイオレンスタッチが特徴。ロックバンドの過激な音楽に刺激を受けた小峠、その言葉の強さや気持ちの良いリズムに影響され、今のツッコミスタイルが生まれたとのこと。

コンマ秒のタイミングにも拘る小峠の、コントにおける定義は「潤滑油」。小峠の「ツッコミがあることによって、コントが上手いこと流れる」というコメントに、西村は「おおむね相違ないですね」となぜか上から目線。たちまち「お前、鼻削いでやろうか」の、バイオレンスツッコミが炸裂する。

東京03飯塚による定義は「リアクション」。コントにおけるツッコミとは「役からはみ出ない、劇中キャラの発言。ボケが理不尽なことを言ってきたときに、リアクションするイメージ」と説明。東京03のコントにおけるツッコミの役割は、「お客さんの代弁者として、共感を得る役割」だと語る。

まさに千差万別、それぞれのお笑いにスタイルに合った様々なツッコミがあるもんだと、この番組で実感。大変参考になりました。

最後に たけし先生、映画でラーメンを旨く見せる鋭い演出論と「端的なツッコミほど、客の想像力をかきたてる」の名言で番組を締めくくる。しかしかつてのスタッフを遠ざけてしまった現状では、再び映画を撮るのは難しそう。「裸の殿様」でなければいいけど。

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