「ワールドカップをめぐる冒険」小野・稲本・高原

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「黄金世代」の3人

1999年、ナイジェリアで行なわれたワールドユース選手権(現、U-20ワールドカップ)で勝ち進み、準優勝という快挙を成し遂げたユース日本代表。初めてFIFAの大会で決勝へ進んだ日本チームの主力となり、タレントが揃った79年生まれの選手たちが、いわゆる「黄金世代」だ。

その「黄金世代」の中でも中心的存在となったのが、小野伸二、稲本潤一、高原直泰の3人。それから20年が経ち、山あり谷ありのサッカー人生を送りながら、今もなお現役選手としてプレーする3人である。

BSフジの『ワールドカップをめぐる冒険~小野、稲本、高原~黄金世代に居場所はあるのか。』は、その「黄金世代」3人に密着したドキュメンタリー。日本代表でも海外でも実績を残した3人だが、40を過ぎていまなお現役にこだわる彼らを、カメラは追っていく。

小野伸二の現在

小学校時代から“天才少年”として知られた小野伸二は、清水商業を経て鳴り物入りで98年に浦和レッズへ入団。その年の日本代表に選ばれ、フランス・ワールドカップの舞台も経験している。01年には海外移籍、オランダのフェイエノールトでレギュラーを掴みEL優勝にも貢献した。

その後は日本と海外を行ったり来たりで、ドイツやオーストラリアも経験。現在はJ2のFC琉球でプレーしている。降格の危機にあるクラブの救世主として呼ばれた小野。だが移籍後3試合を終わって未勝利と、その力を発揮しきれず。しかしフル出場は体力的に難しくても、小野らしいプレーも随所に見せていた。

稲本潤一の現在

稲本潤一は、ガンバ大阪ユース出身。当時最年少の17歳でトップリーグ出場を果たすと、翌月にはJリーグ最年少得点を記録する。大型ボランチとして将来を嘱望された稲本は、ベンゲルに見込まれて名門アーセナルへ移籍。だが当時最盛期のアーセナルで出番はなく、出場機会を求めてフルハムに移る。

フルハムでは日本人欧州リーグ初のハットトリックを記録するなどしたが、その後ヨーロッパ各国のチームを転々、10年に日本へ戻ってきた。コンサドーレ札幌では小野伸二とともにプレー、現在はJ3のSC相模原で現役を続けている。

相模原のホームグラウンドは人工芝、足に故障を抱える稲本には厳しい環境だ。昨シーズンJ3最年長ゴールを記録したものの、その後の試合で右足内転筋を負傷、そのまま戦線離脱となってしまった。結局リーグ戦出場は9試合に留まるが、20年シーズンも契約を更新。若手の見本になる存在として期待されているようだ。

高原直泰の現在

高原直泰は98年に、清水東高からジュビロ磐田にに入団。その年のJリーグ開幕戦で得点を挙げ、早くもその能力の高さを発揮する。01年、アルゼンチンのボカ・ジュニアーズへ移籍。02年に磐田へ戻ると、得点王とMVPを獲得する大活躍を見せた。

その後ドイツに渡り、ハンブルガーSVやフランクフルトで活躍。日本人初のブンデスLハットトリックも記録し「スシ・ボンバー」の愛称で親しまれるようになる。08年に日本に帰国、浦和レッズや清水エスパルスなどでプレーしたあと、16年には沖縄SVのオーナーとなる。

沖縄SVでは監督と選手も兼任し、三足の草鞋を履く高原。長引く怪我もありコンディションは万全と言えないが、その闘志は健在。熱い言葉で喝を入れながら、背中で選手たちを引っ張っていく。またサッカーだけではなく、経営者としての顔も持つ高原。コーヒー栽培や営業にも余念がない。また選手の勧誘や契約交渉など、忙しそうだが充実した毎日だ。

「黄金世代」の栄光と苦難

番組の企画で久しぶりに集まり、若き日の思い出を語りあう3人。初めての出逢いは93年、14歳の時のブラジル遠征の合宿。この合宿で仲間となった3人はその後フィリップ・トルシエの指導を受け、大きく成長を遂げることになる。

現在65歳のトルシエ、今はベトナムU-19代表チームの監督を務め、指導者としての活動を続けているようだ。3人はトルシエ監督について「エキセントリックだったがアメとムチの使い分けが上手く、良い監督だった」となかなかの好評価。

ワールドユース準優勝という実績を残し、このまま代表の中心選手になるかと思えた3人。だが2000年のシドニー五輪は、小野が怪我で参加を見送り、01年のコンフェデレーションズカップは高原が欠場、02の日韓ワールドカップも、直前で高原がエコノミー症候群で代表を外れるなど、この3人が国際大会で揃って活躍することはなかった。

06年のワールドカップ・ドイツ大会、ジーコ監督は3人を代表メンバーに選ぶ。26歳というピークを迎えた黄金世代だが、ポジションを失っていた小野は1試合11分間の出場、稲本も1試合45分の出場に留まった。

唯一レギュラーだった高原は、2試合に先発し無得点。最後のブラジル戦も途中出場したが、負傷により僅か6分で退いてしまう。日本は1勝も挙げられず予選敗退、とうとう3人がピッチに揃うこともなく、苦い思いだけが残ることになる。

小野はその後代表に招集されなくなり、高原の出番も徐々に減っていった。稲本は南アフリカ・ワールドカップに招集されるも、縁の下の力持ち的存在。2試合で終了間際の数分間プレーしただけで、代表を引退していった。そして彼らの代わりに代表の中心となったのは、皮肉にも同じ黄金世代の遠藤保仁である

それぞれが栄光と苦難を味わってきた、「黄金世代」の3人。すでに代表やワールドカップと言った目標はないが、男は40からだとまだまだ前向き。これからも楽しくサッカーやれたら良いというのが、彼らのいつわざる思いのようだ。

しかしコロナウィルスの影響で公式戦が中断されてしまい、貴重な時間を奪われたベテランにとってもどかしい状況。だが今は我慢の時とき。困難な時期を乗り越え、そのへこたれない精神を見せて欲しい。

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