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映画「太陽がいっぱい」

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ハンサムの代名詞 アラン・ドロン

60年のフランス映画『太陽がいっぱい』は、地中海の太陽と海をバックにアラン・ドロン演じる美貌の青年リプリーが、殺人の完全犯罪をもくろむ背徳のサスペンスドラマ。原作はアメリカの女流作家、パトリシア・ハイスミスによるピカレスク小説。彼女の『見知らぬ乗客』は、ヒッチコックによって映画化されている。

ドロンはこの映画で一躍その名を世界中で知られるようになり、日本でもその人気は絶大だった。男前と言えばアラン・ドロン、アラン・ドロンと言えば男前といった風に、長い間ハンサムの代名詞になっていたくらいだ。

音楽は、フェデリコフェリーニとのコンビで知られるニーノ・ロータ。その甘美なメロディは、映画と共に世界中で大ヒットを記録している。撮影はヌーベル・バーグの代表的カメラマンとしても知られている、アンリドカエ。海と太陽のまぶしい風景を見事に捉え、映画にある種の趣を与えている。

監督は『禁じられた遊び』『居酒屋』で知られるフランスの巨匠、ルネ・クレマン。この映画が公開された60年当時は、「ヌーベル・バーグ」と呼ばれる若い作家たちが次々と意欲作を発表していた時期。クレマン監督は下の世代の「ヌーベル・バーグ」毛嫌いしており、『太陽がいっぱい』は彼らへ挑戦状を叩きつけた作品と言われている。

リプリーの企み

友人フィリップ(モーリス・ロネ)が暮らすナポリにやって来た、貧しい青年トム・リプリー(アラン・ドロン)。リプリーは金持ちの放蕩息子フィリップとの遊びに付き合ううち、彼の驕慢な振る舞いに対し、次第に殺意を募らせていく。

そしてヨットを繰り出し二人きりになったとき、ついにリプリーはフィリップをナイフで殺害、遺体を海に投げ捨てる。陸に上がりサインを真似るなどして、フィリップになりすますリプリー。こうしてフィリップの財産を我が物にするだけでなく、彼の婚約者だったマルジュ(マリー・ラフォレ)をも手中に入れようとする。

全てが思惑通りに運び、海の家の椅子に寝そべって太陽をいっぱいに浴びるリプリー。だが微笑みを浮かべるリプリーの完全犯罪には、思わぬ破局がまちうけていた。

優れたサスペンス映画で青春映画の傑作

太陽きらめく洋上での殺人という意外性。華麗な完全犯罪のテクニック。指紋すり替えシーンのスリル。そしてラストのどんでん返し。ポール・ジェゴフの脚本とクレマンの巧みな演出がサスペンスを盛り上げ、ヌーベル・バーグ世代にその手腕の冴えを見せつけた。

手段を選ばず成り上がろうとするリプリー、美貌だがどこか切ない青年の怒りや嫉み、そして生まれ持った業を、クレマンがみずみずしく描き出している。この映画ではまだ青っぽさが残るアラン・ドロン。彼の危うさと悪の魅力が、この映画にピッタリと嵌まった印象だ。

ホモセクシャルな匂いを漂わせる、リプリーとフィリップの微妙な関係。そしてその男二人にからむ、古典的な美女マルジュの心の揺らぎ。『太陽がいっぱいは』優れたサスペンス映画だが、同時に青春映画の傑作でもある。

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