53年『ローマの休日』で演じたエレガントでチャーミングなプリンセス役が世界を魅了し、一躍人気者となったオードリー・ヘプバーン。
その後も『麗しのサブリナ』、『昼下がりの情事』、『ティファーニーで朝食を』、『シャレード』などの作品に出演、その特徴的なルックスと可憐さにより「ファニー・フェイス」「妖精」の愛称で親しまれた。
70年代以降は家族優先で女優業を控えるようになったが、88年からはユニセフ親善大使として世界を巡り、社会奉仕活動に尽力する。しかし晩年は癌を患い、93年に63歳の若さで死去している。だがオードリーの死後もその輝きは衰えることなく、たびたび特集が組まれるなど、依然根強い人気を保つ大スターである。
あの優雅なイメージと恵まれたキャリアから、華麗な人生を送ったと思われがちなオードリー。だが実は幼少期から様々な困難に耐え、心の拠りどころを求め続けた孤独な女性だった。
オードリーの父ジョセフ・ラストンは、ボヘミア生まれのイギリス人、母エラはオランダ貴族の娘だった。二人はともに結婚している状態で知り合い、それぞれ離婚してから一緒になった不倫カップルである。
父は定職を持たない山師的人物で、しかも熱心なファシスト主義者。結婚後二人はイギリス・オランダなどを転々する。そしてベルギーのブリュッセル郊外に移り住んだ1929年5月4日、夫婦に娘のオードリー・キャスリーン・ラストンが誕生した。
ヘプバーンという姓は、祖父と貴族との僅かな繋がりを知った父ジョセフが、勝手に名乗った名前。オードリーはそれに倣ってヘプバーンを名乗ることになるが、その家柄との血縁は無いと言われている。
両親は32年頃からイギリス・ファシスト連盟の熱心な活動家となり、積極的にナチス・ドイツとの連帯を目指すようになった。しかし次第に二人は家庭内で争うことが多くなり、35年には父ジョセフが突然家を出てしまう。しつけに厳しい母より、優しい父が好きだった6歳のオードリー。父親に見捨てられた孤独から毎日泣きはらし、精神が不安定となって大きなトラウマを残すことになる。
このあとオードリーは、郷里に戻った母エラに連れられ、オランダでの生活を送ることになる。そして30年代後半、母が英国人と恋愛関係になり、イギリスへ移住。第二次世界大戦が勃発した39年には、中立宣言をして安全と思われたオランダに戻り、祖父母と暮らした。
だがヒトラーのドイツは、中立宣言を無視してオランダへ侵攻。オードリーの一家は財産のほとんどを没収され、厳しい生活を強いられることになる。この間オードリーは一度父親に会っているが、ナチスの横暴が判明したあと、運動家としての力を失っていた。その後ジョセフは国家敵対者として逮捕され、終戦までイギリス・マン島の収容所で暮らすことになる。
戦時中は食べるものにも困り、栄養失調となってしまったオードリー。ようやく終戦を迎えると赤十字やユニセフの援助を受け、それが後の社会奉仕活動に繋がっていく。
だが戦争が終わっても暮らしは困窮。母エラは貴族の家柄の誇りを捨て、雑役婦として生活費を得た。オードリーも写真モデルをしながら母親を支えたが、その頃の夢はバレリーナになることだった。幼い頃からバレエを習い、戦争で中断されてしまったが、その情熱は衰えることがなかったのだ。
ロンドンのバレエ・スクールに入団したオードリー。モデルやナイトクラブのダンサーをしながらレッスンを続けるも、170㎝という長身や、戦争によるブランク・栄養失調が弊害となり、バレリーナの夢を断念せざるを得なくなる。
そこで目標をミュージカルの舞台俳優に変えたオードリー、オーディションを受けコーラス・ガールの端役を貰った。しかし初めてのミュージカルショーは、不入りで公演打ち切り。暗然とするオードリーだが、彼女のもとにイタリア映画監督からの出演オファーが舞い込むことになる。
初めは端役だったが徐々に出番を増やし、22歳の時に『モンテカルロへ行こう』へ出演、そのモナコ・ロケに参加する。すると、ホテルのロビーを純白のウェディングドレスで駆け抜けるシーンの撮影中、見物人の中に「私のジジが走っている」と叫ぶ老婦人の姿があった。
その老婦人は、フランスの女流作家コレット。自身の書いたミュージカル、『ジジ』のヒロインを探していたコレット女史に見そめられ、オードリーは本場ミュージカルの主役に抜擢されることになったのだ。
ミュージカル『ジジ』はブロードウェイで大当たり、8ヶ月ものロングランとなった。さらに『ローマの休日』のアン王女役にも決まり、ナイトクラブ時代に知り合った恋人ジェイムス・ハンソンとも、撮影中に結婚式を挙げる約束を交わした。
しかし、女優としてのキャリを始めたばかりのオードリーと恋人の婚約は破談。このあと『麗しのサブリナ』で共演した11歳上のウィリアム・ホールデンとは、彼が妻子持ちにかかわらず恋愛関係になっている。
54年には12歳上のメル・ファーラーと結婚。ファーラーは周囲の評判が良くなく、オードリーには洗脳されているという噂が立ってしまった。二度の流産のあと息子ショーンをもうけるが、それから別居状態となり68年に離婚。
小さい頃から、あまり親の愛情に恵まれなかったオードリー。その心の空白から、女扱いを心得た父性のある男性に、すぐ魅せられてしまう傾向があったと言われている。
オードリーは二度目の結婚・出産・離婚を経て、年下の俳優ロバート・ウォルダースと82年から事実婚。オードリーは89年のインタビューで、彼と暮らしたそれまでの9年間を「人生最良の日々」と振り返っている。