大林宣彦監督 死去

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肺がんにより余命宣告を受けながら最後まで映画を撮り続けた大林宣彦監督が、10日の午後7時23分東京都内の自宅で死去した。息を引き取る前の昼には、窓の外の八重桜を眺めながら家族と会話を交わしていたそうだ。享年82歳。

大林さんはCMディレクターとしてキャリアをスタート。テレビCMの創世期から活動し、2000本以上の作品を手掛けた。CMを映像作品とした第一人者で、大物外タレ起用の先鞭もつけている。話題になったものには、チャールズ・ブロンソンの「うーん、マンダム」や、ソフィア・ローレンがミニバイクに乗って口にした「ラッタッター」のかけ声が流行ったCMなどがある。


77年のホラー・ファンタジー『HOUSE ハウス』で劇場映画デビュー。そのポップな感覚と斬新な映像が観客を驚かせるが、わけの分からない映画とのしそりも浴びた。

78年に山口百恵の『ふりむけば愛』、81年には薬師丸ひろ子の『狙われた学園』(81年)などのアイドル映画を手掛け、82年には故郷の尾道を舞台にした『転校生』(82年)を発表。この作品が評判を呼び、ようやく映画作家として認められる。

『転校生』と『時をかける少女』(83年)、そして『さびしんぼう』(85年)は「尾道三部作」と呼ばれたが、大林監督は故郷の小さな町を詩情溢れるタッチで絵描き、ファンに愛される映画となった。そしてこれらの作品で、俳優経験の少ない小林聡美、原田知世、富田靖子らを輝かせ、若い女優を育てる監督として知られた。

それからも『異人たちとの夏』(88年)『青春デンデケデケデケ』(92年)などの佳作を発表。温厚な性格から多くの俳優、スタッフ、関係者たちに慕われた。16年にステージ4の肺癌と診断され、医師から余命3ヶ月と宣告されたが、抗がん剤治療を受けながらメガホンを取り『花筐/HANAGATAMI』を撮影している。

そのあとも、新作『海辺の映画館 キネマの玉手箱』の製作に着手、命を削りながらも映画を完成させた。10日は『海辺の映画館 キネマの玉手箱』の公開予定日だったが、コロナウィルスの影響で延期。大林監督は「しょうがないね」とつぶやき、残念そうだったが受け入れていたそうだ。

そして「あと一本は撮りたい」と語っていた大林監督だが、ついに病魔の前へ力尽きてしまった。

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