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山本富士子と「五社協定」

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日本一の美女

1950(昭和25)年に始まった「ミス日本」。第1回大会の優勝者となったのは、「日本一の美女」と謳われた当時19歳の山本富士子さんだった。全国から700人近い応募が集まる中、彼女の美貌と品性は際立っており、満場一致でグランプリに輝いている。

山本富士子さんは31年大阪の生まれ、終戦後京都に移り住んだ。良家の子女として育った彼女は、幼い頃から本格的に日本舞踊を習っている。彼女が「ミス日本」に応募したのは、市役所に勤める父親の友人からの強力な勧めがあったからだ。

「ミス日本」となった翌年には、貿易振興と親善のため使節としてアメリカへ派遣される。そして訪問したシアトルでは堂々と英語で挨拶を行ない、周囲を驚かせたそうだ。彼女はただのお嬢さんではなく、芯の強い女性でもあったのだ。

そんな彼女には映画界からスカウトが殺到、特に松竹と大映が激しい争奪戦を繰広げた。当初女優になる気のなかった山本富士子さんだが、「法外なギャラは要求しないが、3年たって一人前になったら自由契約にして貰いたい」という条件で、53年に大映と専属契約を交わしている

「お知らせ」

続きの本文は移転先サイトの記事【山本富士子と「五社協定」 – サイレントノイズ・スタジアム (hateblo.jp)】で読めます。

なお、”映画人伝” は有料記事となりますのでご了承ください。

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