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チャールトン・ヘストンと「ベン・ハー」

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大スケールのスペクタクル史劇

59年製作の『ベン・ハー』は、ルー・ウォルスの同名小説を原作としたスペクタル史劇。サイレント時代の1907年版と1925年版に続き、3度目となる映画化作品だ。70ミリフィルムによる212分の超大作、当時破格となる制作費1500万ドルが投じられ、出演したエキストラも5万人に及んだ。

迫力満点の戦車競走のシーンが話題となり、公開されるや世界中で大ヒットを記録している。そしてこの年のアカデミー賞では、作品賞・監督賞・主演男優賞を始めとする、史上最多の11部門でオスカーを受賞した。

監督は名匠、ウイリアム・ワイラー。ヒューマンドラマ、社会派作品、スリラー、ラブコメディ、西部劇、ミュージカルなど、多岐にわたるジャンルで質の高い仕事をし続けてきたオールラウンダーの監督だが、この『ベン・ハー』でも、オーソドックスかつ堂々とした演出で風格のある作品に仕上げている。

ちなみにワイラー監督は、1925年版の『ベン・ハー』で助監督を務めた経験がある。

スペクタル史劇の英雄 チャールトン・ヘストン

57年、パラマウント映画の史劇『十戒』(監督、セシル・B・デミル)が大当たり。ライバル社のMGMはその流れに便乗し、『ベン・ハー』のリメイク作品を企画する。ワイラーへ監督を依頼するなど製作準備を進めるMGMだが、主役選びは難航した。

最初に候補に挙がったのは、51年の史劇『クウォ・ヴァディス』で主役を演じていたロバート・テイラー。しかしこの話はすぐに立ち消えとなり、バート・ランカスターやポール・ニューマンらが次の候補に挙がるが、結局断られてしまう。

最終的に有力な主役候補とされたのは、当時売り出し中のロック・ハドソン。出演予定の映画が撮影中止となり、ちょうど彼のスケジュールが空いていたところだった。しかし製作開始直前、チャールトン・ヘストンの主演が唐突に発表された。

ヘストンはパラマウントの『十戒』で主役のモーゼを演じており、MGMの対抗作品『ベン・ハー』で主演を務めるとは思われていなかった。しかし大作スペクタル史劇の英雄には、スケールの大きさと誠実さにあふれるヘストンが、やっぱり相応しいと考えられたのだ。

身長191㎝のヘストンだったが、彼は映画でそれ以上のボリューム感を発揮する俳優だった。「大根」とか「役の幅が狭い」と言われることもあったが、生まれ持った男らしさと爽やかさは娯楽大作にうってつけ。映画『ベン・ハー』の魅力も、主演ヘストンの存在感によるところ大、だったのである。

ハリウッドの重鎮

ヘストン12歳の時に両親が離婚しているものの、育ちは非常に良かったようで、それが彼の個性である清潔感や素朴さを生み出した。大学卒業直後に海軍へ入隊。その歳、大学で知り合った演劇仲間のリディア・クラークと結婚している。

この夫婦はヘストンが08年に亡くなるまで64年間連れ添うことになり、ハリウッドスターには珍しい誠実で平和な結婚生活となった。ヘストンはセシル・B・デミルの『十戒』でスターとなったが、撮影中も監督に喰ってかかり、自分を曲げない硬骨漢ぶりを見せたという。

『ベン・ハー』で押しも押されぬ大スタートなったヘストンだが、映画の斜陽化で娯楽大作が作られなくなったことと、ニューシネマの勃興で一時出番を失いかける。

しかしその後『猿の惑星』や『ソイレント・グリーン』などのSFや『エアポート’75』や『大地震』などのパニック映画でも逞しい男の存在感を見せ、大ベテランになっても活躍した。またその人柄の良さが人望を集め、ハリウッド俳優組合の代表や全米ライフル協会の会長も歴任している。

迫力の戦車競走シーン

映画『ベン・ハー』のハイライトは、仇敵メラッサとの戦車競走による対決シーン。映画では約15間のシーンだが、撮影に当たってはリハーサルに4ヶ月をかけて綿密な絵コンテが作られ、本番にも3ヶ月の期間が費やされたという。

イタリア・チネチッタの撮影所に実物大の競技場を建設。競争のシーンではスピード感を出すためレンズを交換したり、一秒24コマを20コマに落として撮影するなどの工夫がなされている。馬車の直進を正面から撮るシーンは16コマ、迫力のスピードを生み出した。

だがこのスペクタルシーンを演出したのは、第二班監督のアンドリュー・マートン。ワイラー監督は僅か数日間の撮影に立ち会っただけで、それほど熱を入れていたわけではないようだ。それでもイエス・キリストを交錯させたドラマ部分は、さすがの手堅さと重厚さ。その熟練した仕事ぶりで、3度目となるアカデミー監督賞を手にしている。

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