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映画「ウエスト・サイド物語」

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現代スタイルのミュージカル

61年公開の映画『ウエスト・サイド物語』は、レナード・バーンスタインの音楽によるブロードウェイ・ミュージカルの映画化作品で、シェイクスピア悲劇の『ロミオとジュリエット』を下敷きにして創られた物語。

それまでのミュージカルと言えば、明るく楽しいエンターテインメントというのが一般的だったが、この『ウエスト・サイド物語』は差別や貧困という社会的メッセージを盛り込み、現代の若者をスタイリッシュに描く映像が斬新だった。

日本でも公開されるや話題となり、2年間のロングランを記録している。映画に登場する新しいダンスや、コカコーラ、ジーンズ、スニーカーといったモダンなアメリカ風俗が、東京オリンピックを前にした日本の若者たちにも大きな影響を与えている。

監督と製作はロバート・ワイズ。そして振付師で舞台演出家のジェローム・ロビンズが、共同監督を務めている。ワイズ監督はドラマ部分に専任、年密な画面設計とカメラワークで厚みのある物語を生み出した。

主演は『三十四丁目の奇蹟』『理由なき反抗』のナタリー・ウッドと、新進俳優のリチャード・ベイマー。その他、当時はまだ無名だったジョージ・チャキリスやリタ・モレノといった大勢の若手がオーディションによってキャスティングされた。

名作揃いのミュージカルナンバー

舞台はニューヨークの東側(ウエスト・サイド)にある、移民系住民の暮らす下町。そこを縄張りとする不良グループ、ポーランド系のジェット団とプエルトリコ系のシャーク団の抗争を軸に、若者たちの鬱屈や情熱の発揮、そして対立の垣根を越えた恋人たちの悲劇が映画で描かれる。

オープニングはソール・バスによるタイトルで開始。そして逆三角形のデザインが70ミリ大画面による実物のマンハッタン島の大鳥瞰図に置き換えられ、真上から見たニューヨーク港のドッグからビル街の上へと、カメラは空中を進んでいく。

そして寂れた街の一角に舞い降りたカメラは、そこに佇む青年の姿を映し出し、飛んできたバスケットボールに対して威嚇するように彼は指を鳴らす。そして指を鳴らす若者の数が一人から二人へ、さらに三人・四人と増えていき、ついにはもう一つのグループとのつばぜり合いが始まる。

まさに斬新、かつ映画的ダイナミズムにあふれたオープニングで、一気に観客をミュージカル世界に引き込んでいく演出が鮮やかだ。この振り付けを担当したジェローム・ロビンズは、『ウエスト・サイド物語』スタイリッシュで切れ味のある群衆ミュージカルを生み出し、以降のダンスシーンに影響を与えた。

だが振り付けに拘りすぎたロビンス、予算超過の責任を問われて途中解任の憂き目に遭っている。だが彼の功績を大としたロバート・ワイズ監督は、そのままロビンスの名を共同監督としてクレジットに残し、共にオスカーを手にすることになった。

バーンスタインによる劇中のミュージカルナンバーも、『トゥナイト』『マリア』『クール』『アメリカ』『マンボ』などいずれも名作揃い。ダイナミックなダンスとともに観客を魅了し、サウンドトラック・アルバムが空前のヒットを記録する。

この年のアカデミー賞では、作品賞や監督賞など10部門を受賞するなど話題を独占。この作品で一躍注目されたジョージ・チャキリスは助演男優賞、リタ・モレノも助演女優賞に輝いた。

チャキリスとナタリーのその後

人気者となったジョージ・チャキリスだが、このあとフランス・ミュージカル映画『ロシュフォールの恋人』(ジャック・ドゥミ監督)などに出演するも、『ウエスト・サイド物語』の印象が強すぎたせいか、ぱっとしないまま終わっている。

主演のナタリー・ウッドも『ウエスト・サイド物語』『草原の輝き』が公開された61年をピークに、キャリアは下降気味となった。ジェームズ・ディーン、レイモンド・バー、エルビス・プレスリー、デニス・ホッパーらと浮き名を流し、恋多き女優だったが57年にロバート・ワグナーと結婚している。

ワグナーとは一度別れたあと、よりを戻して72年に再婚。だが81年の11月29日、ロケ先のカルフォルニア海岸の入り江で水死しているのが発見される。享年44歳であった。死因に関しては不審な点も多く、夫のワグナーが疑われたりしたが、結局真相は謎で事故死の扱いとなった。

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