生涯で8度にわたる結婚・離婚を繰り返し、そのたびごとに世間を騒がしてきたハリウッド女優のエリザベス・テイラー。その彼女の3番目の夫となったのが、ハリウッドで「山師」と呼ばれていた映画人、マイケル(マイク)・トッドである。
3年間一緒に過ごした2番目の夫との関係が冷め、別居のゴシップ記事が新聞誌上を賑わしていたリズ・テイラー。そんなある日、彼女のもとに映画プロデューサーのマイク・トッドから電話がかかり、「僕とすぐに会うんだ」と命令口調で呼びつけられる。
そうしてリズがマイク・トッドのオフィスを訪ねると、いきなり愛を告げられ「君は僕と結婚することになる」と一方的に宣言される。それからというもの、リズのもとにはマイクから毎日のように花束が届けられ、ロケ先にも長距離電話がかかってくるようになった。
もともと、自信家で強引な男が嫌いではないリズ。次第にマイクの情熱的でエネルギッシュなアプローチに心が動かされ、2番目の夫との離婚が成立した1週間後に二人はアカプルコで結婚式を挙げた。この時リズは25歳でマイクが48歳。23歳違いとなる年の差婚だった。
マイク・トッドは1909年、ミネソタ州東部のミネアポリスで生まれた。ユダヤ系移民である家庭は貧しく、マイクは10歳の頃から勉強より金稼ぎに頭を使うようになる。学校では賭けトランプの胴元としてあがりをせしめ、その他にも売春宿の靴磨きや新聞売り、果物の行商・カーニバルの呼び込みなど貪欲に働き、父親の収入を上廻るほどになった。
16歳のときに幼馴染みと結婚、禁酒法の時代に薬用アルコールを売って稼いだ金で建設会社を設立する。しかし29年の大恐慌で会社は倒産、一夜にして無一文となってしまったマイク。すると今度はシカゴの大博覧会でストリップまがいのダンス興行を行い、当時としては刺激的な内容が評判を呼んで大成功を収める。
こうして25歳でショウビジネス界に足を踏み入れたマイク。シカゴ大博覧会の成功に気をよくし、その後は派手なもの、大きなものを求めるようになった。39年には日本を題材としたオペラ『ホット・ミカド』の興行をニューヨークで打ち、ステージに高さ40フィートの石鹸泡の滝と噴火する火山の仕掛で観客の度肝を抜いた。
こうして手掛けたブロードウェイの舞台も当て、マイクは一匹狼の敏腕プロデューサーとしてその名を知られるようになった。50年代には映画界へ進出、大画面観光映画『これがシネラマだ』で共同出資者として初めて映画に関わると、55年にはブロードウェイ・ミュージカルを映画化したシネラマ作品『オクラホマ!』を製作する。
マイクは『オクラホマ!』の撮影にあたり、シネラマスクリーンに3分割の継ぎ目が出来てしまう、という欠点の解消に取りかかる。そして彼の肝いりで継ぎ目の無いワイドスクリーン方式が開発され、以降70ミリ映画の基礎となった。そしてマイクはこのワイドスクリーン方式に、自身の名前を臆面もなく冠した「トッド・AO方式」の名を付けている。
『オクラホマ!』のプレミアム上映には、マリリン・モンローを象に乗せてニューヨークの街を行進させるという派手な演出を行ない、映画も大ヒットした。しかし高等教育も受けておらず、いかがわしささえ漂わせるマイクのやり方は人々の眉をひそめさせ、ハリウッドの業界人から「山師」「行き当たりばったりのギャンブラー」と蔑まれ、嫌われることになってしまった。
だが、そんなことなど歯牙にもかけないマイク。アイデアマンとして常に新しいことに挑み、大衆の心を掴むことだけに腐心する。そして翌56年に野心を抱いて取りかかったのが、娯楽超大作の『八十日間世界一周』である。
これもまた「トッドAO方式」による、70ミリワイドスクリーン映画。制作費は当時破格の7百万ドル、使用したフィルムは地球半周分に相当する68万フィート、動員したエキストラは6万8千人と、マイクらしい豪華さとスケールで製作された。
しかも主役のデヴィット・ニブンとシャーリー・マクレーンに加え、マレーネ・ディートリッヒ、シャルル・ボワイエ、ノエル・カワード、バスター・キートン、ジョージ・ラフト、フランク・シナトラら、英米のスター総勢43人が出演。彼らのほとんどは、一場面しか登場しないという贅沢な使い方だった。
そして『八十日間~』の製作中、女優の愛人を捨ててまで、マイクはリズ・テイラーを射止めることに精力を注いだ。リズもこの結婚には「トッドは本当に最高。ついに自分にうってつけの相手を見つけた」と喜び一杯で語っている。
公開された『八十日間~』はもちろん大ヒット、アカデミー賞の最優秀作品賞にも輝き、マイクはプロデューサーとしてオスカー像を手にした。まさにこの時期が、彼の人生における絶頂期である。
しかし、悲劇は突然訪れることになる。58年3月、最優秀ショーマンに選ばれたマイクは式典に出席するため、家族と一緒にニューヨークへ赴くことになった。しかしリズが気管支炎をこじらせて寝込んでしまったため、マイクは妻を残して3人の子供(2人はリズの連れ子)と、”ザ・リズ”と名付けられた自家用機で飛び立つことになる。
そして22日、マイクと子供たちを乗せた“ザ・リズ”は、ニューメキシコ上空で悪天候に巻き込まれ墜落、全員死亡が確認された。こうして「山師」と呼ばれたマイケル・トッドは、派手で賑やかだった49年の生涯を閉じたのである。