イングリッド・バーグマン 生涯を演じ続けた女優




『カサブランカ』『ガス燈』『汚名』など、40年代ハリウッドの名作で知られるイングリッド・バーグマン。彼女は気品ある輝きと知性あふれる美貌を持ち、気高く清純なイメージで世界を魅了した女優だった。

22歳で結婚し、一人娘にも恵まれたバーグマン。女性として、そして女優として順調な生活を送っているように見えていたが、50年に世間を騒がす不倫スキャンダルを起こし、しばらくアメリカの映画界から姿を消すことになる。

不倫の相手はイタリアの映画監督、ロベルト・ロッセリーニ。彼もまた既婚者だった。幸福な家庭生活を送る健全な既婚婦人、というイメージで好感を持たれていたバーグマン。そのイメージを自らのスキャンダルで裏切ってしまい、世間から大きな非難を浴びることになってしまったのだ。

だが誠実な妻のイメージは映画会社の宣伝戦略でつくられたもので、このときのイングリッドは閉塞感と満たされない気持ちに苦しんでいた。のちに恋に生きた女優と呼ばれるようになったバーグマン。彼女の素顔は、情熱的で信念を曲げない一面も持ち合わせる女性だった。


イングリッド・バーグマンは1915年8月25日、スウェーデンのストックホルムで生まれている。2歳の時に母を、12歳の時に画家で写真家の父を亡くしたイングリッドは、はじめは叔母、そのあと叔父夫婦に引き取られ子供時代を過ごす。

そんな寂しい時期を過ごしたイングリッドは、内向的で大人しい少女に育った。それに加え、背が高すぎるというコンプレックスを持っていたことで、友達も出来なかったようだ。そんな孤独な環境にいた彼女は、次第に自分というものの本質を見つめるようになり、一見控えめだが意志の強い女性へと成長していくのだ。

もっぱら空想の世界で遊んでいた少女は女優を目指すようになり、18歳で王立の演劇学校に入学。そして在学中に知り合った9歳上の歯科医リンドスとロームと、学校卒業後の37年に21歳で結婚する。そして翌年にはピアと名付けられた娘にも恵まれた。

この頃すでに新進女優として活躍していたバーグマン。すると彼女の資質に目を付けた映画プロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックが、39年にイングリッドをアメリカに招聘。イングリッドはハリウッド映画『別離』のヒロインに抜擢された。

まだろくに英語も話せなかったバーグマンだったが『別離』は大成功。厚化粧を施したハリウッドの女優たちの中で、彼女のナチュラルな美貌と気高い雰囲気が、アメリカの観客に大きな衝撃を与えることになる。

その後もハンフリー・ボガートと共演した『カサブランカ』や、ゲイリー・クーパーと共演した『誰がために鐘は鳴る』に出演。44年の『ガス燈』ではアカデミー主演女優賞に輝き、40年代ハリウッドでトップクラスの女優となった。

私生活では結婚も10年を過ぎ、良き夫と可愛い娘に囲まれて、幸せな家庭生活を送っていると思われていたイングリッド。だがその実、夫との間にはすきま風が吹き始めていて、情熱のやり場のなさに閉塞感を覚え始めていたのだ。そんなとき出会ったのが、ロベルト・ロッセリーニ監督のイタリア・ネオレアリズモ映画である。

戦禍まもないイタリア映画の『無防備都市』と『戦火のかなた』を見たバーグマンは、ドキュメンタリーを取り入れたネオリアリズモの迫力に衝撃を受ける。そしてすぐさまロッセリーニに「知っているイタリア語は“ティ・アモ(愛してます)”だけです。でも私は、あなたと映画をつくることを望んでいます」といった趣旨の手紙を送ったのだ。

この数ヶ月後、バーグマンはロッセリーニの『ストロンボリ/神の土地』に主演。二人はともに既婚者であるにかかわらず、恋に落ちてしまう。そしてバーグマンは夫と娘を捨てて、ロッセリーニのもとへ。離婚が成立しないうちに二人の子供を産んでしまったため、バーグマンたちは一層世間から叩かれることになる。

アメリカでは『ストロンボリ』の上映禁止運動が起こり、バーグマンもハリウッドで仕事が出来なくなってしまう。しかしそんな事態にもバーグマンはひるまず、新しいパートナーとの仕事へと挑んでいったのである。

結婚後バーグマンは5本のロッセリーニ映画に出演するが、どれもが不評だった。ドキュメンタリー的手法で素人同然の役者を使うロッセリーニ映画と、ハリウッドで一時代を築いた大女優では、やはり噛み合わせが悪かったのだ。すると次第に二人の間には諍いが増えてゆき、ついには別々に暮らすようになってしまう。

56年、セルズニックの助けでバーグマンはハリウッドに復帰。ユル・ブリンナーと共演した『追想』で2回目のアカデミー賞主演女優賞を獲得する。57年にはロッセリーニとの婚姻関係を解消、58年に同じスウェーデン人のプロデューサー、ラルフ・シュミットと3度目の結婚をする。

74年にはオールスター映画『オリエント急行殺人事件』に出演。この作品でバーグマンはあえて地味な中年宣教師の役を選び、アカデミー賞助演女優賞のオスカーを手にする。そして晩年は癌を患うが、78年に同じ名前を持つ同郷の巨匠、イングマル・ベルイマン監督の『秋のソナタ』に出演、これが映画の遺作となった。享年67歳。

彼女の口癖は、「墓碑銘に“生の最後まで演技した”と記したい」だったという。

イングリッド・バーグマンはヒッチコック映画に3本出演しているが、ヒッチコックのイングリッド評は「傑作にしか出たがらない女優」というもの。トリフォーによるインタビュー本『映画術』の中では、「彼女が最上級と考える役は、ジャンヌ・ダルク。ばかげているよ」とまで語っている。

『山羊座のもとに』(49年)へ出演したときは、ヒッチコックの凝ったカメラワークに集中できず、頻繁に「なぜ」「なぜ」と文句を繰り返して監督を困らせたというバーグマン。そんな彼女にヒッチコックは、「イングリッド、たかが映画じゃないか」と言ってたしなめたという。

ヒッチコックの遊び心とイングリッドの生真面目さが対称的で、なんとも面白いエピソードだ。

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