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《 サッカー人物伝 》 ロジェ・ミラ

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「 世界を驚かせた老雄 」 ロジェ・ミラ ( カメルーン )

90年Wカップ・イタリア大会の開幕戦は、観客の予想を裏切る番狂わせの試合となった。マラドーナ率いるアルゼンチンに対し、アウトサイダー的存在のカメルーンが2人の退場者を出しながら、前回チャンピオンを1-0と下してしまったのだ。

だがカメルーンの快挙はそれで終わらなかった。1次リーグ第2節の試合ではルーマニアと対戦、身体能力を活かした攻撃で東欧の古豪を2-1と打ち破り、早くも決勝トーナメント進出を決めたのだ。その勝利の立役者となったのが、途中出場で活躍した大ベテランのロジェ・ミラ( Alberut Roger Moon Miller )だった。

当時38歳、カメルーンではすでに伝説的ストライカーとなっていたミラ。それでも年齢感じさせない俊敏さと抜け目のなさで2得点を叩き出し、世界を震撼させたのだ。ミラは豪快にゴールを決めると、コーナーフラッグに駆け寄り「マコサ・ダンス」で喜びを露わにする。

人々を驚嘆させた「老いたライオン」ロジェ・ミラだが、実は大会の1ヶ月前までは引退同然の身だった。

アフリカのストライカー

ミラは1952年5月20日、フランス植民地時代のカメルーン・ヤウンデで生まれた。10歳の時にドアーラという街のサッカークラブへ入団し、本格的にサッカーを始める。身体はそれほど大きくなかったが、天性の瞬発力とゴールへの嗅覚で、ストライカーとしての才能を伸ばしてゆく。

そして13歳でプロ契約。19歳となった72年には、国内リーグの強豪クラブ・トネーレへ移籍した。74年、ミラは開幕からゴールを量産、国内選手権制覇に大きく貢献し、その名を全国に轟かせた。75年もその勢いは衰えることなく、「アフリカ・カップ・ウイナーズ選手権」優勝でチームをアフリカの頂点に導いた。

76年にはアフリカ年間最優秀選手賞を獲得。すると60年までカメルーンの領主国であったフランスのサッカー界が、彼に関心を寄せてきた。77年にはリーグ・アンのバランシアンヌへ移籍、だがそこでは人種差別的な扱いを受け活躍の場も与えられず、故障もあって力を発揮できなかった。

いくつかチームを移籍したあと、ようやく84年にサンテティエンヌでレギュラーの座を掴んだ。その後86年に移ったモンペリエでも活躍、89年までプレーしたあとクラブのコーチとなった。

不屈のライオンたち

代表には78年にデビュー。82年にカメルーンがWカップ・スペイン大会へ初出場を果たすと、すでに30歳となっていたミラは主力として戦った。カメルーンはミラのスピードある攻撃と、守護神トーマス・ヌコノの堅守で大健闘。イタリアやポーランドなど強豪相手に3引き分けの成績を残した。ミラにゴールは生まれず、決勝T進出も僅かな差で逃してしまったが、その戦いぶりには「名誉ある敗退」と賛辞が送られた。

84年にはロサンゼルスオリンピックに出場。87年に代表を引退すると長年過ごしたフランスからも離れた。そしてインド洋に浮かぶレユニオン島に居を構え、そこのアマチュアクラブでのんびりプレーを楽しむ生活を送っていた。

しかし90年、「不屈のライオン」と呼ばれるようになっていたカメルーンが2度目のWカップ出場を決めると、国民からロジェ・ミラ待望論の声が沸き上がる。その盛り上がりを受け、カメルーン政府がその伝説的ストライカーに復帰を要請。ミラは38歳にして再びWカップの大舞台へ、その姿を現すことになったのだ。

開幕のアルゼンチン戦、ミラは81分に途中出場し、コンディションの良さをアピールした。そして続くルーマニア戦では59分に登場、76分に相手DFから素早くボールをかっさらうと、飛び出してきたキーパーの頭を越す先制弾を決めた。さらにその10分後、競り合いからのこぼれ球を敏捷な動きでキープ、豪快な2点目を叩き込む。

この日2度目の「マコサ」を踊るミラを、世界は驚愕のまなざしで見つめるしかなかった。

躍動するカメルーンは1次リーグを1位で突破、決勝T1回戦の相手は「カリブの怪人」バルデラマを擁するコロンビアだった。勝負は互いに譲らず、試合は0-0の延長戦にもつれる。そして延長を折り返した後半早々、ミラが鮮やかなステップでDFをかわし、貴重な先制弾を叩き出す。

その3分後、Pエリアから大きく飛び出してプレーするGKイギータのボールを、ミラがすかさず奪取、難なく無人のゴールネットを揺らした。大会4度目の「マコサ・ダンス」で、仲間と喜びを分かち合うミラ。その後1点を返されたもののコロンビアを2-1と打ち破り、カメルーンはアフリカ勢初のベスト8入りを果たした。

準々決勝では延長戦の末イングランドに逆転負けを喫してしまうが、驚異的な身体能力を誇る「不屈のライオン」たちの戦いは、大会に大きなインパクトを与えることになった。

老雄の記録と記憶

大会後、サッカー選手として完全に引退したかと思えたミラ。だが4年後、カメルーンが3度目のWカップ出場を果たすと、老雄はまたまた代表に復帰。94年Wカップ・アメリカ大会のメンバーとなった。ミラは1次リーグ3戦目のロシア戦で46分に投入され、自らの最年長出場記録を更新する42歳と39日で、Wカップのピッチに立った。

それだけではなく、サレンコ1人に5点を入れられるなどロシアに圧倒される中、投入直後のミラは身体を寄せるDFをものともせずゴール、Wカップ最年長となる得点も記録する。このゴールは、現在も破られていないWカップの最年長得点記録である。

カメルーンは1次リーグで1勝も挙げられず敗退してしまったが、「世界を驚かせた老雄」は長く人々の記憶に残ることになった。

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