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日本サッカー激闘史「前園と川口が明かす2つの秘話」

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「世界の扉を開いた日 アトランタ五輪サッカー最終予選」

コロナ禍で空いたスポーツ中継の枠を、豊富なアーカイブ映像を使って穴埋めしているNHK。3日には、日本サッカー史に残る激闘を描いた、2本のアンコール放送番組をやっていた。

まず1本目は13年3月21日に放送された、“ヒーローたちの名勝負” 「世界の扉を開いた日 アトランタ五輪サッカー最終予選」。日本が銅メダルを獲得したメキシコ五輪以来、28年ぶりとなるアトランタ大会出場を決めたアジア最終予選の準決勝、激闘となったサウジアラビア戦の舞台裏を当時の関係者が語るという内容だ。

戦いの舞台となったマレーシアのスタジアムを17年ぶりに訪れたのは、アトランタ世代・元代表キャプテンの前園真聖(39歳)。この時はまだ野性味とチャラい雰囲気を残している前園さん、数ヶ月後には飲酒による暴力事件を起こし謹慎、なんてことは夢にも思っていなかっただろう。

「川口能活が神話を作った夜 2004アジアカップPK戦」

この試合や「マイアミの奇跡」などアトランタ代表組の戦いについては以前書いたので、ここでは割愛。キャプテンという柄ではなかった前園さんだが、サウジアラビア戦で初めて主将らしい姿をみせた、という番組の内容だった。

今ではオリンピックもワールドカップも日本が出場するのが当たり前のようになってしまったが、当時はそれが悲願だった時代。あの時の激闘を見返すと、当時の熱い想いが蘇ってきて懐かしい。

2本目は13年12月7日に放送された、“ヒーローたちの名勝負” 「川口能活が神話を作った夜 2004アジアカップPK戦」。重慶の奇跡と呼ばれているこの試合も、ある程度の内容は以前書いているので詳しくは説明しないが、興味深かったのは川口とヨルダン選手の心理的駆け引き。

PK戦の駆け引き

先攻の日本は2人連続で失敗、それに対し後攻のヨルダンは1人目が決め有利な状態となる。大舞台での経験が豊富な川口も、負けられないというプレッシャーでさすがに足が動かなかったようだ。確かに映像を見てみると、縛られているように全然動けていない。

悪い流れを変えようと、キャプテンの宮本がダメもとで主審に使用ゴールの変更を訴え、それが認められサイドチェンジ。しか川口はまだ勝負に入りきれない状態で、VTRに映る表情も依然硬いままだ。

ヨルダン2本目のキックにも、まったく反応出来ていない川口。そして日本は3本目でようやく決めるが、後攻のヨルダンもキーパーの逆を突き3人連続で成功、勝負の決着に王手をかける。だが勝利を確信し、心の緩みが出てしまったヨルダン選手。この時川口が手応えを感じていたことなど、知るよしもなかった。

「重慶の奇跡」

3本目は逆を突かれたものの、鋭い一歩が踏み切れたことで硬さが取れたという川口。勝負か決まるヨルダン4人目のPKを、ギリギリまで待って反応、高めのコースを左腕を伸ばして阻止した。ヨルダンのキッカーは、名手として信頼されていた選手。名手が狙い通りに蹴ったキックを日本のキーパーが止めたことで、逆にヨルダン側にプレッシャーがかかることになる。

それでも5人目のイブラヒムが成功させれば勝利となるヨルダンだが、既に川口との心理的状況は逆転していた。「対峙したときに相手が迷っていると感じ、蹴るコースもなんとなく分かった」と自身を持った川口に対し、イブラヒムは「GKが大きく見えて、空いているところが見つからなかった」と迷いが出ていた。

川口の表情からは硬さが取れ、もはやある種のゾーンに入っている状態。普段は蹴らないというコースにイブラヒムがキックを飛ばすと、ボールは右ポストをかすめ、外れていった。相手の駆け引きにやられたと言うイブラヒムに、そんなことはしていないと川口は苦笑。ヨルダン側は心理戦で徐々に、劣勢へ追い込まれていったのだ。

だが6人目中澤佑二のキックが止められ、日本はまたもや絶体絶命の危機を迎える。しかし川口は、「キッカーが小さく見えた、相手の動きもよく見えていた」と全く動じず。その言葉通り、今度は右腕を伸ばしてスーパーセーブ、見事な集中力でピンチを防いだ。日本は7人目が決め、ついにリードする。逆に大きなプレッシャーがのしかかることになった、ヨルダン7人目のキッカー。緊張から助走をとりすぎミスキック、ボールは左ポストに弾かれ、日本は奇跡の逆転勝利を果たした。

「大事なのは惑わされない心」「相手キーパーの経験が我々より勝っていた」と敗因を振り返るヨルダンの選手。それに対し「最も全てを出し切った試合だったと思う」と、力強く語る川口の姿が印象的だ。

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