石井妙子著「原節子の真実」

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『東京物語』『わが青春に悔いなし』『青い山脈』などの作品で見せる凜とした美しさが、とても印象的な原節子。彼女は小津安二郎、成瀬巳喜男、今井正、黒澤明、木下惠介といった巨匠たちに重用され、日本映画の黄金期を飾った昭和の大女優である。

また原節子は、その気品ある佇まいと清潔感あふれる人柄、そして生涯独身だったことから「永遠の処女」とも呼ばれた。そして42歳で銀幕から姿を消すと、注目されることを避けて隠遁生活を送り、生きながら伝説の人となっていった。

石井妙子著『原節子の真実』では、生涯独身を貫き通した理由、小津安二郎監督との関係、映画界から姿を消した謎などが、丁寧な取材と調査を重ね解き明かされている。また原節子という女性の生き方や仕事に対する姿勢、役柄と理想像とのギャップなど、その人間像が描かれている部分も興味深い。

石井妙子著『原節子の真実』は、色々な神話で彩られるようになった原節子の葛藤や人間性を掘り起こし、彼女の実像を浮き上がらせようとした力作だ。


原節子こと会田昌江は1920年(大正9年)に、男2人女5人兄妹の末っ子として横浜の保土ケ谷に生まれている。生糸問屋を営む会田家は裕福な暮らしを送っていたが、昌江が小学生になった頃から不況のあおりを受けて家業が傾き始める。

女学校に進学した昌江だが家庭の経済事情はいよいよ苦しくなり、そのため義兄・熊谷久虎の誘いを受け、14歳で学校を中退して映画界入りする。次姉の夫である熊谷久虎は、当時開所したばかりの「日活多摩川撮影所」の監督兼責任者で、生涯にわたって昌代に大きな影響を与え続ける人物である。

日活の専属女優となった昌江は35年の『ためらふ勿れ若人よ』で映画デビュー、その時の役名「原節子」がそのまま芸名となった。翌36年には「若き天才」と言われた山中貞雄監督に気に入られ『河内山宗俊』に起用された。

37年、『河内山宗俊』の撮影を見学したドイツ人のファンク監督に認められ、日独合作映画の『新しき土』のヒロイン役に抜擢される。当時無名の新人だった16歳の原節子だが、この映画の大ヒットにより一挙にスター女優となる。

あまり私生活での恋愛というイメージがない原節子だが、この本では彼女の秘められたふたつの恋について触れている。一人は十代の頃に知り合った、ベルリンオリンピックの陸上選手。この時は男性に召集令状が届き戦地に赴いていったため、二人の関係は淡いものに終わっている。

もう一人は移籍した東宝で知り合った、助監督の仕事をする青年。二人は相思相愛となり、人目を忍んで逢瀬を重ねていたが、やがて義兄・熊谷久虎の知るところとなる。熊谷は「助監督風情が」と激怒、青年を東宝から追い出してしまう。

原節子の庇護者だった熊谷は、のちに国粋主義者として過激な言動も行うようなクセの強い人物。熊谷は節子に近づこうとする若い男たちを、徹底して排除しようとしたのだ。この時の原節子の心境は語られていないが、以降彼女は結婚について否定的なコメントを口にするようになる。

育ちの良さから、戦前はお嬢様役ばかりやらされていた原節子。撮影所では人を避けて本ばかり読み、宣伝用の水着撮影や唄を歌うことも拒んで「顔が美しいだけの大根女優」「生意気」などと散々叩かれることもあった。だが戦後の日本に民主主義が持ち込まれると、彼女の個性が活かされる時代がやってくる。

46年、黒澤明監督の『わが青春に悔いなし』で戦後を逞しく生きる聡明な女性を演じ、女優として新しい境地を開いた。そして労働争議で揺れる東宝から離れてフリーになり、吉村公三郎監督の『安城家の舞踏会』(47年)に出演、没落する華族の令嬢役で役者としての評価を確立した。

その後、木下惠介監督『お嬢さん乾杯』や今井正監督『青い山脈』の主演作が大ヒット、成瀬巳喜男監督の『めし』や『山の音』では繊細な演技を見せ、映画界一の人気女優となった原節子。だがやはり彼女の代表作と言えば、小津安二郎監督の「紀子三部作」と呼ばれる作品群だろう。

29歳となった原節子は、49年に小津監督の『晩春』へ出演、二人で暮らす父娘の関係を描いたこの映画は評論家から絶賛され、しばらくスランプ状態にあった小津監督の復活作となった。ここから原節子は小津作品の常連となり、『麦秋』(51年)と『東京物語』(53年)にも出演。世界的にも高名なこの三部作は、今では彼女の代表作とされている。

しかし原節子自身は、出来た娘・出来た嫁設定の「紀子」という人物像に共感しておらず、雑誌のインタビューで「演じ難い役」「この娘の性格は決して好きではありません」などと語っている。これら家族に従順な女性の役は、彼女にとって自我の足りないキャラクターと映ったようだ。

原節子は「紀子のような役はもうやりたくない」とまで言い、「あなたの代表作は」と聞かれても彼女が小津作品を挙げることは決してなかった、とこの本には書かれている。これまで小津監督と原節子の間には師弟関係があるとなんとなく思っていただけに、ちょっと意外な事実である。

ちなみに原節子が憧れた女優は、イングリッド・バーグマン。彼女の『カサブランカ』を観て感動したという原節子には、自我があり自分で運命を切り開く女性を演じたい、という思いがあったようだ。

小津安二郎監督は、63年12月に60歳で死去。そして原節子は62年に公開された『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』を最後に銀幕から姿を消している。このことから小津の死去に殉じて原節子が映画界を引退したなどとまことしやかに噂されたが、どうやら二人はそんな関係では無かったようだ。

だいたい二人の間に起こった噂話自体が、映画宣伝のための話題作りに過ぎず、前述の理由で原節子には小津作品に対する思い入れも無かった。さらに小津監督には、身の回りの世話をしてくれる特別な女性もいたのである。つまり小津監督と原節子のロマンスとは、ファンや信奉者によって創られた都市伝説だったらしい。

42歳でスクリーンから去った原節子は、公の場に53年間ほとんど姿を見せることも、マスコミの取材を受けることもなく隠遁生活を送った。2015年9月、鎌倉に棲む家で親族に看取られながら逝去。彼女の死は世間に知らされることなく、約3ヶ月後に訃報が漏れ伝えられることになった。享年95歳だった。

『原節子の真実』の中では彼女が患った白内障や、盛りを過ぎての引き際を考えていたことなど、引退の理由と思われる事柄がいくつか述べられている。だがやはりその訳は、「嫌だ」と言いながらストイックに仕事へ取り組む真摯な姿と、生涯自分の意志を貫いたという事実に現れているのだろう。

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