「 リーベルの王子 」 エンツォ・フランチェスコリ ( ウルグアイ )
アイデアとテクニックを駆使してさまざまな状況を打開し、アクロバティックなプレーでサポーターを熱狂させた攻撃のカリスマ。たぐいまれなゴールセンスを持ち、細身で端正なルックスとその華麗なプレーから「エル・プリンシベ(王子)」と呼ばれたのが、エンツォ・フランチェスコリ( Enzo Francescoli Uriarte )だ。
80年代にアルゼンチンの名門リーベル・プレートで大活躍し、クラブをリーグ優勝に導いて数々の個人タイトルにも輝く。そのあとフランスやイタリアの欧州リーグで活躍。優雅で流れるようなボール捌きで、マルセイユ時代には若きジダンに「永遠のNo.1」と憧れられる存在となった。
ウルグアイ代表では、チームの攻撃をリードして3度のコパ・アメリカ優勝に貢献。86年と90年のW杯でもベスト16に進出にした。しかし同世代のマラドーナと並ぶ南米屈指の選手と目されながら、W杯では本来の力を出せず存在感を示せなかった。
「お知らせ」
続きの本文は移転先サイトの記事【《サッカー人物伝》エンツォ・フランチェスコリ – サイレントノイズ・スタジアム (hateblo.jp)】で読めます。
なお、《サッカー人物伝》は有料記事となりますのでご了承ください。