《 サッカー人物伝 》 エンツォ・フランチェスコリ




「リーベルの王子」 エンツォ・フランチェスコリ ( ウルグアイ )

細身で端正なルックスとその華麗なプレーから「エル・プリンシベ(王子)」の愛称を授けられ、たぐいまれなゴールセンスで得点を生み出していったウルグアイ最高の選手が、エンツォ・フランチェスコリ( Enzo Francescoli Uriarte )だ。

アイデアとテクニックを駆使してさまざまな状況を打開、アクロバティックなゴールでサポーターを熱狂させた攻撃のカリスマ。その優雅で流れるようなボール捌きは、あのジダンに「僕の永遠のNo.1」と憧れさせたレジェンドプレイヤーである。

80年代にアルゼンチンの名門リーベル・プレートで大活躍、クラブをリーグ優勝に導いて数々の個人タイトルを獲得するなど、その名を広く知らしめた。ウルグアイ代表では、チームの攻撃をリードして3度のコパ・アメリカ優勝に貢献。マラドーナと並ぶ南米屈指の選手と呼ばれたが、Wカップでは本来の力を発揮できず好成績を残せなかった。


フランチェスコリは1961年11月12日、首都モンテビデオのバリオ・カプロ地区で生まれた。早くも6歳にして地元のジュニアチームでプレーを始め、14歳のときに1部リーグ所属のモンテビデオ・ワンダラーズからスカウトされる。

80年、18歳でトップチームデビューを果たすと、それからの74試合で20ゴールを記録。81年には南米ユース選手権に出場し、大会の最優秀選手に選ばれている。期待のホープは南米中にその名を知られるようになり、83年にアルゼンチンのCAリーベル・プレートへ移籍した。

移籍1年目のクラブでは、プレッシャーや怪我で調子の上がらなかったフランチェスコリだが、ウルグアイ代表に選ばれて83年のコパ・アメリカに出場する。するとホーム&アウェイで行われたブラジルとの決勝戦で代表初ゴールを挙げ、ウルグアイの優勝に貢献した。

リーベルでの環境にも慣れたフランチェスコリは、次第に実力を発揮していく。84年、チームは準優勝に終わったが、個人としてはリーグ得点王と南米年間最優秀選手の2冠を獲得。85-86シーズンは連続得点王に輝き、チームをリーグ優勝へ導いた。

86年、Wカップ・メキシコ大会に出場、1次リーグ第2戦で大会に旋風を起こしたデンマークと対戦した。この試合フランチェスコリにゴールが生まれたものの、驚異的なスピードを誇る相手に圧倒され、ウルグアイは1-6の完敗を喫してしまう。

それでもどうにか決勝Tに勝ち上がるが、1回戦でマラドーナ擁するアルゼンチンと当たり、フランチェスコリは見せ場なく大会を去って行った。だが翌年開催されたコパ・アメリカでは、準決勝で開催国のアルゼンチンを撃破。ウルグアイが2大会連続優勝を果たし、Wカップの雪辱を果たしている。

「エル・プリンシベ」と呼ばれ、リーベル・サポータに愛されたフランチェスコリ。だがアルゼンチン経済不況のあおりを受けてクラブの経営が悪化、リーベルはフランチェスコリを手放さざるを得なくなる。

86年、「リーベルの王子」は在籍4シーズンで113試合に出場し、68得点という成績を残してフランスのラシン・パリへ移籍した。フランチェスコリのいなくなったリーベルだが、リーグ優勝の勢いままコパ・リベルタドレース杯(南米クラブ選手権)を初制覇、同年のトヨタカップも制している。

ラシン・パリでは3シーズンを過ごし、89試合に出場して36得点を記録する。しかし投資に見合わない成績で低迷するチームに、業を煮やしたスポンサーが降板、経営破綻したクラブが89年に下位リーグへ降格すると、フランチェスコリはオリンピック・マルセイユへ移籍した。

マルセイユは、経済界の風雲児・ベルナール・タピ会長によるワンマン経営クラブ。豊富な資金力により、J・P・パパン、アベディ・ペレ、バシール・ボリ、ディディエ・デシャン、クリス・ワドルといった有力選手がかき集められ、フランチェスコリもスター軍団の一員として89年のリーグ優勝に貢献した。

しかし90年のチャンピオンズ・カップ準決勝のベンフィカ戦でフランチェスコリはミスを連発、マルセイユは決勝進出を逃してしまう。戦犯の一人と非難されたフランチェスコリは、チーム戦術に馴染めなかったこともあり翌シーズンはイタリアのカリアリに移籍する。

90年のWカップ・イタリア大会には、キャプテンマークを巻いて2度目の出場を果たす。だがフランチェスコリのプレーは精彩を欠き、チームも苦戦。ようやく韓国に1勝を挙げて決勝Tに進むが、1回戦で地元イタリアと当たって0-2の敗戦。大舞台でその実力を発揮することなく、フランチェスコリのWカップは終了した。

イタリア・セリエAでは、カリアリとトリノで4シーズンをプレー。そして33歳となった94年、古巣のリーベル・プレートへ復帰する。そしてその後の4シーズンでリーベル・プレートを4度のリーグ優勝(年2シーズン制)に導き、フランチェスコリも2度の得点王と、2回目となる南米年間最優秀選手賞を獲得している。

95年、自身3度目となるコパ・アメリカ制覇を達成。96年にはリーベル10年ぶりとなるコパ・リベルタドレース杯優勝に大きく貢献し、ヨーロッパチャンピオンのユベントスとトヨタカップで対戦する。試合は惜しくも0-1で敗れてしまったが、自分を敬愛するジダンとの直接対決が実現することになった。

97年、リーベルは南米スーパーカップで優勝、フランチェスコリは晩年最後の輝きを見せた。そして翌98年、その優勝を置き土産に37歳となった王子は18年間のプロ生活を終えた。引退後は実業家に転身し、現在は悠々自適の余生を送っている。

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