長短のパスでリズムをつくり、広い視野と一瞬の判断力でチャンスを演出。また “プラトッシュ” と恐れられる芸術的なフリーキックを代名詞とし、自らも多くの得点を奪った。そのエレガントなパスワークでフランスのシャンパンサッカーをリードし、「ル・ロワ(王様)」と呼ばれたのが、ミシェル・プラティニ( Michel François Platini )だ。
ASナンシーで若くしてその名を轟かせ、ASサンテティエンヌでの活躍を経て、82年にイタリアの名門ユベントスへ移籍。リーグ得点王に3度輝き、セリエA優勝2回、欧州チャンピオンズカップ制覇、インターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)優勝などのタイトル獲得に大きく貢献。83年から3年連続でバロンドールを受賞する。
フランス代表でもチームの中心となり、アラン・ジレス、ジャン・ティガナらとともに「カーレ・マジック」とよばれた中盤を形成。84年の欧州選手権では9ゴールを挙げ、得点王の活躍で “レ・ブルー” を初の欧州王者に導く。W杯にも3度出場。華麗なパスワークによる “シャンパンサッカー” で世界を魅了した。
「お知らせ」
続きの本文は移転先サイトの記事【《サッカー人物伝》ミシェル・プラティニ – サイレントノイズ・スタジアム (hateblo.jp)】で読めます。
なお、《サッカー人物伝》は有料記事となりますのでご了承ください。