映画「俺たちに明日はない」

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「アメリカン・ニューシネマ」の先駆け

67年公開の『俺たちに明日はない』は、アメリカ大恐慌時代に実在した銀行強盗カップル “ボニー&クライド” の破滅に向かって死に急ぐ壮絶なまでの青春像を、斬新な感覚で辿った映画。

この映画以降、ハリウッドでそれまでタブー視されていた暴力描写や性描写がより大胆に描かれるようになり、60年代末から70年代末までつくられた「アメリカン・ニューシネマ」の先駆け的作品となる。

雑誌『エスクワイア』の編集者だったデヴィッド・ニーマンとロバート・ベントンが共同で “ボニー&クライド” の物語を脚本化。彼らは「ニューベルバーグ」の旗手フラソワ・トリフォーやジャン=リュック・ゴダールに話を持ちかけるが、諸事情で具体的な企画とへは進まなかった。

だがこの脚本に俳優のウォーレン・ベイティが興味を持ったことから企画が動き出す。そしてプロデューサーを務めることになったベイティから、テレビや舞台で反ハリウッド的な作品を手がけていた演出家のアーサー・ペンへ最終的な監督依頼がなされ、斬新な映像感覚による傑作が誕生したのである。

タブーを打ち破った映画

当初プロデューサーに専念するつもりだったベイティだが、キャスティングに難航し結局自分が主役のクライドを演じることになった。ボニー役にはレスリー・キャロン、ナタリー・ウッド、ジェーン・フォンダや、ベイティの姉シャーリー・マクレーンなどが候補に挙がったが、アーサー・ペン監督の強い要望により新進女優のフェイ・ダナウェイが起用された。

しかしベイティは最初ダナウェイのことが気に入らず、クランクインしてからも主演女優を替えるよう主張し続けていたらしい。ところが、ダナウェイは執念で10キロもの減量をして役に取り組み、演技に迫力を見せたため、ベイティもその熱意を認めざるを得なくなったという。

他にジーン・ハックマンが強盗団の一味でクライドの兄役として出演、これが彼の出世作となった。またコメディ俳優として有名なジーン・ワイルダーも、この作品で映画初出演を果たしている。

当時のハリウッド映画には「ヘイズ・コード」呼ばれる自主規制条項が設けられており、過度な暴力描写や性描写は御法度となっていた。だが新しい潮流が世界で起きていた中で、規制の厳しいハリウッド作品は時代に取り残されるようになり、次第に停滞していったのである。その閉塞感を打ち破るように登場したしたのが、この『俺たちに明日はない』だった。

アウトローを反逆の象徴的精神と捉え、人間味あるヒーローとして主役に据えたこと。銃で撃たれた人間が血を流して絶命するまでをリアルに写したこと。隠匿的な性表現を示唆する描写を行ったことなど、それまでのタブーに挑戦するような内容が、旧態依然のハリウッドを驚かせたのである。

斬新な表現と時代を捉えた人間像

公開当初は保守派からの強い非難を浴びた『俺たちに明日はない』だが、斬新な表現と時代を捉えた新しい人間像が次第に高い評価を得るようになり、以降のアメリカ映画に大きな影響を与えることになった。

そして『明日に向かって撃て』や『イージー・ライダー』など、若者による反体制の闘いと滅びをみずみずしい感覚で描く「アメリカン・ニューシネマ」と呼ばれる作品が多く作られるようになったのだ。

映画のラストで87発のマシンガン掃射を浴びたボニーとクライドが、踊るように死んでいくスローモーションシーンは美しく壮絶。この「死のダンス」と形容されたシーンは、黒澤明監督の『7人の侍』や『椿三十郎』に触発され撮ったもの。また最初にクライドの頭が撃ち抜かれるのは、ケネディ大統領の死をイメージしたとアーサー・ペン監督は語ってる。

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