たぐいまれなテクニックとサッカーセンスを持ち、82年のWカップでは創造性にあふれた「クワトロ・オーメン・ジ・オロ(黄金のカルテット)」の中心として世界を魅了し、「白いペレ」と呼ばれたブラジルの選手が、ジーコ( ZICO / Artur Antunes Coinbra )だ。
さりげなく相手の急所を突くスルーパスは絶品、足元から放たれたボールはたちまち局面を一変させ、ふいを突かれたディフェンダーたちは石のように固まった。そして得点感覚にも優れ、FKの名手でもあったジーコ。18歳の頃からプレーしたフラメンゴでは732試合で509得点、代表では94試合で77得点というゴールゲッターぶりを見せた。
期待されたWカップでは運に恵まれず優勝を果たせなかったが、81年のトヨタカップではMVPの活躍で強豪リバプールを下し、世界一クラブの栄冠を手にした。晩年は鹿島アントラーズで存在感を発揮、小さな町のクラブをJ屈指の強豪に育て上げ、後に日本代表も指揮した。
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