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鹿島の内田篤人選手 現役を引退

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32歳での引退

元日本代表DF内田篤人選手(32歳)の引退が、所属する鹿島アントラーズから20日に発表された。鹿島との契約は今シーズン終了時まで残っていたが、本人の希望により今月31日をもって終了する。

シャルケ時代の15年に右膝の手術を行い、近年は故障に悩まされ続けていたが、今季開幕前に「32歳はサッカー選手としてまだ死ぬ年齢じゃない」と話し、肉体強化に取り組むなど再起を期していた。だが2月のプレシーズンマッチで右足を負傷、以降もコンディションが上がり切らず、今季はリーグ1試合、ルヴァン杯1試合の出場にとどまっていた。

23日のガンバ大阪戦(カシマスタジアム)がラストマッチとなり、24日にオンライン記者会見を行う予定だ。

「ウッチー」と呼ばれる人気者

内田選手は1988(昭和63)年3月27日生まれの、静岡県函南町出身。清水東高校から06年に鹿島へ入団、Jリーグ開幕戦でクラブ初となる高卒ルーキーでのスタメン出場を果たした。17歳11ヶ月でのクラブ史上最年少得点は今も破られておらず、07~09年のリーグ3連覇に主力として貢献した。

08年1月のキリンチャレンジカップ、チリ戦でA代表デビュー。U-23五輪代表にも選ばれ、同年8月の北京オリンピックに出場している。10年7月にブンデスリーガのシャルケ04に完全移籍、その後ウニオンベルリンで短期間プレーしたあと、18年に日本へ戻った。

10年に開催された南アフリカWカップ大会のメンバーに選ばれたが、守備への不安からレギュラーを外され、1試合の出場も叶わず悔しい思いを残している。シャルケ時代の11年3月に東日本大震災が発生、内田選手は励ましの言葉を書いたアンダーシャツを試合後の中継カメラに見せて、被災地に向けたメッセージを送った。

シャルケでも右サイドバックの定位置をつかんだ内田選手は、10-11シーズンのチャンピオンズリーグに出場、チームのベスト4入りに貢献した。ちなみにこのとき準々決勝で、インテル長友佑都選手とのCL日本人対決が実現している。

14年には、膝蓋腱断裂の大怪我から半年足らずで復帰、患部をテーピングでぐるぐる巻きにし、ブラジルWカップに出場する。大会では2敗1分けと期待外れに終わった日本代表だが、選手生命を懸けた内田選手の気迫あふれるプレーは1人輝いていた。

15年6月に右膝手術を行い、シャルケでは長いリハビリ生活を送る。17年8月に出場機会を求めてウニオンベルリンに移籍、18年1月に鹿島へ復帰したが、ついに完全復活は果たせなかった。

クラブではJ1通算147試合3得点、ドイツ1部通算104試合1得点。代表ではAマッチ通算74試合に出場し、2得点の記録を残した。爽やかなイケメン選手として女性人気が高く、「ウッチー」の愛称で親しまれた。

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