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内海桂子 師匠、97歳で大往生

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大正、昭和、平成、令和の時代を駆け抜けた芸人

かつて女流漫才コンビ「内海桂子・好江」で人気を博し、近年は芸歴81年の現役最年長芸人として活躍。マセキ芸能社でウッチャンナンチャンやナイツの師匠としても知られていた、漫才協会名誉会長の内海桂子(本名、安藤良子)さんが22日、東京都内の病院で多臓器不全のため死去した。

近親者のみの密葬が27日に都内の斎場で営まれ、24歳年下の夫でマネージャーの成田常也さんらに見送られて旅立った。大正、昭和、平成、令和の時代を駆け抜けた、97歳の大往生だった。

波乱の人生

桂子師匠は1922(大正11)年9月12日生まれ、東京の浅草で育った。16歳の時に高砂屋とし松とコンビを組み初舞台。地方巡業を繰り返していた19歳の時に相方の子供を産むが、とし松は妻帯者だったため事実婚となる。

だが本妻と揉め、その翌年にはとし松とコンビ解消、しばらく団子の売り歩きやキャバレーの女給をしながら舞台に上がった。この時キャバレーのマネージャーから授かった「桂子」の源氏名が、その後の芸名となった。

46年に林家染団治一門の林家染芳とコンビを組み、二人の間に女児をもうける。しかし染芳さんは次第に働かなくなり、麻雀やばくち、ヒロポンに手を出し破局。その後も何組もコンビを替えながら、芸人として舞台に立っていた。

50年に林家染団治の紹介を受け、夫婦漫才師の娘だった当時14歳の奥田好江さんを弟子に取り、音曲漫才コンビ「内海桂子・好江」を結成する。桂子師匠は周囲が「鬼ばばあ」と驚くほど、好江さんを厳しく指導。57年に第3回NHK漫才コンクールで優勝を逃したときには、「おまえがダメだから落ちたんだ」と好江さんを叱責した。

その夜好江さんは睡眠薬を飲んで自殺未遂、そのことを知った桂子師匠は精神的に落ち込む。それだけに翌年の第4回大会の優勝は、何事にも替えられない喜びとなった。その後二人は女流漫才師のパイオニアとして東京の笑いを牽引、47年苦楽を共にした。

一時コンビ仲が悪くなるが、程なくして二人は和解。97年に好江さんが胃癌を患い61歳で他界した際は、桂子師匠は人目をはばからず号泣したという。それからはピン芸人として活躍し、女優業でも元気な姿を見せた。99年には24歳の年の差婚で世間の注目を集め、2人の子供がいたものの77歳で初の正式な結婚となった。

昨夏には軽い脳出血を発症。身体に気を遣いながら今年1月中旬まで舞台に上がっていたが、1月末から心臓の機能不全で入院。2月には誤嚥性肺炎も発症し、点滴治療を受けていた。

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