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《 サッカー人物伝 》 フェルナンド・レドンド

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「 中盤の貴公子 」 フェルナンド・レドンド ( アルゼンチン )

中盤を華麗に仕切り、柔らかなボールタッチと、エレガントなパスで攻撃の起点となった。また素早く危険の芽を摘む守備で、ボランチとしての能力の高さも見せた。その優雅さ漂わせるシルエットと、長髪の似合う端正な容姿で「エル・プリンシペ(貴公子)」と呼ばれたのが、フェルナンド・レドンド( Fernando Carlos Redondo Neri )だ。

アルゼンチンのサッカー選手では珍しい大学卒の経歴を持ち、21歳でスペインのテネリフェへ移籍して中心選手として活躍。94年にはリーガ・エスパニョーラの名門レアル・マドリードに移り、攻守の要としてリーグ優勝2回、UEFAチャンピオンズリーグ制覇2回、インターコンチネンタルカップ優勝などに貢献する。

20歳でアルゼンチン代表に初招集されるも、学業を優先して辞退。94年のアメリカW杯には中盤のレギュラーとして初出場を果たすが、マラドーナ薬物騒動の影に隠れて目立った活躍を見せられなかった。98年フランスW杯でもパサレラ監督と意見が衝突し、ユニフォームを脱いで己の意志と姿勢を貫いた。

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なお、《サッカー人物伝》は有料記事となりますのでご了承ください。

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