「世界を巡るサッカー伝道師」デットマール・クラマー(ドイツ)
64年の東京オリンピックを控えながら、戦争によるブランクや古い慣習、財政難などで日本代表は低迷。そこで強化を図った日本蹴球協会(現、日本サッカー協会)からの招聘を受け来日、遅れていた日本サッカーの土台づくりと、のちの発展に大きな足跡を残したドイツの名指導者が、デットマール・クラマー( Dettmar Cramer )である。
クラマーは合理的な指導と自ら範を示す姿勢で選手を引っ張り、「ベルリンの奇跡」以来古い体質のままだった日本サッカーに改革をもたらして、メキシコ五輪銅メダルの礎を築く。またその活動は代表に留まらず、指導者育成の提言や日本サッカーリーグ創設にも尽力し、「日本サッカーの父」と呼ばれた。
またバイエルン・ミュンヘンを指揮してUEFAチャンピオンズ・カップを連覇、監督としての手腕も見せている。その後も代表チームやクラブチームを様々な立場で指導、世界を巡るサッカー伝道師として活躍した。
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